うたうポリゴン

魔王K++(ケープラ)のポータル兼個人ブログ

リスクを取らない、加点要素のない人間がモテるわけないだろ

 あまりに当たり前の話なので、盲点だったかもしれない。なので常識的人間は、今回の記事を読む必要はないのでブラウザを閉じてけっこうです。
davitrice.hatenadiary.jp
 当たり前のことを、丁寧に言語化してくれていて、すごいなと思った。同時に、ここまで説明しないといけない時代なのかもしれないとはっとした。
maoukpp.hatenablog.jp
 この記事でも触れたが、「話しかけたり、告白することが加害」とか寝言を言ってたら恋愛は成立しないんだよ。リスクを取らない人間がモテるはずがない。
モテの公式:(50-50)≠(0-0)
 ライスさんの記事の追撃、「暴力性モテ」などというアホな言論に止めを刺すべく説明するが、容姿やステータス、あるいは性格的なアグレッシブさで魅力的+50、でもDVとか欠点のある-50のトータル0の人間と、特に魅力はない0&フェミニズムを押さえているので減点要素はないマイナスも0の人間がいたとする。
 どっちがモテるか。前者に決まっている。欠点というのは、長期的に付き合わないと見えづらいからだ。だから、後々後悔して別れる。離婚する。
「DV男を好きになる女が悪いんダー自業自得ダー」という非モテ男の言説はよく見るが、そんなのよっぽど人を見る目がないと初期段階ではわからないのだから、仕方がない。まして若い女性ならなおさら。非モテ男が、若い時にそんな異性を見る目があったとは思えない。見た目だけで圧倒されて100%好きになるだろ。だから、その点で女を責めるな。

 モテにおいて、長所を伸ばすべきか、短所を補うべきかは人による。「恋人はできるが続かない」のであれば後者だし、異性に全く縁がないのであれば前者だ。年齢的な制約もあるし実際は難しい面もあるが、少なくとも異性を逆恨みするな。バカなのか。あと自称「心やさしいオタク()」も減点要素がゼロではないので、加点要素は絶対必要。「0&-0」なんて実際はほぼあり得ない。
 仕事関係だったり知人だったり、どんな美女だって、ある程度付き合ってれば見た目の綺麗さには慣れてきて内面の不満や欠点も見えてくる。そういう経験をしないと男は一生気づかないのかもしれないな。非モテ男だが、幸いそういう機会はあったので私は恵まれていた。ごめん、俺はメンタル的には飢餓的な「非モテ」じゃなかったわ。

サトシはいつまで10歳なのか問題

本編

 アニポケの話。97年に始まり、タイトルを変え、続編という形ではあるが現在まで24年、ほぼ切れ間なく続いている。初代シリーズ97-2002年だけで6年、275話と相当長い。
dic.pixiv.netdic.nicovideo.jp
 上記記事で既に考察はされていて、第二シリーズで世代交代をしていれば、と思うがこの時点でもう後へは引けなくなったのだろう。完全に大人の事情だ。仲間キャラは入れ替えながらも、サトシ&ピカチュウはずっと継続。もはや百戦錬磨の大ベテラントレーナーのはずなのだが、永遠の10歳。せめて2,3年時間軸を進めていいんじゃないか。
 サトシ、リアル換算なら34歳。オッサンである。「日常もの」でも『名探偵コナン』のような「原作もの」でもないので不気味さがあり、クローン人間だとか、アンデッドとかひどい言われようである。サトシのピカチュウはもう寿命だろうが、老衰ピカチュウなんか誰が見たいんだ、という話にはなる。

 ただ主人公を変えればいいというものでもない。たとえば『ガンダムSEED DESTINY』は前作から2年後の世界、主人公を変えたのだが結局従来のキャラクター人気に押しつぶされて失敗した作品だった。だから世代交代がうまくいかず、シリーズ自体が終わってしまった可能性もある。リニューアルして本編からは退場させ劇場版でたまに出る程度にしないと、影響力が強すぎて扱いが難しい。
 ポケモンの場合ゲームの主人公はプレーヤー自身で、各作品の世界はつながっているが、舞台となる地域を変え、主人公周りは独立している。主役がずっと続投なんてことはない。アニメはガラパゴスな進化を遂げてしまったのだ。まさに終わらないコンテンツ、終われないコンテンツ問題。
dic.nicovideo.jp

