うたうポリゴン

魔王K++(ケープラ)のポータル兼個人ブログ

対権力テロを肯定するための3原則

 はじめに断っておくが、今回は法律論ではない。政治論、正義論だ。この言葉の意味がわからない人は読んでも無駄だから、今すぐブラウザを閉じろ。政治テロの肯定は「いつでもどこでも、誰でも襲ってもいい」ということではない。原則論として暴力は否定されるべきで、通り魔殺人のような犯罪は論外だ。そんなことはわかっている。政治テロはそういう話ではない。
 もしこの記事で私がはてなブログを垢BANされるようなことがあったら、それはこの国の言論の自由が終わったことを意味する。最悪のリスクも想定し、あえてこの記事を出す。

 今「テロの詳細を報道するな!」と発狂しているネトサポ=自民信者はとても香ばしい一方で、「テロなんか意味ない」と冷笑する反自民の左翼・リベラルにも私は同意できない。短期的な影響は認めつつ、長期的に見れば意味はないというのが彼らの主張だが、本当にそれ、言い切れるの? 歴史が評価することだよね。
 リアルタイムな事件だと生々しすぎるので、こういう時は歴史に学ぼう。桜田門外の変も知らないような低能はこの記事を読まなくていいので今すぐブラウザを閉じろ。


 明治維新というのは、言ってしまえばテロリストたちが勝利したようなものである。結果的に正義となったのは、歴史の評価。仮に徳川幕府よりもひどい政治だったら、今でも志士たちは全員テロリストだったはずだ。政治テロにはそういう難しさがある。

 今回のテロへの肯定的な感想をツイートしてたら、バズってもいないこんな泡沫垢の私にもどこからともかくネトサポからのツイートがたくさん飛んできた(通報しました系、公開リスト追加がとても多かった)。テロは完全な未遂で岸田文雄は無傷だったのにそれまで余裕をぶっこいていたネトサポ=自民信者たちがこれだけ発狂している時点で、これこそがテロが最大に効いてることの証明。なので私はこの手のテロは当面肯定したい。「お前らが政権取ったらテロに遭うんだぞ!」と言われても、それはその時になってから考えますというだけ。そんな日はまず私が生きている間には訪れないので、次の世代にがんばってもらおう。
 とはいえ、テロを肯定する以上それなりの条件・原則はまとめておきたい。ネット上でただの過激派とやべーやつと思われてもいっこうにかまわないが、まともなフォロワー・読者のためにきちんと言明しておきたい。

 私が今テロを肯定するのは、20年くらい投票してきたが社会は何も変わらないという絶望がある。投票率が絶望的に低いし、仮に上がったところで愚民(後述)が過半数を占めている時点て詰んでいる。
maoukpp.hatenablog.jp
 本題ではないので割愛するが、今のこの国は一定の制限選挙、新秩序の革命が必要な状況下にあるというのが私の本音である。
 旧民主党政権が失敗に終わったことも大きい。今、仮に野党が政権を取ってもそれは旧民主党政権のように一時的なもので終わるだろう。単純に政権運営能力がないというだけでなく、官僚がボイコットするのと、経済界も協力してくれないなど、外部的な環境が厳しいからだ。健全な二大政党制になるまで、逆のテロは起こりようがない。なので自民党には今後もテロに怯えながら頑張っていただきたい。政治テロには国民を舐め切った権力者の肝を冷やす、とてもいい効能がある。

maoukpp.hatenablog.jp
 当時、テロそのものへはブログでは言及しなかったが、山上徹也さんの銃撃事件がなかったら、統一教会問題など注目されなかった。テロには権力者だけでなく大衆の目を覚まさせる効果が、たしかにある。


 なので私は、鈴木エイトさんの意見とは異なるが、犯罪・暴力であっても功利主義的に結果論(歴史的な意味では期待値)で時にはテロも肯定したいのである。前置きが長くなったが、その条件を以下に示す。

  • ターゲットの権力性・強者性が圧倒的で、犯人との非対称性が絶大であること

 これがまず大前提となる。逆に、強者(権力者)が弱者を弾圧するようなテロを「白色テロ」と言う。第二次安倍政権以降の自民党政権憲法無視でやりたい放題、メディアを押さえ込み、公金を使ってネット工作にいそしみ(dappi事件がその象徴)大衆を洗脳し、「都合の悪いことはすべて野党のせい」野党叩きが娯楽でナチュラルに嫌韓WBC熱狂の裏でも散見された)のネトサポ=自民信者を大量に生み出すことに成功した。一言で言えば、勝ち馬に乗りたいだけの愚民。政治教育の敗北、政治工作の成功。中国やロシアばりの、いちおう選挙はあるが何万回やっても野党は勝てない盤石の体制を自民党は確立した。この状況下で選挙・投票が絶対の「選挙原理主義」を主張する左翼・リベラルも頭が悪いと思う。議会制民主主義の原則論、中高生向けの教科書ならそれが正しいんだけれども、そんな次元の話はしていない。

