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レビュー『探偵の探偵』は面白いミステリ小説、おすすめはテレビドラマ版

 こんなご時世になってしまったので、なおさらインドア娯楽が重要となった。役に立てば幸いである。
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 画像は以下の公式サイトより。
紗崎玲奈役・北川景子インタビュー|「探偵の探偵」特設ページ|講談社文庫|講談社BOOK倶楽部

 以前『水鏡推理』のレビューを書いたが、『探偵の探偵』は同じ作者の別シリーズである(全4+コラボ『探偵の鑑定』2巻。2014-2016年)。出版時系列としては、『水鏡推理』の直前にあたる。余談だが3巻に登場する鴨井という探偵は『水鏡推理』世界とつながっている。wikpediaはネタバレ注意、情報は公式サイトか、FODならそのままドラマが観れる。
fod.fujitv.co.jp

原作3巻まで

 本シリーズはダークヒロインものハードボイルドで暴力シーンが多め。「人が死なないミステリ」ではなく、コメディ要素は少ない。魅力は、作者得意の男向け「ラノベっぽい美女推理もの」として安定の面白さ。もっともリアリティがないのは主人公とその周辺の人物設定だけで、単純に現代ミステリとして面白い。この作者は(出版時点での)最新の時事ネタと、ITなど現代技術の取り扱いが抜群にうまい。
 ただ、『水鏡推理』とくらべてしまうと全巻280ページ程度とボリューム的に物足りない。ミステリにありがちとはいえ、特に終盤の盛り上がりから一気に終わるのであっさりしすぎで肩透かしを食う(この作者の傾向でもあるが)。

 本シリーズは1巻目から順番に読む必要がある、地続きの物語である。3巻で主人公にとって遺恨ある正体不明の悪徳探偵「死神」を追っていくシリーズストーリーが一段落、テレビドラマ版はそこまでを描いている(4巻にもラスボスが控えていて、欲を言えばここまでをドラマ化してほしかった)。1クール全11話なので、尺には余裕があっていい。4巻まで読み終わりテレビドラマ版も円盤4巻8話まで見たので、合わせてのレビューである(未読・未見部分についてはまた追記・修正する)。
水鏡推理』でも主人公が「不用意な行動で危険な目に遭う→助けられるor自力で切り抜ける」というのは物語上のお決まり展開だったが、本シリーズの主人公・玲奈は腕利きの探偵である。なので、推理は冴えるくせに行動がちょっとマヌケすぎやしないかと思ってしまう(『水鏡推理』の瑞希はただの公務員なのでまだ納得がいく)。
 危険すぎる任務なのにたった一人で行動→乱闘して頭から流血&綺麗な顔がアザだらけになるワンパターンなのは減点対象。「まーた流血コントか」と冷めてしまう。演出の都合とはいえ女性の逆転KOはちょっとリアリティがない。『はじめの一歩』と同じ「打たれすぎ」問題。
 探偵や刑事ものにありがちとはいえ、命がいくつあっても足りないところはリアリティがない。ただ、そこ以外のミステリ本編の構成力はさすがである。

 1巻では玲奈の生い立ちやシリーズストーリーが長く(というか最初は玲奈が所属するスマ・リサーチ社社長の須磨が主人公に見える)、大手探偵会社社長・阿比留がメインストーリーの悪役として登場するが存在感が弱い。しかし2巻では半グレ組織を悪役に、DVシェルターから謎の誘拐・失踪事件が起きるという真骨頂。このDV夫たちがクズすぎて最高だった。私が「共同戦隊シンケンジャー」と呼んでいる、Twitterにいる奧さんに逃げられた夫たちがまさにこんな感じだなと。エンタメとはいえ男向けであり、女性にはしんどい内容なので注意。
 さらに2巻の事件は3巻にもつながる展開。主犯でなく関係者に過ぎないDV加害者達は野放しで、何も終わっていなかった…という展開からシリーズストーリーも一気に佳境に入る。この作家の手癖というか強引な展開もあるのだが、シリーズ全体の構成は見事である。前述の通り1巻あたりの尺も足りないが、全体をもう少し引っ張ってもよかったとは思う。

テレビドラマ版(2015年)

 今となってはかなり豪華な、北川景子+川口春奈という主演コンビだけでも見どころである。この二人は本当にぴったりのイメージで、原作ファンからすればドラマとしては「約束された勝利」だったのだが視聴率は振るわなかった(後述)。
 男性陣がイケメン過ぎて(須磨:ARATAこと井浦新、桐島:ディーン・フジオカ)最初違和感もあるが女性ウケのためには仕方ないし、いざ見始めたら危険な香りがするイケメンで違和感はない。人物設定や脚本は原作との差異もあるが、特に琴葉の生い立ち設定は許容できるというかむしろ原作超えの改変ではというレベル。
 ネタバレなしで楽しんでほしい+細かい改良点が多いので、ドラマから入ることをお勧めする。小説の暴力描写は女性にはしんどい部分もあるので。実は主演の二人よりも、悪役、特に「死神」をどう描くのか、演じるのかに興味があった。ネタバレになるので役者名は言えないのだが。