 だがしかし、このツケはいつかまとめて払う時が来る。サトシ・ピカチュウ声優二人のいずれかが降板・引退、あるいはお亡くなりになった時がアニポケリニューアルの時だろう。声優交代までしてサトシ・ピカチュウ体制を続けるのか、またこの議論が盛り上がる時が来る。ピカチュウだけは別個体で続投かもしれない。アニポケの「シーズン2」がどんなものになるか、将来の楽しみである。

【3/16追記】「正義の悪」ロケット団コンビ、いやトリオの人気も無視できない。ここまで続いた以上サトシ・ピカチュウだけ交代させるのは難しく、彼らの後任もまた大きなリニューアルの課題なのである…。
【2022/2追記】メインどころは皆50代の声優なので、あと10年くらいでクライシスがやってくることだろう……。
www.buzzfeed.com

その後、サトシ&ピカチュウ降板 2022/12/17追記

 公式発表の通り、2023年の年明け1クールでサトシ最終章をやり、4月からはリニューアルで降板となった。
最新情報 ポケットモンスター|テレビ東京アニメ公式
 12/16が「新無印編」の唐突な最終回だったわけだが、3年もあったのにゴウとコハルとはいったいなんだったのか、本当にここのスタッフは……言いたいことは山ほどあるが、本題ではないのでこのくらいにしておこう。公式情報はないが、ロケット団トリオも降板だろう。2023年新シリーズではロケット団自体が登場しないか、キャラを変えてくる。今後もピカチュウそのものは登場するだろうが、大谷育江=サトシピカチュウは降板となる。
 劇場版については以下に書いているが、2年も空いた時点で、私はテレビアニメ自体が打ち切りではないかと思っていた。
maoukpp.hatenablog.jp
 オトナの事情として劇場版ビジネス、コナンもドラえもんクレヨンしんちゃんも、そのためにテレビアニメをやっているようなものだ。そして劇場版をやるには、普通もろもろ2年以上はかかる。なので、「毎年やっている」シリーズ映画というのは、裏では同時並行で動いている。映画が止まった時点で打ち切りが見え、アニメだけはなんとか25周年までやって、サトシもろとも終了という流れだと思っていた。
 が、主人公を変えてアニメ自体は続くことになった。サトシ降板は英断だろう。いいかげんマンネリがひどいし、サトシが世界王者になった時点で降板は確実と思っていた(続投させるならダンデには負けて「世界2位」という余白を残す)。
 新シリーズは女の子主人公で、ビジネス的にもグッズの売り上げが高い(男の子はぬいぐるみなんか買わない)女児向けを狙っていくと思われる。新シリーズも全国編なのは現行と同じで、今後もアニメはその道を選んだということになる。つまり、がっつり『SV』のパルデア地方というわけではない。
 アニメは25年続いた。新シリーズも、ポケモンとしては合計26年目。が、これが終わりの始まりかもしれない。スタッフが現行と同じなら正直期待はできないが、お手並み拝見といこう。

真の「ジェンダー学」不足、そしてボイトレ・発声科学には万能型の人材が求められる

 フェミニズム批判シリーズでもあるのだが、本題は別にある。過去記事はこの辺。
maoukpp.hatenablog.jpmaoukpp.hatenablog.jpmaoukpp.hatenablog.jpmaoukpp.hatenablog.jp
「人文学・社会科学vs自然科学」という概念をTwitterで見て「ボイトレ・発声って広義には医学、物理学だから自然科学なのか」とはっとした。ジェンダーバイアスについては社会科学も大いにからむので、まさに両刀使い、ボイストレーナーには両方の教養が必要なのだ。元々は文系が多いと思うが。
 今のポピュラー音楽では古いがそれでも合唱・声楽で根強い「男は裏声出すな、女は地声出すな」といった社会規範が、発声には大いに影響しているのだがあまりその辺を言及してる人は少ない。風地(@huuchi)さんくらいか。だからこそ、ボイトレ評論家の私がやっているわけだが。

 大卒のボイストレーナーなら、レッスンの場で、ミクロではそういう話もしてるかもしれない。しかし、「高音を出すためには裏声が重要です、なので裏声を鍛えましょう」レベルしか言えてないかもしれない。ましてブログなどで発信はしない。ネットの男女論など炎上リスクしかないし、ボイトレオタクは最初そこに興味もないからPVも伸びない。発声指導の現場で、ジェンダー観点は置き去りになっている。
 そもそも、まっとうなジェンダー研究とは以下のような、性差をそれぞれ考察したものだ。


