うたうポリゴン

魔王K++(ケープラ)のポータル兼個人ブログ

リベラルはドクズだった?


 Twitterでよくあるリベラル派批判である(個々の事実関係を肯定するものではない、あくまでサンプルとして)。前回記事もまさにそういう話だった。
maoukpp.hatenablog.jp
 最近だとこんなこともあった。
ksl-live.com
 私個人で言えば、この件もそう。
maoukpp.hatenablog.jp
 なぜ、リベラル派の悪行は叩かれるのか、不快なのか。掘り下げて考えてみたい。もちろん一言で言えば「普段の主張内容と矛盾するから」で終わりである。自分ができもしないことを主張するのは偽善だからだ。タバコをやめられない人間が禁煙を訴えるようなもので、「お前が言うな」となる。イメージとギャップがあればあるほど、叩かれる。
 しかし、過去が過剰に掘られることも多い。この手の叩きに安易に飛びつくのは危険だ。学生時代にいじめをしたことまで汚点になるのだろうか。
 あくまで過去の悪行が、

  • 大人になってから、現在の名義で、現在進行形である
  • 発言内容と正反対、綺麗に矛盾する

 になっているかが重要だろう。時期と内容、論点の一致が重要なのだ。たとえば人種差別と性差別はレイヤーが違うので、江戸の仇を長崎で討つような批判は的外れである。「雑にリベラルくくりすぎ問題」はよくある。女性蔑視な護憲・反権力論者だっている。

 ともあれ「リベラル」を自称するのは、百害あって一利なしだ。リベラルは生きづらい。一方で権力への批判はするが、品行方正キャラではないリベラルもいる。冒頭ツイの「綺麗事リベラル」に該当しなければいい。
 サヨク臭を消すにはどうしたらいいか。正論専用アカウントになっていると臭う。雑談をすることだ。でもそれだとフォロワー増えないんだよね。。エコーチェンバー、「加速」が重要だから。

 もしかすると彼らはクズな自分を変えたくて、リベラルになったのかもしれない。「メンヘラの学問」である社会学・心理学・哲学と同じで、強くなりたくて学ぶ。実際、男性フェミニストにはその手のタイプがけっこういる。根っこの部分では実は矛盾はないのかもしれない。
 なので、リベラル派は「元々クズだからこそリベラルをやっている」と開き直ればいいのではないか。クズであればあるほど、スクールカースト下位のザコであればあるほど実はリベラルの素養があるのだ。ヤンキー先生みたいなもので、殴って殴られてるから人の痛みが分かるのだ。人権を踏みにじってきたから、人権思想になったのだ。つまりリベラルとは、更生したクズなのだ。いや、更生しきれてないからたまに地金が出てしまうのだ。
 某アニソン風に言えば、『僕たちはドクズだった』。そういうことにしておこうではないか。