 ドラマ自体もよくできている。ここまで不満点のない映像化って珍しい。表現媒体の違いと言えばそれまでだが、ドラマ1話の導入部は原作よりもすっきりしていて作品世界に入りやすい。冒頭10分でどういう話かわかる。
 脚本もいい。尺に余裕があり、細かいところを改変し原作の物足りなさを見事にカバーしている。3話途中までの原作1巻の事件では、ユースケ・サンタマリア演じる阿比留の存在感が格段に上がっている(さらに8話でも刑務所面会で再登場!)。リアリティがないと評価はしたが、この乱闘=ハードなアクションシーンも北川景子が頑張って再現している。
 ドラマ版は琴葉が原作より活躍していて、「コンビもの」要素が強い(原作も4巻以降はそんな感じだが)。三浦貴大演じる警視庁の窪塚は原作の熱さはそのままに、好青年に仕上がっている。スマ・リサーチ社の脇役達もイメージ通りで、ニヤニヤしてしまう。(最終回まで見たらまた加筆)

原作第4巻

 まずドラマを見て、その後が気になる人は原作4巻+『探偵の鑑定』を読むのがおすすめルート。残念ながらドラマの視聴率は芳しくなかったようで(元が男向け+主人公の暗い設定で女性ウケが悪かった?)、今更続編として映像化されることもないだろう。本来4巻のドラマ化はSP回でやりたかったはず。さらにシリーズが続けばドラマ2クール目もありえた。だが、それは叶わぬ夢となった。

 原作4巻の内容としては、「死神」の師匠にあたる、4巻以前でも名前が出てきていたラスボスの討伐編になる。絶対安全なはずの拘置所内で死刑囚(彼らは「受刑者」ではないので刑務所ではない。知らなかった)が次々に殺されていくというセンセーショナルな事件が起きる。読者目線ではラスボスが犯人もしくは黒幕であることは容易に想像がつくが、一体どうやって…という展開。
 決して期待を裏切る内容ではない。しかしながら、2巻→3巻ほどの盛り上がりはなかったか。惜しいのは、ラスボス以外の4巻から登場するキャラクターをもっと前から出せていれば…ただ、疑うべき対象が減ってしまうので、巻をまたぐミステリゆえの難しさもある。
 本作でシリーズストーリーは堂々完結。キャラクター描写、玲奈のメンヘラぶりも、相棒・琴葉との関係も攻略…じゃなかった、一応の完結。だがどうにも、さみしい。まだお腹がいっぱいではない。全編ダイジェストで駆け抜けた感があり、本来なら倍の8冊くらいはじっくりやれたシリーズだからだ。とはいえ「探偵の探偵」というミクロなテーマから一切脱線せずに完結した潔さは、まさにこのシリーズの構成こそがハードボイルドであったと言える。

コラボ『探偵の鑑定』2巻

 だが、そんなファン心理はお見通し、この周到な作者(出版社)に抜かりはなかった。外伝的アフターストーリーが用意されていたのだ。
 20巻超えの人気シリーズ『万能鑑定士Q』は綾瀬はるか+松坂桃李で実写映画化もされている(2014年)。出版時系列的には『水鏡推理』の途中で書かれている。この作者の筆の速さ、本当に化け物である。
 全2巻だが、こちらは1巻あたりのボリュームも十分。コラボ作品なので、両方を知っていれば面白さは間違いがないが私は『万能鑑定士Q』シリーズはまだ一切読んでいない。さあどうなりますかという続編コラボだが…。(読んでから追記)

意味のないコロナ自粛は、その団体の頭の悪さのバロメーターとして最適

 またこの団体の批判になってしまうのだが、宗教上の理由でツイートはできないのでブログで。
uchu-lib.hatenablog.com
 正確な日付は覚えていないが、当初の予定は2月末だったと思う。コロナで自粛、延期した。そこまではいい。
 さて3/22、コロナは何も終息していない。3月中は、あらゆるライブイベント軒並み中止となっている。逆にこの日、K-1が強行され物議を醸している事態である。


 座席間隔調整&二次会の中止で強行した。そもそも2月末の延期に意味があったのだろうか。2月末の時点でこの対策は取れたはずだ。どうせ10人前後の少人数なのだから、自己責任で強行してもかまわない規模だ(細かい話だが元参加者として補足すると、あの会場の会議室は大小のタイプがあり、2月時点だけ「小」だったとしてもデスクワークくらいの間隔は十分にある)。それを2月時点では「やべぇ」と延期したが、その実何も考えていない、二度も延期するのは嫌だ、というだけに見える。
 あったま悪いっすね。こういうところに団体の体質が出る。トラブル対応能力皆無なところは相変わらずのようで、右往左往している。
 逆にいいバロメーターになるので、コロナも少しは役に立つ、と言えるかもしれない。
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「Twitterらしさ」から「降りる」ライフハックはネットでウケないし、本になってもきっと売れない

([@TwitterJP]さん、ボロクソ書いてますが[@maoukpp]を凍結しないでください! 絶対にするなよ!)