 それが、ジェンダー研究は女性学=フェミニズムから発展した経緯があるもんだから、歪んでいる。彼女たちは本質的に運動家であり「女性差別を解消することが第一」で男性には興味がない。それどころか男性への加害を平気でやる、男性学を叩いて喜んでいるといったどうしようもなさがある。

 そもそも男性学フェミニズム=女性学の間借り状態なのが異常なのである。本来は「ジェンダー学」が親で、女性学と男性学は対等の兄弟のはず、それが女性学の子供扱いになっている。
 ボイトレ評論家を本業とする私が、フェミニズムを嫌悪し、決別するのは必然だった。すべてを家父長制・男性による抑圧にするイデオロギーありきの、公平・平等でないジェンダー研究は、私にとってゴミクズなのだ。
 前述の合唱の例では「女は地声出すな」は「男が女を抑圧している」というフェミニズムの正義(憎悪、部分的に妄想)と合致するが、では「男は裏声出すな」はどうなるのか。これは「男が男を(自傷行為的に)抑圧している」のだが、一切そこには興味がないのがフェミニズムだ。まさしく片手落ちであり、欠陥住宅なのがフェミニズムであり、そもそもの限界かもしれない。

 というわけで、これからもフェミニズムは批判するし、まともなジェンダー研究は応援し、拡散・発信していきたいと思う所存である。

リベラルはドクズだった?


 Twitterでよくあるリベラル派批判である(個々の事実関係を肯定するものではない、あくまでサンプルとして)。前回記事もまさにそういう話だった。
maoukpp.hatenablog.jp
 最近だとこんなこともあった。
ksl-live.com
 私個人で言えば、この件もそう。
maoukpp.hatenablog.jp
 なぜ、リベラル派の悪行は叩かれるのか、不快なのか。掘り下げて考えてみたい。もちろん一言で言えば「普段の主張内容と矛盾するから」で終わりである。自分ができもしないことを主張するのは偽善だからだ。タバコをやめられない人間が禁煙を訴えるようなもので、「お前が言うな」となる。イメージとギャップがあればあるほど、叩かれる。
 しかし、過去が過剰に掘られることも多い。この手の叩きに安易に飛びつくのは危険だ。学生時代にいじめをしたことまで汚点になるのだろうか。
 あくまで過去の悪行が、

  • 大人になってから、現在の名義で、現在進行形である
  • 発言内容と正反対、綺麗に矛盾する

 になっているかが重要だろう。時期と内容、論点の一致が重要なのだ。たとえば人種差別と性差別はレイヤーが違うので、江戸の仇を長崎で討つような批判は的外れである。「雑にリベラルくくりすぎ問題」はよくある。女性蔑視な護憲・反権力論者だっている。

 ともあれ「リベラル」を自称するのは、百害あって一利なしだ。リベラルは生きづらい。一方で権力への批判はするが、品行方正キャラではないリベラルもいる。冒頭ツイの「綺麗事リベラル」に該当しなければいい。
 サヨク臭を消すにはどうしたらいいか。正論専用アカウントになっていると臭う。雑談をすることだ。でもそれだとフォロワー増えないんだよね。。エコーチェンバー、「加速」が重要だから。

 もしかすると彼らはクズな自分を変えたくて、リベラルになったのかもしれない。「メンヘラの学問」である社会学・心理学・哲学と同じで、強くなりたくて学ぶ。実際、男性フェミニストにはその手のタイプがけっこういる。根っこの部分では実は矛盾はないのかもしれない。
 なので、リベラル派は「元々クズだからこそリベラルをやっている」と開き直ればいいのではないか。クズであればあるほど、スクールカースト下位のザコであればあるほど実はリベラルの素養があるのだ。ヤンキー先生みたいなもので、殴って殴られてるから人の痛みが分かるのだ。人権を踏みにじってきたから、人権思想になったのだ。つまりリベラルとは、更生したクズなのだ。いや、更生しきれてないからたまに地金が出てしまうのだ。
 某アニソン風に言えば、『僕たちはドクズだった』。そういうことにしておこうではないか。

最上級・最難関の女性間性加害に対しては、皆ゆっくりと「取り乱し」沈黙する

 ラブリ加害事件について、あまりにも話題になっていないので触れたい。
bunshun.jpnews.yahoo.co.jpfriday.kodansha.co.jp