  • 一般人を殺さないこと。逆に警官・SPの犠牲は職務上やむなし

 なので、911テロは論外。さすがにこれを賛美する人と一緒にされたくはない。結果論だが警官1人がかすり傷なだけの今回の木村隆二さんの得点は相当高いし、ターゲット以外誰も傷付けなかった山上徹也さんは改めて神なのである。ただ、今回の漁師のように止められそうになった相手は単なる一般人とは言えないので、このあたりを殺傷した場合はグレー、難しい判定になる。また、テロ後にパニックになった群衆による二次被害は犯人の責任ではないので、ここは問わないことにしたい。

  • 犯人の動機・思想信条がしっかりしていること

 既に述べたテロの犯人二人にはネトウヨな要素もあったようだが、思想信条は別に100%同意できなくてもいい。むしろ、行儀がいいだけ、Twitterのエコチェンで気持ちよくなっているだけの無力なリベラルよりも私は真性の右翼の方が好きだったりする。大切なことは、テロの直接的な動機である。
 山上徹也さんの統一教会2世信者の事情はすでにおなじみだろうが、木村隆二さんの安倍国葬批判、そして供託金批判(これは現政権以前の問題だが)もまっとうなものである。詳細は以下のツリー。


 これだけでテロを起こしていいとはならないが、動機が共感できるかはとても重要である。その上で、失敗に終わったとはいえ実行力を評価したい。よく爆弾はネットの知識で「簡単に作れる」というが、実際に作れる奴は多くないだろう。テストしないといけないし、誤作動したり火薬の量を間違えたら危ないし完成品を仕上げるのはなかなかの仕事。不器用な私なら、製作中に死んでいるだろう。

 まとめると、「上記の3つの条件が整っていれば、テロを肯定してもいい」というのが私の政治信念である。異論は認めないが、その表現・言論の自由憲法で保障されているので守る。

『ブラッシュアップライフ』は連ドラという表現を生かし切った名作【ネタバレあり】

 以前特番で見たバカリズム脚本のドラマはイマイチだったのだが、この作品は歴代でもTOP5に入る面白いドラマだった。最終回を迎えしばらくは「ロス」状態だったせいか記事が書けなかったが、なぜ面白いのかを未見の人向けに、言語化していきたい。
www.ntv.co.jp
 公式によると、「地元系タイムリープ・ヒューマン・コメディ」。主人公・麻美(安藤サクラ)はどこにでもいる33歳で、いきなり事故で死んで子供から人生をやり直していく。ポケベル、ガラケーに始まり、たまごっち、ゲームボーイアドバンス……といった機器だったり楽曲だったり、懐かしい要素が数々登場する。中学校の嫌な教師など、あるあるに満ちた世界観である。アラサー以上であれば鉄板の楽しさ。バカリズム自ら演じる案内人(死後案内所)と麻美の会話はまんまコントで、本人の強みを生かしている。
 タイムリープものはだいたい、

  1. 主人公がある時タイムリープ能力(あるいは道具)を手に入れる
  2. 最初はくだらないことにその能力を使うが、徐々にシリアス展開になる
  3. 後半・終盤になると主人公以外にもタイムリーパーが現れる

 こんな展開である。本作も実はこの王道をなぞっている。ただし、普通タイムリープは一定の時間なのに対し、「赤ん坊から人生を丸々やり直す」ところが新しい。大谷翔平のような、優秀すぎる人物を評して「人生何周目?」ということはあるが、物語として丸々幼少期からやり直す(それも5周も)という展開は新しかった。これは2時間の映画では不可能で、連ドラという尺が必要不可欠。
 やり直し人生の幼少期は子役で、頭脳は大人なのでナレーションは成人の主人公というところがいい。不倫を阻止するといった、くだらない奔走をするところが楽しい。
 これらは全て、映像だから面白いのだ。小説や漫画・アニメでも表現できなくはないが、面白みは薄れる。繰り返される同じようなシーンも役者が演じるから表情などが微妙に違っていて面白い。主人公・麻美も周回ごとに地方公務員→薬剤師→テレビマン(AP)→医者(研究医)→パイロットと職業を変え、別人のような雰囲気を出すところがさすが役者。