むなしい。すべてむなしい……

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 この画像が私の心境の全てを表していて、今はTwitterのすべてがむなしい。
 3/8にTwitterを引退して約2週間。一言で言うと燃え尽きたというより、焼き切れた。
 TLはまだ見てしまうしRTしたいと思うことはたまにあるが、ほぼツイートする気が湧かない。依存症であることは自覚していたし、どうせ止められないだろうと思っていた。今回だけはちょっと違うという予感はあったが、もっと禁断症状に苦しむ予定だった。
maoukpp.hatenablog.jp
 1年半前にこんな記事を書いてマストドンへ移住しようとしたが、結局見事に挫折している。そう、前から自覚はずっとあったのだ。それでも止められなかった。
 叩きQT依存患者(無名垢かつバズってもいない敵対的ツイをわざわざ探し出し、あるいは仲間の叩きに乗って攻撃してしまう人。アルファまで行かない中堅垢のわかりやすい例では、てつまよしとう[@godspeedtetsuma])にだけはなるまいと決意していたが、相変わらずTwitterそのものには依存していた。
 今はようやく、止められた。細かい要因の話はここでは省略するが、色々あったことが功を奏した。もしかすると、Twitterを止めるひみつ道具ドラえもんが私に使ったのかもしれない。
 それにしても、「アルファにならないと自分のツイートができない(しても相手にされない)→叩きQT依存患者」なのだとしたら、Twitterとはなんと生きづらい世界であることか。リアルの地位・ステータス含め、才能のない人間は死ねと言われているようだ。

 あまりにも依存度が高く生活の一部になってしまってる人には自覚がないが、ツイ廃ゲンロン人を辞めると相当な時間を使える。暇になる。仕事を定年退職して引退した人のように。今は本やゲームなど、一人でできる有意義な時間の使い方をしている。こうしてブログもじっくり書ける。
 飛躍と切り取りだけの不毛な100字ギロン(というか、たかが100字の主張などいくらでも難癖付けられる)から足を洗って、カタギの世界に戻ってきた気分だ。
 今は俯瞰で、フォローしている人の保護者のような目線でTLを見ている。自分はもう、完全にTwitter芸人としては終わったんだなと深々と感じる。これはフォローしている人の悪口のようでちょっと言いづらいのだが、自信満々までいかなくても、舌鋒鋭く何かを短文で言い切ることがもうできなくなった。ウケなくても、ファボRT数じゃなくても、かつては自分もそれをやっていた。羨ましくもあるが、もう無理な体になってしまった。

Twitterの本質は危険ドラッグ

 Twitterは本当に恐ろしい、悪魔的なツールだった。私も最初は純粋に自分が言いたいことを文字通りに呟くツールだったが、徐々にTLのトレンドに対してウケようとしてしまう。実際、ウケると気持ちがいい。多少なりとも成功体験があると、TLと通知欄をチラチラ見てしまう依存患者の完成である。これはイデオロギーの種類を問わない。ウケるためにますます先鋭化し、攻撃的になる。自分の本来の主張に「Twitterバイアス」がかかってしまう。10年近くやっている垢も多く、異常者だらけ、もはやTwitterは魔境と言っていい。
 この依存性の高さ、依存ゲームのしくみはシンプルだがとてもよくできている。Twitterこそ真の、射幸心を煽るソシャゲだったのだ。言論ソシャゲ、いやカタカナのゲンロンだ。しかも無料・ネットさえあれば誰でもできる敷居の低さ。
 人生のむなしさ・孤独の寂しさ・自己顕示欲という人の心の弱さにつけ込み、精神を支配・汚染する。国はTwitterを危険ドラッグに指定するべきだと思う。お金は溶けないソシャゲだが、時間と精神が溶けていく。

 そんな魔境でウケるツイートというのは相場が決まっていて、以下の三本柱が基本となる。

 日々供給される時事ネタまたはバズりツイートという素材に対し、この3つの立ち位置からそれぞれ正しいこと(正論・正義、他者批判、美談)を言うか、うまいこと(知識・教養、蘊蓄、雑学)を言うか、面白いこと(ネタ、揶揄、パロディ)を言って料理するか。つまり、実質的に3*3のパターンしかない(男女論・面白いパターンはあまりないが)。
 図示するとこうなる。f:id:maoukpp:20200322170840p:plain
 よくあるネタはこれ。


 いかにスピード重視かつ、的確にボールを打ち返していくかのゲンロンソシャゲ、それがTwitterの裏の顔。ネットではよく叩かれるワイドショーのコメンテーターとやってることは同じである。言及するネタは自分で選ぶことができるが、その分TLに常駐してトレンドに追われ労力が半端ない。
 政治系アカウントを排除したTLでも、この三本柱からは逃れられない。文脈・頻度はともかく、アンチフェミ系アルファはRTでも回ってくる。うざい有名垢はブロック・ミュートして見えなくできるが、それでも影はちらつく。

自傷行為の正義

 過去の自分へ、今依存しているきみへ。Twitterでかえって生きづらくなってませんか? きみがネットで発信したいことは、本当に最初から男女論でしたか? 社会正義を語ったり、正論をぶつことでしたか? TLでイライラしてそれに怒る…どういう趣味だろう、これは。正義というより、マッチポンプ自傷行為ではないか。
 とはいえもしフォロワーが2000、いや1000以上いたら、私も依存したままだったろう。絶対に止められない。これは純然たる負け惜しみだが、Twitterの才能がなくて本当によかった。後顧の憂いなく辞められる。
 SNSでゲンロンしているだけでは、何も世の中は変わらない。だからクズみたいな意見に数万ファボがついても取るに足らない。雑なDD論には与しないが、最近はリベラル派にも違和感を持つようになった。悪名高いアカウントならまだしも、セレクティブ・エネミーや曲解叩きが多い。怒るために怒っている「フェミガー」vs「男ガー」の先には、完全な無しかない。あるのはメンクリの処方箋ばかりだ。