 ラブリ側の発言を見ても、旅行に行ったこと、そういう行為があったことはほぼ間違いがない。「同意の上だった」という加害者おなじみの自己弁護だ。
 大前提として、権力構造のある人間関係では絶対にこういうことは起こる。毎度のことながらDQNや右翼のいかにもな人間が暴力をするより、人権派リベラルがやらかすとギャップで余計に叩かれてしまう不均衡はあるが、感情的には仕方がない。
 
 同性間だと、ジャニさんの件にしろTVマスコミは沈黙する。去年こんな事件があった。
bunshun.jp
 ネットではジャニさんは叩かれ続けているしワタナベエンタ大澤の件もネットでは話題にはなったが、真剣に怒るというよりネタとして消化される向きが強かった。一般社会でも同性愛だと単純に相手にされなかったり、笑われがち。女→男の性的虐待やセクハラも最近可視化されるようにはなったがまだまだ氷山の一角であり、道は遠い。

 言うまでもなく性加害には男→女、男→男、女→男、女→女の4パターンある。このうちの最上級・最難関が最後の「女→女」だ。

 報道番組でさえ怪しいが、特にワイドショーの司会やコメンテーターレベルではこのネタは扱えない。加害者を「叩きづらい」から、取り上げない。性加害女性を叩くことに、「世間も慣れてない」。いかにジェンダー観が弱いか、衆愚社会かを物語っている。
 悪代官&越後屋→善良町民のようなテンプレ構造「男→女」のケースしか、TVマスコミは取り上げない。不倫ネタにしろ、「最低な男だ!」と加害者男性を糾弾していればいいが、それ以外のケースではできない。
 なぜか。一つには、「性加害者は男でなければならない」という思い込み、さらに同性愛の場合は「同性愛を否定しているようになるから、叩きづらい」という遠慮。

 さて本件、Twitterでもたいして話題になっていない(Togeもあるが一つだけで全然盛り上がってない)。21日だったと思うが文春の第一報を読んだ時、「これは(フェミもアンフェも)荒れるぞ…」と思ったのだがその後TLに流れてくることはなく、危うくそのまま忘れそうになった。
 検索すると「フェミはダンマリ」批判ツイートが散見された。この批判は妥当なのだろうか。よくあるテンプレアンフェに見えるが…。

 実は今回は妥当なのである。被害者が女性だからだ。女→男の加害なら、フェミニストは原理原則的にはダンマリでもおかしくない。男を保護する思想ではないからだ。
 ただ、今回は被害者は女性なので保護すべき存在。しかし加害者が女性なのでバグを起こし、いつものように攻撃できない。だから沈黙する。プログラミングで言うと、WomanExceptionという例外エラーが発生している。これはジェンダー用語「取り乱し」の亜種と言えるかもしれない。

 結局フェミニズムは男を断罪し、貶めたいだけなのが本音で、女ホモソは完全に自浄能力がない。こんなアンフェ論客みたいなことを言いたくはないが、事実なので仕方がない。女性を賛美したい男としては、ひじょうに苦しい。
 ただアンフェもアンフェで、フェミが騒ぎ出してから逆張りをするだけの存在ということが今回よりはっきりした。どちらもダメダメである。

1/24追記:ジェンダー界隈沈黙の謎、マイノリティ特権の気色悪さ

 加害者を擁護する声があり、論外(事実レベルで誤りで、告訴状を提出したのは2019年8月)だが本当に綺麗なミラーリングが起きている。女も性的加害者になるし、セカンドレイプをするのだ。


 本件は完全にMeToo案件なのだが、加害者が男性の時は、フェミニストジェンダー界隈は法的に確たる証拠がなくてもMeToo時点で加害者男性を思いっきり断罪していた。被害者女性と連帯し、応援するのが彼らの正義だからだ。
 しかし今回、Twitterの有名垢、特にジェンダー界隈(LGBT界隈と言ってもいい)が完全に沈黙しているのが不気味だ。この謎を考えていきたい。藁人形叩きになってしまう危険はあるが、反応がない以上、推理で埋めていくしかない。

 前述のたいして盛り上がってないTogeにこんなコメントがあった。

こういことが起こり得るからLGBTとは同じ部屋で寝たくないし、風呂や更衣室、トイレも別にしたい

 なるほど、と思った。こういう方向に議論が進むことを恐れるあまり、ジェンダー界隈はラブリ加害事件を徹底スルーしているのだ。つまり被害者(告発者)よりもLGBT全体イメージの方が大事なのだ。
 ラブリを叩くことがレズビアン、ひいてはLGBT叩きにつながる恐れがあるから怖くて言及できない。LGBTは「可哀想な弱者・被害者」でなければならず、LGBTの人間が悪事を働いたら批判できない。ジェンダー界隈の脆弱性が異常だ。LGBTだろうが殺人をしたら捕まるし、万引きが許されるわけがない。