 8話で主人公以外のタイムリーパーである真理の正体とこれまでの経緯が説明されるが、彼女の行動は少し疑問が残る。2周目でパイロットになれたのなら3周目は余裕のはずで、仲良し4人組と疎遠になってしまった失敗は取り戻すはずなのにそれをせず、その後の周回でもずっと疎遠のまま。麻美が医者を目指した4周目、パイロットの5周目に忙しくて疎遠になってしまったのは自然だが、真理の場合はおかしい。最終回で真理と麻美が最後の人生で4人での友情を取り戻す、その感動のための「タメ」、演出でしかない。
 元より転生ややり直し回数がどういうシステムなのか、「徳」とはなんなのか、なぜ記憶を引き継いだまま人生をやり直せるのかとか細かいSF部分は深く考えずに楽しむ作品で、そういう緻密さを求める人にはこのドラマは向いていない。そこはいいのだが、真理の強引な人物描写は少し気になる。よく疎遠になって100年以上もたつ相手のために、パイロットになって事故を回避するモチベーションを維持できたものだ。

 上記の2.で書いた通りで、話の筋としては終盤は結局「大きな物語」に向かってしまう。しかしその詳細というか着地点はやはりコメディであり、最後は感動を呼ぶ造りになっている。最後まで「らしさ」を失わず、連ドラってこういうものだよねという綺麗なまとめ方だった。
 小ネタ満載のエンタメ=長尺のコントとして楽しめばいいドラマではあるが、「人間の幸せとは何か」というテーマもあるのだと思う。本作では恋愛や結婚がほとんど出てこないところも特徴的(麻美が2周目以降、同級生を全く好きになれなくなるのはリアル)で、おそらくメインの4人は生涯未婚(断定はできないが)。そのあたりもイマドキだが、幸せな家庭も描かれておりポリコレベッタリの嫌らしさは全くない。
 大人になっても関係が続く地元の友達、年齢に比例していなくなるものだろう。それもまたドラマならではの、一種のファンタジーなのかもしれない。私には一応続いている地元の友達がいるが、カラオケにはもう何年も行っていない。久々にカラオケに行って、粉雪を歌いたい。北熊谷市(架空)にも行ってみたいし、いつかはあの案内所でバカリズムと会話したい。

「推し活」賛美に物申す―消費に貴賤はあるのか

本編

 近年、やたらと「推し活」が推されている(重複)。
www.nhk.jpwww.nhk.jp
 マスコミの論調だけでなく、ネットでもそうだ。曰く、「推し活は素晴らしい。人生が豊かになる。夢中になれる趣味を持つべき」といった論調。上記のクロ現では「推し活に理解のある企業くん」を紹介し、「推し休暇」なんてものがあるそうだ。いち民間企業の制度なので自由にやったらいいが、そこでは逆に推し活してない人間、趣味のない人間が肩身の狭い思いをするのではないのか。いい歳した大人、それも既婚子持ちが二次元・三次元問わず特定のキャラクターに依存し時間と金銭を浪費している姿は、正直見れたものではない。異常者オタク、控えめに言っても単なるアダルトチルドレン*1ではないか。
 また、推し活自体が報道ではフィルタリングされているのも問題である。宝塚やジャニーズファンはOKだが、AKB系アイドルのCD1000枚買うオタクは取り上げられない。歴史人物のキャラクターやゆるキャラのグッズを買い込むのはOKだが、部屋中が美少女フィギュアのオタクは取り上げられない。推し活を推しているくせに、ランク付けをするな。
 こんなものは公平な報道ではない、これは放送法違反だ! 総務省は仕事しろ、高市先生、お願いします! ……いや言論弾圧をする気はないが。NHK含めマスコミは世間の空気を報道しているだけだし。

 いつからこうなったのか。「フィギュア萌え族」発言があったのは2004年。
フィギュア萌え族 - Wikipedia
 批判もされたとはいえ、当時はまだまだオタクは肩身が狭かった。2010年代になるとインターネット時代になり、オタクが市民権を得ていく。国もクールジャパンを言い出し、海外にもファンが多い日本のオタクコンテンツは(特に産業や科学技術で落ちぶれた今となっては)貴重な輸出資源だ。2010年代後半からはだいたい今と同じだが、特に新型コロナ以降は不景気なせいか、より推し活賛美がひどくなっている。