 ネットで「もぐら叩き」しても不毛で、世の中や自分の生活を変えたいなら企業経営者や政治家などの実力者、または上司や教師など身近なところから、粛々と運動をすればいい。コンビニエロ本の件がわかりやすいがホモソ野郎は偉い人が決めたことには逆らわないし、『映像研』ブームを見てもセルオタ(インセルオタク)は覇権コンテンツ(およびそのクリエイター)の言うことには唯々諾々と従う。
 ネットの有象無象との対話はもちろん・叩きすら根本的に無意味。ギャラリー向けのつもりでも、既にわかっている人の間で回るだけのエコーチェンバー。だからといって、ただオフ会やればいいわけでもないことは、前回記事で書いた。
 逆にインセルのヘイト集会・講演会に数百人、いや1000人集まったところで同じ。それは決して広がりのない1000人だからだ。マルチ商法などのセミナーだって大きいところはそれくらいいく。救いようのないバカを相手にしても時間の無駄である。
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 Twitterデマとヘイトの見本市だが所詮はネット、実体社会への影響はそんなにない。あったとしても、止める術はない。関わっても無駄な魔境なので、立ち去るべきだ。

あんなにツイ廃だったのに

 既に述べたが、今は外から水槽を眺める気分でTLを見ているが、だいぶ雑になってるし頻度も減ってきている。あんなに中で一緒に泳いでいたのに。需要もないし、私がプレーヤーとして戻ってくることはもうないだろう。別のSNSが流行ったらアカウント作るかもしれないが、Twitterはもういい。言いたいことはブログかnoteで言う。
 男性学メンズリブ的に言う「男らしさ(男性性)」から降りることは容易ではないが、幸い「Twitterらしさ」からは降りることができた。というかこの二つ、かなり関連性が高いのではないか。Twitterマッチョイズムからの訣別を提唱したい。タイトルの通り、仮にライフハック化できてもウケないが。

 ボイトレ評論家として2015年10月にTwitterから活動を始めた自分が、メインだったはずのTwitterを先に辞めるとは思わなかった。だがもはや、転職…じゃなかった、転換の時だ。メンタル的に害の方が大きいものを、続ける理由はない。自己防衛おじさんになる時が来た。
 Twitterでは本当にいろんなことがありすぎたし、嫌いな人間も増えすぎた。もう昔には戻れない。今後は単なる宣伝・告知、窓口ツールとして使用する。告知が何もない時たまに普通のツイートもするが、1ツイート運用にすると構造的にゲンロンは不可能なので、なかなかいいメソッドだと思っている。
 自分の生活が第一、ネットはほどほどにして少しでも真人間になって未来へ進もう。今は強く、そう想っている。

3/31追記 Twitter依存は精神疾患:TIDA

 何か似ていると思いながらも言語化できていなかったが、『.hack//G.U.』に出てくるAIDAにそっくりである。
dic.pixiv.net
 あまりに有名なので説明不要…嘘でしたフィクションの話だがAIDAとはAritificially Intelligent Data Anomalyの略。いま、国家にとって緊急事態なので、Twitterの正義・思想的依存をTIDA命名する。Twitter Intelligent Disease Anomalyの略である。今思いついただけだから英語的なこまけぇことはいいんだよ。また、決して日産の自動車ではない。
 例の感染症について言いたいことは別にないが、Twitterこそ危ないよ。精神の安寧のために自粛した方がいいよ。Twitterネトゲではないので、PC(プレーヤーキャラ)が見えないが、ほら、真っ黒になってるじゃん。あの人も、この人も。あれ、私もか…?

仕事ができないきみへ、困ったら頼る「のび太力」をつけよう

 もうアラフォーの歳で、年下や後輩に教えることも多くなってきたIT技術者として、新人・若手向けにえらそうなことを言う。

 いきなりだがコミュニケーションの難易度は 連絡<報告<質問<相談<調整<謝罪 であると思う。形式的な報告の前に、すべきコミュニケーションは多い。
 質問・相談は一人でバリバリ仕事ができる人なら重要でないが、たいていの人はできないと成長が止まって死ぬ。無口な仕事ができる人は実はあまり喋る必要がないだけで、口下手に見えても実は喋れたりする。無能なミストバーンなんて最悪の人材、スキルがないなら喋ってなんとかするしかない。
 職種上、仕事であまり「謝罪」はする機会がないが自分の非を認められない人は滅びるしかない。仕事に限らず。いや、むしろプライベートか…またあの話になってしまうので省略。

 お笑い芸人の世界では、今売れている芸人でも往年の松本人志のような、「センスの人」に憧れていた(が自分は違った)という人は多い。ハスに構えて、大声は出さず、サッと一言で笑いを取る。クールでカッコイイとなるわけだ。これは仕事一般でも同じだ。お前は松っちゃんにはなれない、諦めろ。

 私はだいたいいつも、面倒を見ることになった相手には以下のようなことを言う。
「30分、45分作業が止まったら聞いてくれ。遠慮はいらない。私は育成係であり、そのためにスタンバイしている存在。むしろ作業が遅れる方が問題」
 仕事・作業が遅い人というのは、8割型行き詰まっていて進まないからだ。たまに作業自体が遅い人もいて、そういう人には「もっと雑・テキトーでいいよ」と言っているが性格的な問題もあってこちらはなかなか難しい。
 もちろん「やってください」「お願いします」という丸投げは質問ではないのでNGだが、質問や相談はどんどんしていい。このハードルが高いと、まだプライドもなく環境的にも質問しやすい立場の新人のうちはまだいいが、それを過ぎると一気に成長が止まる。