 もう一つ、沈黙の理由があるとしたら「ラブリへの(レズビアンであるという)アウティングになるから言及できない」だ。ラブリ側の言い分もそうだが、こんなの単なる開き直りの詭弁だろう。じゃあカミングアウトしていない同性愛の加害者はやりたい放題、特権に守られていることになる。そんなバカな話があるか。性犯罪の公表>加害者の秘密に決まってる。
 ジェンダー界隈は性的マイノリティを尊重するあまり、正当な批判ができなくなっている。これが「特権」でなくてなんだ。ラブリを断罪できないフェミニストジェンダー界隈、全員ダメ。ある意味で恐るべき「ラブリ試験紙」…。

 ジェンダー界隈、潔く「今回は被害者女性を見捨てる」「今回は加害者が女性だから擁護まではしないが、事件に一切言及しない」と明言したらどうだろうか。前々から「フェミニズム欠陥住宅、アンフェはダンボールハウス」と言ってきたが、一人の性加害者により、いよいよ致命的な欠陥が明らかになった。「ラブリ試験紙」の威力は、これからも発揮されることだろう。

3/12追記:新たな加害が起きるも…

 また芸能マスコミも、ジェンダー界隈も大いに沈黙することだろう。文春は本当にいい仕事をするので応援したい。
bunshun.jp

キンキュー事態宣言についての雑感

 まずはこの記事の続きと弁明。三連休明けだったので、緊急事態宣言後のPCR陽性者数の正確な数字を知るには金曜日の今日を待たねばならなかった。
maoukpp.hatenablog.jp
 第三波はあった。これは完全に私の誤りであった。当時は寒さが厳しくなり始めた時期で、PCR陽性者数は北海道が先行して増えていたことからもそう判断した。お詫びして訂正する。
 ただ、「騒ぎすぎ」「反自粛」という基本的スタンスは変わらないし、GoToに対しての批判も同様。年が明けてから肩身が狭いが、変わらず反自粛の主張を続ける人もいる。全く同感である。
hedgehogx.hatenablog.com

 さて、東京都コロナ対策サイトのURLは上記記事にも貼ってあるので省略するが、最近のデータ。


 去年12月から私はTwitterで「東京都の陽性者数1日3000人までは慌てる必要がない」と主張していた。今回の緊急事態宣言は当然まだちょっと早い程度、だが国民感情もあるし(内容はともかく宣言自体は)仕方ないかなというスタンスだ。全てはPCR陽性者数だけを報道して不安を煽るメディアが悪い。最近は重症者数が記事の見出しになることが増えた。陽性者数が過去最大でないなら、「医療崩壊」推しなのだろう。
 前回の緊急事態宣言にしても、結局国は重症者数を見ていたことになる。東京で100人超えると危ないということなのだろう。陽性者数だけなら、去年4月は少ないからだ。陽性者数なのか、重症者数なのか、緊急事態宣言を出す・解除するにあたり国はずっと具体的な数値目標を出さないところが本当に終わっている。GoToにしても(私は批判的だが)どこまでの数値ならやるのかをはっきりさせればまだ許せたのだ。
 都知事の小池は昨日になってテレワークをアピールしだし、保険を張り始めている。「飲食店だけをいじめるつもりはなかった」「緊急事態宣言であまり効果がないのはテレワークが不十分だからだ」というアリバイ作りだろう。特措法の罰則作りも、小池とワイドショーが煽っている。テレワークやらない大企業も罰したらいいんじゃないの。国・都・メディア、全ての罪が重い。この国の権力は腐り果てている。

 2回目だし、今回は飲食店のみということでサイゼ社長に限らず飲食業界はとても怒っているし、国民もなめている。国もやる気がない。まさに「キンキュー事態宣言」状態。今日の東京都の陽性者数2001人からして、やはり飲食店だけをいじめても効果はさほどないことがわかった。もちろん潜伏期間だったり、陽性のまま放置してたまたま今週検査を受けた人もいるかもしれないが。
 この程度の効果じゃ、当然1ヶ月では終わらない。じゃあどうするのか。この国の迷走は当分続きそうである。今年は確定申告しなくていいとかにならないかな。無理か。そういうところだけちゃんとしなくていいので、どうせならもっと腐ってもらいたい。