 これと関連した話で、近年は「体験推し」も随所に見られる。節約vs浪費を考える時に、「体験」には金をつぎ込んでいいという思想だ。高級家電など、「毎日使うようなものは贅沢していい」とかいうコスパ理論も組み込まれている。
 しかし、何が節約で何が浪費かというのも、究極的には個人の生活スタイルによるし一概に言えたものではない。たとえば自販機とかコンビニはよく無駄と言われるが、そこまでの散歩が毎日の運動源となっている場合は無駄じゃない。「体験にお金を払う」のは正とされるが、じゃあキャバクラやホストクラブ、風俗やパパ活遊びはいいのかっていうw
 コンビニ浪費は悪で、「推し活」は体験だから正? むしろ自己啓発だ? そんなのなんとでも言える。前者だって突き詰めればコンビニマニア、コンビニ評論家になれる。「体験」の習い事だって、意識低くダラダラと続け単なる浪費で終わるものだってあるだろう。旅行だってそうだ。ソシャゲに金を突っ込むのは露骨な浪費だが、入院生活などでスマホしか娯楽がない人、それが生きがいな人にはそうとも言い切れない。なじみの飲食店に通うのは趣味=体験だからOK? 浪費?

 要は皆、「自分の消費は浪費ではない」と正当化したいだけなのだ。大前提として、可処分所得をどう使おうが人の自由である。自分の消費にケチをつけられたら「うるせぇ」だし、他人が何で浪費しようが、とやかく言うつもりはない。ただそれは、客観的には往々にしてみっともない姿なので、それをことさら報道したり、まして賛美するのは絶対に間違っている。
 著書やグッズ販売などの商売をしているインフルエンサーが、推し活を賛美するケースも多々見られる。いやそれ、自分のビジネスを正当化しているだけだろ。ファンに向けて「自分で推し活しろ」などと、よくもそんな恥知らずなことが言えたものだ。
 ところで、私のファンになり私に推し活するのは素晴らしい行為である。何も矛盾はしていない、私は特別なのだから、すべてが浪費ではなく崇高で、気高く、美しい消費である。俺で推し活の練習しろ。

10/30追記

 この恋人持ち男性の、悲痛な叫びを聞いてほしい。独身非モテ貴族なので、「恋人が自分以外の異性を大好きと言い、金と労力を費やす」というケースを想像していなかった。
mstdn.jp
「対象が異性の推し活」は、さらに一段みっともなさが上がると考えるべきだ。男のアイドルオタクはキモがられるのに、女性のジャニーズ(などの男性アイドル)ファンはなぜか社会的に許容される男性差別も大いに問題がある。SNSをフォローし、テレビやラジオのレギュラーをチェックし、円盤を(1枚)買うくらいの、常識的なファンのラインを超えた、労力と金を厭わないファンはすべて異常者の振る舞い、日陰者として生きるべきで、「推し活」なんて言葉で美化するのはやめるべきだ。これも国家として末期的な、退廃文化なのだろう。

*1:一部のオタクやクリエイターを、私は本来のACとは違う意味でアダルトチルドレンと呼んでいる。ピーターパン症候群みたいな露骨な子供っぽさ(自己中、身勝手、すぐキレるといった)ではなく、表面的には発達している、子供「趣味」の、「社会性のないオタク」といった意味合い。本来の機能不全家庭出身者と重なる部分もありそうだし、しっくりくるので。露悪趣味だったり、斜に構えることがカッコイイと思ってたり、通ぶったり、いわゆる「厨二病」のニュアンスも含まれる。

『ポケモンSV』レビュー:オープンワールドとの親和性は高いが、Switchゆえの限界も。次ハードが本命?

 私は数年前に『ポケダンDX』にハマり、それからポケモンを知るようになったが、ゲームの本編というか本流の作品をプレイするのはこれが初めてである。したがって過去作との詳細は比較はできない。「剣盾のほうがよかった」という声が多いのは残念だが、実際どうなのかは私も気になるところ。

概要・ゲーム紹介

 言わずと知れた、ポケモン世界のポケモントレーナーの物語。今回最大の特徴はシステム的には「オープンワールド」、ストーリー的には「学園もの」となる。オープンワールドは『剣盾』→外伝『アルセウス』で徐々に取り入れられ、今回で完全版といった感じ。「学園もの」には裏の台所事情もありそうだが、別にやっていることは同じで特にゲーム性に影響はない。本編のメイン3ルートを約20hで、最終編までで約22hでクリアしたので、そこまでのレビューを書く。

