綺麗事リベラルの華麗なる前歴
— 小山晃弘(狂) (@akihiro_koyama) 2021年2月10日
蓮舫
→家庭内暴力
小島慶子
→家庭内暴力
ラブリ
→強姦
ヒスブルナオキ
→連続強姦
仁藤夢乃
→いじめ加害
本当にロクな人間がいない。
Twitterでよくあるリベラル派批判である(個々の事実関係を肯定するものではない、あくまでサンプルとして)。前回記事もまさにそういう話だった。
maoukpp.hatenablog.jp
最近だとこんなこともあった。
ksl-live.com
私個人で言えば、この件もそう。
maoukpp.hatenablog.jp
なぜ、リベラル派の悪行は叩かれるのか、不快なのか。掘り下げて考えてみたい。もちろん一言で言えば「普段の主張内容と矛盾するから」で終わりである。自分ができもしないことを主張するのは偽善だからだ。タバコをやめられない人間が禁煙を訴えるようなもので、「お前が言うな」となる。イメージとギャップがあればあるほど、叩かれる。
しかし、過去が過剰に掘られることも多い。この手の叩きに安易に飛びつくのは危険だ。学生時代にいじめをしたことまで汚点になるのだろうか。
あくまで過去の悪行が、
- 大人になってから、現在の名義で、現在進行形である
- 発言内容と正反対、綺麗に矛盾する
になっているかが重要だろう。時期と内容、論点の一致が重要なのだ。たとえば人種差別と性差別はレイヤーが違うので、江戸の仇を長崎で討つような批判は的外れである。「雑にリベラルくくりすぎ問題」はよくある。女性蔑視な護憲・反権力論者だっている。
ともあれ「リベラル」を自称するのは、百害あって一利なしだ。リベラルは生きづらい。一方で権力への批判はするが、品行方正キャラではないリベラルもいる。冒頭ツイの「綺麗事リベラル」に該当しなければいい。
サヨク臭を消すにはどうしたらいいか。正論専用アカウントになっていると臭う。雑談をすることだ。でもそれだとフォロワー増えないんだよね。。エコーチェンバー、「加速」が重要だから。
もしかすると彼らはクズな自分を変えたくて、リベラルになったのかもしれない。「メンヘラの学問」である社会学・心理学・哲学と同じで、強くなりたくて学ぶ。実際、男性フェミニストにはその手のタイプがけっこういる。根っこの部分では実は矛盾はないのかもしれない。
なので、リベラル派は「元々クズだからこそリベラルをやっている」と開き直ればいいのではないか。クズであればあるほど、スクールカースト下位のザコであればあるほど実はリベラルの素養があるのだ。ヤンキー先生みたいなもので、殴って殴られてるから人の痛みが分かるのだ。人権を踏みにじってきたから、人権思想になったのだ。つまりリベラルとは、更生したクズなのだ。いや、更生しきれてないからたまに地金が出てしまうのだ。
某アニソン風に言えば、『僕たちはドクズだった』。そういうことにしておこうではないか。