 IT業界の場合、直属でない=会社が違うから聞きづらいというのはある。SES、外注技術者の場合同じチームの下につく人が、同じ会社であることの方が少ない。職制上の「上司」は同じ元請けのチームリーダーだが、作業ベースではそうではない。権限はないし、こいつの評価なんて関係ないや、と思ってないだろうか。
 人事評価(早い話が「切る」か継続するか)だって、そのチームリーダーもメンバーの評価を結構聞くので実際影響はでかかったりする。こっちは正式な「レビュー」前に質問や相談をしてほしいのである。いきなりレビュー依頼出してきて、根本から覆ってやり直しになるのは時間の無駄だからだ。

 だが、これができない人が驚くほど多い。無駄にプライドが高いのだ。

ドラえもん論 ラジカルな「弱さ」の思想 (ele-king books)

ドラえもん論 ラジカルな「弱さ」の思想 (ele-king books)

  • 作者:杉田 俊介
  • 発売日: 2020/02/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 この本に触発されたわけではないが、雑なのび太論を展開すると、「のび太力」をつけようと今回主張したい。
 仕事に慣れるまでは頼っていい。現場の指導役はドラえもんなのだから。いつまでも進歩がないのは困るが、それでも基本的に頼っていい。同じ質問をしたっていい。教える側の労力を含めても、その方が仕事が早いからだ。欲を言えば、助言後のリアクションも独り言レベルでもいいからほしいところではあるが。

 それこそ出木杉のように仕事ができるなら別だが、リアルでは「できない出木杉風」が多く、のび太の方がずっとマシなのだ。ただ、「のび太のように頼っていい」とは言わないようにしている。ドラえもんファンでないと「のび太=情けないやつ」という負のイメージで、嫌な気持ちになる人もいるだろうからだ。特に男は。その無駄なプライドが害なのだが。
 なので、社会人はのび太力をつけよう。大人ののび太力DS!(そんなゲームはない)。

社会運動っぽい趣味、当事者研究の危うさ

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 以前、バズりもせず反感だけを買ったツイがあった。これを掘り下げてみたい。


 さて、前置きとして社会運動の危うさから。以前の記事「弱者の槍、被害者の剣」でも少し触れたが、薬害エイズの件についてはこちらの小山さんのツリーが詳しい。
https://twitter.com/akihiro_koyama/status/1235156249714409472

 薬害エイズの件だけでなく、社会運動運営から有名になる人は多い。いつの間にか社会問題評論家のようなポジションに収まっている人は、ままいる。もちろん、運動には明確な目標がある。一定の成果を得たところで潔く撤退・解散できるかどうかが問題で、運動自体は肯定されるべきものだ。

 一方で最近、当事者研究(当事者運動とも言う)が流行りである。政策・法制度的に社会を変えようという運動よりはハードルは低く、小規模だが人は集めやすい・参加しやすい。趣味だから、「気持ちいい」からやる。グループ交流、オフ会の延長で始める。
当事者研究 - Wikipedia
 きっかけはそれでもいいのだが、危うさは当事者研究も同じではないのか。単なるオフ会ではなく、当事者研究という箔付けが。これが大学サークルなら、4年で自然消滅または代替わりするから問題ない。一方社会人サークルには時限装置がなく、社会運動系はそこが危うい。
 当事者研究には「医学的・科学的な専門家でなくても、好き勝手やれる」という危うさがある。あくまで「当事者たちが語り合うことがメイン」であり、主催者が絶対的リーダーではなくファシリテーターだという。この免罪符が、危険なのだ。

 そもそも当事者研究のゴールはなんだろう。代表者がメディア寄稿、『現代思想』などのインテリ向け雑誌に論文(のようなもの)を発表したり有名になっていき、「先生」化する。そこが「アガリ」になっていないだろうか。
 もちろん、有名になったからといって参加メンバーを見捨てたりはせず、信用のための活動実績になるから会は続けるだろう。だが、その目的は

  • 数年やっていれば既成事実、「専門分野」になる
  • 学者ではないが「現場を知っている」が武器になり、発信力がつく
  • 参加者たち・界隈からは尊敬される

 これは『電車男』のケースと似ていて、掲示板上の協力者・参加者たちは一銭ももらえず、出版化・映像化などした時、作者一人だけが富を持っていった。
 うちゅうリブ(以下「UL」)の一件(前回記事参照)で、私は当事者研究そのものに対して大いに疑念を持つようになった。自覚がなくても、この危うさは常につきまとう。別に野心があるのはいいし、結果的に有名になるのは悪いことではない。だが、最初からそれを狙ってやるのは論外である。

 学者や評論家になれなかったインテリの個人的野望を、当事者研究で果たそうとしていないだろうか。「ネットで書いてるだけ」という劣等感は、リアルに乗り出すことによって克服できる。その気持ちよさに酔ってほしくない。
 少なくともあのUL代表には、志を全く感じなかった。専門知識・活動実績から遠く及ばないメンズリブ先行者をライバルのようにみなし、同格の「仲間」のつもりでいる。おめでたいと言うほかない。

 ULの悪口が本稿の主題ではない。こういう例は、あちこちに転がっているのではないか、ということが言いたかった(実際前回記事に対し、そういう反応もあった)。「オフ会」と「研究」の境界はどこにあるのか。自由参加とはいえどうせ二次会があるなら、一体どっちが本編なのだろうか。会議室か、お店か。酒を飲むか飲まないか、くらいの違いしかない。テーマが設定されているか、は別にお店でも可能だ。
 2hの会を年10回やったとして、実働時間は20hである。そんな短時間で「現場経験」としてしまっていいのだろうか。会議室での開催は、単に「真面目にやっている」というステータスになっていないだろうか。実はこれ、参加者にもメリットがあって「飲み・遊びに行っているのではない」という大義名分が得られる。つまり共犯関係にある。
 