ここがイイ

新しいポケモンと新しい地方

 シリーズファンにはこれがあるだけで十分魅力的だろう。今回戦術面では「テラスタル」が新要素(メガシンカ、Zわざ、ダイマックスに続く切り札)となる。対戦ガチユーザーではないのでそこの評価はできないが。

快適な操作性

 基本操作のUI周りに大きな不満はないが、プレーヤーのプロフィールがマップ画面からの表示というのが謎。また、「イマイチ」に挙げたが動作は微妙。

没入感のあるオープンワールド

 広大なマップを宝探しするだけだと飽きてしまうが、ポケモンのゲームなので「場所・時間帯(ゲーム内時間)によって出現ポケモンが違う」という武器がある。そのため、オープンワールドとの親和性は高い。大自然(砂漠から雪原まで揃っているのはRPG世界のお約束)とポケモンが調和している。また、冒険の拠点となるポケモンセンターが今回は屋外で、マップ切り替え不要。そしてカウンターが正面背面どちらからでもアクセスでき、3Dゲームにありがちなストレスを軽減している。高所から、ポケモンセンターの屋根に着地するのは楽しい。

快適な移動

 最初から主人公は乗り物(コライドン/ミライドン)を持っており、移動は快適。ロック機能解放でさらに快適になる。滑空はとても楽しいし、習得後はマップ選択瞬間移動「そらをとぶ」も可能になる。

快適なお任せバトル

 詳細は以下だが、レベル上げがとても快適(完全放置とはいかないがセミオートでいける)にでき、敗北→レベル上げのやり直しにストレスがない。
パルデア地方の探索に便利な「レッツゴー」 | 『ポケットモンスター スカーレット・バイオレット』公式サイト

意外といいストーリー

 ストーリーにあまり期待はしてなかったが、「スター団」討伐編は思ったよりよかった。万人向け、親目線で子供でも安心なところはさすが任天堂である。ものすごい悪人やクズは出てこないし、作中の大人は皆まともという世界観はおそらくシリーズ共通。ジム巡りは接待プレイ、茶番感がひどいがまあ昔からこんなものだろう(本編クリア後の再戦で本気出すという、ゲームのボスキャラあるあるではある)。

適度な本編ボリューム

 本編で22h程度と長すぎず短すぎず、ちょうどいいボリューム感(クリア後のストーリーもある)。広大な世界なので、DL追加コンテンツでまだまだ楽しめそうな余白を残している。

大きい町は少なく、広すぎない世界

 スタート地点の学園都市テーブルシティの巨大さには圧倒されるが、以後そこまで大きい町は出てこない(全部で「シティ」が3つ、「タウン」が9つ)。学園内はコマンド移動と、プレーヤーが混乱しないよう適度なバランスを取っている。

声優なし

 任天堂ゲームではおなじみだが、やはり強調しておきたい。ゲームに声はいらない。

ここがイマイチ

キャラクターが地味かつ変

 以前書いた記事の通り、やはり少し違和感はある。個人的には男女問わずヴィジュアル的に惹かれたキャラが一人もいない。王道的なカッコイイ・可愛いキャラが不在で、ぱっと見で性別不明のキャラが多すぎて胸焼けする。モブキャラにオッサンが多かったりするのは気にならないが、ルッキズムのないエンタメって、イマイチよね。キャラの見た目なんてプレイに影響はないと思ってたが、長時間(ゲームなので)特定の思想を見せつけられることでフラストレーションは蓄積されていった。ポリコレをやるなら人種・民族・年齢やLGBTだけでなく、車椅子キャラでも出せばよかったのに。ポケモンはトレーナー自身が戦わないから、RPGでは珍しくキャラに障害があっても成立するのだが。
 ジェンダー批評的なことを書くと、ポケモン世界、作中のテンプレジェンダーこそなくすべきではないのか。


 また、学園ものにしては同年代のキャラクターが少なく、もう少し多くてもよかったか。ただジムトレーナー+四天王+チャンピオンだけで10人以上もいるので、キャラが多いと覚えづらくごちゃごちゃしすぎてしまう面はある。
 余談だがアオキがジムリーダーと四天王を兼任しているのは不自然で、キャラクターが一人間に合わなかったか、急遽ボツになった疑惑がある。ちなみにアオキ、いいキャラだがポリコレ的には日本人の大人男性=サラリーマンというステレオタイプを助長しており、よろしくないのでは?(国内では社畜自虐ネタで通るが、海外で)