市場・企業に甘やかされるアラフォー世代、その「特権」

 ファミマのブランド「お母さん食堂」への女子高生たちの反対運動がネットでは一部話題になっている。別にこの運動に賛同する気はないが、言いたいことはわかる。
 まず一発屋芸人のような世代間知名度に偏りがあるコンテンツだということ。そして、ふざけた女装ネタキャラ(ママという変化球ではあるが)が今の時代、ジェンダー的にもアウトということ(もし「男のママ」を真剣に推すのならガチの女性になりたい男性を使うべき)。二重の意味でスベっており、三流マーケティングと言うほかない。

 そんな中、こんな意見を読んでモヤモヤしてしまった。

(我々)アラフォー向けマーケティングだから、若い世代にウケなくてもOK
香取慎吾慎吾ママ)が好きだからOK

 ちなみにこの件は、鬼滅マーケティングが気に入らない場合のように「嫌なら買うな」の次元の話ではないし、そのための抗議運動という前提がないと話にならないが、本題ではないので深入りしない。
 なかなか身勝手な意見だなあという感想と同時に、はっとした。そうだ、私もアラフォー世代だった、と。たまたま刺さらないコンテンツかつ思想的にダメすぎるネタだっただけで、ターゲット層には含まれていた。もし、自分の好きだったコンテンツだったら…。

 我々、アラフォーって相当マーケティングに甘やかされてるんじゃないか。圧倒的マジョリティじゃないか。ちょうど年も改まったことで、年齢に対する意識が強かった。認めたくはないが、私はまごうことなきオッサンである。
おっさんホイホイ」という言葉がある。特にネットはおっさん天国、アラフォー世代はマジョリティだ。以下の記事は2008年当時作成のようだが、面白いことに2021年の今となっては2008年のコンテンツもかなりおっさんホイホイに近い。一つの定義として「15年」という目安が書かれている。
dic.nicovideo.jp
 中高生だった子供も15年経って30過ぎると金を持つ購買層であり、アラフォーになると車や家といった高額商品も買う、まさに全企業にとっての「お得意様」だ。マーケティングの中でもドル箱であり、会社社会でもメインプレーヤーで、一番勢いがある。前述の三流マーケティングも、会議室で盛り上がって決めてしまったのは主にアラフォー世代だろう。
 これは一種の「特権」なのではないか。全人口比の数的マジョリティではないが、市場の中では支配的階級としてのマジョリティだ。テレビ番組だって、主婦狙いにしてもアラフォー世代をメインターゲットに作られている。

 これは反差別でよく出てくる「特権」概念につながる。男性特権、民族的マジョリティ特権など。
 批判は以下の記事に詳しいが、曰く、【特権を指摘された人のなかでも真面目であったり気が弱かったりする人は罪悪感を抱いて、実際に反省や譲歩を行うが、大半の人はムッとなってしまい、相手の側に対する反感をむしろ強めてしまうもの】。
davitrice.hatenadiary.jp
 特権とは本来江戸時代以前の身分制度や、現在では「議員特権」のようなものだ。一握りの人間が、一般人よりすごくオイシイ思いができることを言う。なのでこの概念は、ワードのチョイスをしくじっている(「優越」くらいにしておけばよかった)。1000万以上存在する個体に対し、特権などは存在しない。
 シス女性特権、健常者特権、大卒特権、イケメン・美人特権、運動できる特権、弱者・反差別特権など特権を言い出したらキリがないし、特権論法はあらゆる属性の人間にネイティブ差別者のレッテルを貼るためのものだ。悪質な言いがかりといっていい。
 したがって、「お前らアラフォーはただ存在するだけで、無自覚・無意識でも他世代への加害者だ、悔い改めろ、懺悔しろ」などと人に言うのはダメだ(言われたらぶん殴る)。しかし、そういう意識は持っておきたい。アラフォーは、調子に乗りやすい。
「特権」について言及するとしたら、自虐的・内省的に触れる程度が正しいのだ。だからこの記事は、当事者としてタイトルにあえて「特権」をつけた。一方「特権棒」で他者を殴り断罪することは無意味であり、人として恥ずべき行為だ。普通に「調子に乗るな」と言えばいい。

 まとめとしては、気がついたら集団の中で権力を持っていたとか、マジョリティになっていたということは人生ままあるので、気をつけよう。でも反差別の文脈での「特権」概念=特権理論はクソなのでみんなの力で殲滅しよう。