 そんなモヤモヤと不信は、たぶんこの先ずっと消えないんだろう。この手の会に今後関わりたいとは思わないし、絶望だけが残った。自分で何かやろうというという気力も、もはやない。
 まとめると、メサコン(メサイアコンプレックス)と虚栄心の問題は、互助会や当事者研究といった会を運営する以上、逃れられない。運営者各意は、しっかりと決意と覚悟を持ってやってほしい。閉じた界隈のツイキャスで馴れ合っている場合じゃないよ。

 興味深いまとめ・記事があったので追記。ブームに乗って粗製乱造される当事者研究の中、トラブルも多発し、おそらくこれから批判やバックラッシュが始まると思う。別にそんな運動はやらないけど。残念ながら現場は、下記に載ってるような人たちばかりではない。
togetter.comtogetter.com
【4/2追記】杉田俊介さんも「(当事者研究の簒奪、フリーライド)危うさを引き受けながらの試行錯誤」と言っている。まくねがおさんとの対談の連載一覧はこちらで、おすすめ。
wezz-y.com

うちゅうリブは差別主義者と「対話」し、女性差別に加担するホモソ集団である

あれから半年

maoukpp.hatenablog.jp
 前回は個人的遺恨からうちゅうリブ(以下「UL」)を脱退し、その代表・環[@fuyu77] と、黒幕・安田鋲太郎[@visco110](以下「安田」)を叩いた(ブロックされたので、その後の二人のツイートは基本的に読んでいない)。それが今回、正式にULを弾劾する運びになった。元々好きだった人もいたし、誠に遺憾である。完全に、過去との訣別だ。
 ネタばらしをすると、前回記事はあえて「熱さ・勢い全開のキレ散らかしコンテンツ」にすることで、笑ってもらおうとした部分がある(狙い通り、そこまで読み取った人は少なかった)。
 だが今回は違う。より静かな怒りと絶望だ。青い炎だ。「こんな二人にメンズリブ団体をやる資格はない」といった主張をしたが、結果的にその正しさが証明された。

 現在UL幹部は4人いる。前述の環のほかに、
うちゅうじん[@jimmynicol88888] 久真八志[@okirakunakuma] 家来[@kerai14]
 あえて名前を出す。今回は全員の責任であり、当事者だからだ。そう、「滅び」の。

差別主義者と「対話」してはいけないの原則

 差別主義者と対話してはいけない、その行為自体が相手の言説に価値があると認めることになるし、差別側ギャラリーを喜ばせるだけ。それは差別の承認・強化につながる。
 学級会で「いじめっ子の意見も対等に聞きましょう、ではA君をクラスでいじめていいか多数決で決めましょう」なんて教師はいない。むろん、「差別主義者」の認定は慎重にならねばならないが。一つ前の記事にも書いたがブロック=セルフゾーニングとは、対話不能な相手への処置でもある。
 もっともTwitterでやり合うくらいはたいしたことではない。ネット上の文字のやり取りだし、ほとんどが一方的な批判だから。腰を据えた「公平対話」が問題なのだ。


 差別に限らず、ヤバい人間と対話する必要性も価値もない。結論ありきの「否認」者に説得など不可能。常に説明コストを負担させられ消耗するのは善人で、挑発に乗って喜ぶのは向こうだ。
 この手のかまってちゃんには無視が一番効く。「テロリストと対話しない」にも通じる話だ。彼らは「平場の議論」という言葉が好きだが、その平場が傾いていて障害物が多数置かれているのだから、差別関連に適用はできない。

 ここまではおさらいというか、現代の常識である。こちらの記事にも詳しい。
hbol.jp
 そもそもアンチフェミとフェミではツイートへの反応がざっと1桁、体感では20倍違う圧倒的マジョリティである。差別構造の現状維持・追認派は「否認」し続けギャラリーにアピールするだけで、上記記事の通り絶対に負けない議論をすることができる。差別主義者ほど、対話をしたがる。

Xデー

 2/8、安田が青識亜論[@dokuninjin_blue](通称「青眼鏡」、以下「青識」)とツイキャスで公開討論した。中身を聴くまでもない、大問題だ。彼についての人物評は本題ではないが、以下、ざっと触れる。
 青識は去年Twittter上で学者(小宮友根さん)との議論不成立(=失格)をやったり、リアルでKuToo運動の石川優実さんと討論イベントやったり、AbemaTV出演、少し前にはインセル集会「おぎの白饅頭」に登壇するなど、特に近年はリアルにも進出し、悪行を重ねている。
 Twitterの男女論を見ている人にとってヘイト集会となった石川さんイベントの惨状は悪名高く、当人は「議論・対話ができない人」「場の設定もできない人」という評価を確かなものにした(なお事前告知の段階から石川さんの行動が軽率という批判も多く、私もした)。
 広告や展示などへの抗議運動へのカウンターを具体的に何かするでもなく「オタクvsフェミニスト」の対立構造を煽り、ネットで女叩きをしたいだけ。以下がその議論。


 彼は「インターネットアンチフェミ」の一翼・表現の自由戦士の親玉格にあたる。自らネット論客を名乗っているが実質的に単なる扇動家であり、テロリストと言って差し支えない。活動歴もTwitterだけで10年と長い。
 そんな明確な、手の施しようがない差別主義者と対話して得るものがないことは安田もわかっていたはずだ。青識は後述するひろゆき同様、ネットで知名度があるところも一番餌を与えてはいけないタイプの人間。

 しかも、ツイキャスはこれが二度目。去年12月にもやっている。この時も私はTwitterでは批判した。


 前回は突発(安田が元々やっていた別のコラボキャスに乱入)だったが、今回は正式、大々的に。
 前述の、UL幹部の反応がこれ。
 このツイから「安田はULと無関係」という彼らの言い分がいかにデタラメだったかわかろうというもの。むしろこの半年間で悪化したというか、安田の影響力は強まっている。最悪の事態である。自分たちにとって致命的なスキャンダルなのに誰も意見しない、批判しない。そもそも事前告知の段階で止められたはずだ。私の批判メンションも、完全無視。

 ボスの言うことは絶対、それがホモソの掟である。残念ながら、彼らに自浄作用はなかった。単に無自覚なだけかもしれないが、かつての仲間をそこまでバカと思いたくない。
 結局彼らは体育会系やヤンキーなガキ大将は嫌いだが、安田というエセインテリのガキ大将が好きでその元に集まるホモソ集団でしかなかった。彼らにとってメンズリブとは、自分たちがそこそこ上に立てて、エンジョイできるホモソを見つけることだったのだ。UL・完

女性差別をコンテンツ化する罪

 繰り返すが、私は当該ツイキャスを聴いていないし論点は安田の喋った内容ではない。「公平対話」のステージに上がることそれ自体が罪だと言っている。
 ツイキャスとはいえフォロワーも多い者同士で、「公演」を成立させている。むろん安田ファンは安田の主張に賛同するだろうが、それは相手も同じで意味がない。互いに人間的価値を認め合っている討論ショーなのだ。愚かの極みである。ツイキャス依存者は、ツイキャスを私的な空間と思いがちなので始末が悪い。
 一方、クローズドな対話はあっていい。加害者に向き合うような、カウンセリング的なものは。本来のメンズリブ的集団での語りの場、あるいは1:1であれば非公開のネット通話や電話などするぶんには問題ない。たとえ青識相手であっても、それは個人の自由だ。

 安田は4部構成のトリだった。安田が断っても別の誰かを呼ぶだけだし、仮に3部構成でも当該キャス自体は行われただろう。しかしそれでも、良識ある人間ならこんなヘイトキャスに加担してはいけない。他のゲストはよく知らないが、対立相手であっても「私はリテラシーの低い人間です」と宣言しているようなものだ。恥知らずたちの宴と言っていい。
 今回、「プロレスで面白かった」という感想も見られた。そう、まさに「プロレス」にしてしまっていることが問題。男同士で勝手にフェミニズムを論じ、まあお気楽な身分ですこと。
 結局、「自分の議論には公開討論的価値がある」という奢りがあるのは安田も同じで、似た者同士なのだ(だからこれまでもTwitterで交流があった)。素人の与太話でしかないのに、言論人のつもりでいる。主義主張が違うだけで、中学生メンタルのネット論客というのがこの二人の本質。
 ちょうど同じ頃、ハフポの悪夢のような高崎さん・ひろゆきフェミニズム記事が炎上したばかりだ。
www.huffingtonpost.jp
 この記事の批判も長くなるので割愛したいが、実は今回のUL弾劾と本質的に同じである。差別主義者の話をわざわざ聞きに行く、それ自体が罪だ。


 これまでもトンデモ記事が多くハフポのメディアとしての体質は論外だが、仮に高崎さんがブログやツイキャスで同じ内容の討論をしていたらどうなっていたか。私的媒体であっても、炎上は免れなかっただろう。
 今回安田が炎上しなかったのはたまたま知名度・影響力が小さかっただけだ。文字よりも音声や動画の方が炎上しづらいという特性もある。だからこそ、味を占めて何度でも繰り返すし、今後も発生するであろうこの手の対話企画すべてをきっちり批判しておきたい、というのが本稿の主題である。

女性差別フェミニズムは政策的ワンイシューではない」と何度言えばわかるのか。素人がオモチャにしていいネタではない。ハフポ記事同様、フェミニズムへの侮辱であり簒奪行為だ。
 ULは、メンズリブ団体として一番やってはいけない行為に手に染めてしまった。フェミニズム関連の読書会や講演を聞きに行くほどの熱心さとは完全に矛盾する。やはり、ただのファッションだったのか。心から幻滅したし、軽蔑する。
 もう一度言う、ULはハフポひろゆき記事と同じことをやった。

ULへの提言

 さて、彼らの取るべき道は3つある。

  1. 安田との絶縁・無関係宣言(過去は消せないが今後)
  2. 女性差別など知らんというラディカル・メンズリブ宣言
  3. メンズリブやめます、フェミニズムいっちょかみ止めます宣言

 1. が私の本命だが、既に述べた通り安田大サーカスホモソ集団なので無理。2. は親フェミニズムなULメンバーたちには無茶な注文に見える。たしかにこれまでのスタンスとは真逆だが、転向は自由だしメンズリブの原理的には問題ない。
 3. は「ただのインテリサークルです!」と開き直ればなんとかなるという回避策。実はこれが一番ハードルが低い。ただ最近恥知らずにも「東京メンズリブ」をアピールし出しているし、プライドを捨てるのも厳しいか。その辺も「ナメられたら終わり」なホモソの権化で救いようがない。
 改めて、「うちゅうリブ」なんてキャッチーな名前は彼らにはもったいなかった。自分の文才が憎い(くどいようだが、名前を考えたのは私である)。愛着もあるだろうし改名しろとは言わない、せめて脱メンズリブ宣言だけしてくれ。

 元メンバーとしての弾劾は以上。期待はしてないが、ULの回答・宣言を待つ。
 もはや言うまでもないが、これからこんな危険団体(実際はトラブル対応能力がなく、無能なだけだが)に新規に参加してはいけない。主義思想を抜きにしても、私の事例からもわかる通り関わってもろくなことがないホモソ集団である(そもそも序列のできあがったホモソに後発で入っても旨味がない)。
 本稿では触れないが、さらにまずいことに安田は他のメンズリブ団体代表とも交流がある。「黒い交際」というのはこうやって広がるので、メンズリブに限らず団体をやる人はくれぐれもお気をつけください。そして政治感覚を持ってください。この記事やULのていたらくに意味があるとすれば、反面教師だ。ULのようになるな。
 まとめると、日本のメンズリブの夜明けは遠い…。運動史がまとまるのはいつになるやら。
 最後は没タイトルで締める。

うちゅうリブは差別主義者と馴れ合って差別に加担してる?ホモソ集団って?東京の恥って本当?離反した人間の言い分は?年収は?顔は?

ツイキャスの構造が大嫌いだ—「声」のシェアを握られている

 この記事から半年たった。改めて、ツイキャスが大嫌いだ。
maoukpp.hatenablog.jp
 依存症の方は、だいぶ治ってきたと思う。個人キャスは続けているが完全マイペースだし、リンクを開くことは減った。そもそも雑談型突発キャスは平日の深夜が多かったりするので。ここ数ヶ月で朝起きる時間が少し早くなったこともあり、ちょうどよく聴かなくなっていた。
 だがゆうべは、「明日休みだから」とあるツイキャスのリンクをクリックしてしまった。

1. キャス主が見えない(ブロックしているので)コメント相手と会話を始める
「あ、これは」
2. コラボキャスの話になる
「やるなよ、絶対にやるなよ」
3. コラボキャスが始まる
「グワーーーッ!!」→ブラウザ閉じる

 まさにコミュニティからの排除、嫌な気分だけが残る。で、怒りのツイートがこれ。


 実は累計、3回以上くらっている。腹が立ったので、今回の記事となった。被害妄想だって? それは認める。
 そんな(死ぬほど嫌いな人間とコラボキャスする)奴のキャスは聴かなければいい—その通りである。そんなことはわかっている。だが、小っ恥ずかしいことを言うと私は彼が好きなのだ。一人喋りや、信頼している人とのコラボキャスは面白い。

 芸能人のラジオならこういうことはない。事前にゲスト告知するから、ゲストが大嫌いならその回は聴かない、ということができる。一方突発ツイキャスだと、いきなり始まって地獄を見る。
 何かいいゾーニング方法はないだろうか。コラボキャスが始まった時点でアラート出すか、強制的に閉じるかしてほしいが、webサービスが自らPV減らすようなことしないだろう。単にシステムの仕様が悪いとか機能不足とは言い切れず、なかなか厳しい。機能面で唯一言えるのは、録音データのコラボキャスは「誰とやっているか」を明示してほしいくらい。

 前回(冒頭のリンク先)記事でも、マス相手なラジオ的ツイキャスではなく、内輪サークル化した雑談ツイキャスを批判していたわけだが、構造的にそうなりやすい特性がツイキャスにはある。なので以後こちらを「ツイキャス」と表記する。こちらが一般的だと思うからだ。
 前回記事で「ツイキャス依存者は、ツイキャスをプライベートな空間だと思っている」と書いたが、ツイキャスの本質は「ギャラリーのいる店主と常連客の会話」ではないかと思う。
 バーのような小さい店で、マスターとカウンター席の常連が喋っている。その会話を周囲の客が聴いている、という状況。で、その会話相手の常連が嫌いな客は「じゃ、お会計で」とそそくさと立ち去るしかない(リアルだとそれも角が立つから、しづらいだろう)。
「私は、あなたの声と話が聴きたい」のに強者が割り込んできて、そいつとのトークを始める。…ホモソすぎてうんざりする。学校の教室でもこういうことあったね。猿山のホモソ王にはその自覚がないだろうけど。

 最近はLINEが主流になって、家族友人間でも電話することは減った。でも特に用事がなくても声を聴きたくなる、というのはある。『DAN DAN 心魅かれてく』でも「何かあると一番(すぐ)に 君に電話したくなる」という歌詞がある(作詞・坂井泉水さん)。
 ネットの知り合いの声を聴くのは、私はツイキャスしかほぼ使ったことがないが、音声チャットを積極的に活用した方がいいんだろう。なんとなく「1:1通話今からしようぜ」というのはハードル高いし、テキストなら応答はいつでもいい気楽さがある。どうもその弱さに、つけ込まれている気がする。

 我々ネット民はいま、ツイキャスに「声」のシェアを握られている。コラボキャスの汚染は防ぎようがない。だから、ツイキャスに依存せず「声」を取り戻さないといけない。勇気を持って、行動を起こす時だ。