図鑑機能がしょぼい

 UIはいいのだが、図鑑で検索、タイプ別の表示などができない。ソートはあるが、重さ・高さなど誰が使うんだという機能ばかり(種族ステータスでソートさせてほしい)。作中ではスマホアプリという設定なので、あまりにお粗末。攻略サイトを見ろということだろうか。公式のweb図鑑は、まだSVのポケモンは入っていない→【2023/1追記】追加された。
zukan.pokemon.co.jp

「自由な冒険」は茶番

 公式サイトでも「自由度の高さ」をウリにしているが、これは嘘。各クエスト(3ルートの冒険8/5/5)の敵の強さはちゃんと決まってるから、結局3つのルートをそれぞれ弱いところから進めるしかない。フリーシナリオ的にしたはいいが、このへんは造りが甘いというか「事実上ほぼルートは決まっている」という認識でいた方ががっかりせずに済む。クエストはロック機能の解放になっているので、無視してポケモン集めだけをするというわけにもいかない。本当に自由にどこへでも行けるのは本編クリア直前あたり、移動機能がフル解放されてから。

モカットができない、テンポが悪い

 バトルのわざ演出カットができず、長くなりがちでテンポが悪い。特にテラスタルが長くうっとうしい。四天王連戦で特にそれを感じる。ストーリーの会話も既読スキップ機能なし。シンボルエンカウントからバトル開始までの時間も少し気になる。

処理落ち・強制終了

 処理落ちはSwitch Liteではちょくちょく発生する。一度だけフリーズ、強制終了したこともあった(【11/28追記】その後もう一度発生。いずれもバトル中ではなくフィールド)。これはもうSwitchの限界もあるだろうが、近年のオープンワールドはどうしても要求スペックが張る。初代Switchでテレビ大画面では厳しいのではないだろうか。逆に次世代になれば問題なくなり、楽しみではある。処理落ちはまだ許せるが強制終了はストレスがひどいので今後のアップデートに期待というか、してもらわなければ困る。
【2023/2追記】発売から3ヶ月、2/28にようやく更新されたが、これでどこまで解消されるかはユーザーの声を待ちたい。
www.pokemon.co.jp

マップ・ナビ機能が貧弱

 これはオープンワールド系ゲーム全てに言える不満なのだが、目的地を設定しても方向しか表示されず、実際に移動できるのかどうかが試さないとわからない。高低差があると、平面図だけでは目的地もわかりづらいことがある。ナビが強すぎると自由な冒険感はなくなってしまうし、バランスは難しいがマップはもう少しなんとかなったと思う。さらにミニマップが見づらい。
 また、リアリティ+ポケモンの出現にも関わるので仕方ないが、ゲーム内時間で夜になると画面も見づらい。また、サイズが小さいポケモンは見落としやすいため意図しないエンカウントが多発する。マップ選択瞬間移動「そらをとぶ」も、もう少し移動可能ポイントを多くしてほしかった。
 【12/3追記】動作・操作感はこちらの記事に詳しい。正直、今からリメイクを期待したくなってしまうデキ。
jp.ign.com

ゲームに慣れてない人は厳しい

 上記からイマドキのオープンワールドRPGや、3Dアクションゲーム(左右スティック操作)に慣れてない人には敷居は高くなっているので、注意が必要。逆に「このポケモンSVのおかげで馴染めた」という人も出るだろうが。

学園ものとしてはチグハグ、失敗作【2023/5追記】

 キャラクターの項でも書いたが、教師たちもなかなか個性的な見た目をしていて濃い。それはいい(例によって数学教師が女性、家庭科教師が強面のオッサン、バトル学(体育のようなものか)教師が女性と露骨な反ステレオタイプ)のだが、せっかくキャラがあるのにもったいない。
 やり残していた授業と教師とのサブイベントを消化したが、中身のない授業(ほとんどゲーム内知識)とテスト、サブイベントは移動して会話するだけ、それも本筋とはほぼ無関係であり、なんとも虚しい。すぐにいつもの冒険をしたい従来のファンに配慮したんだろうが、各授業の1回目くらいはオープニングで強制でよかったんじゃ? 学園ものとしての要素があまりに薄すぎる。同級生キャラの不在はここでも大きく、主人公に友達がいなくてかわいそうになってくる。今回はあくまで、変化球としての舞台装置だったのだろうか。
 教師陣とは本編クリア後の学校内のバトル大会で戦うこともでき、まだからみは多い方だが、ジムリーダーにしろスター団にしても、「出てきてただ倒されるだけのキャラクター」が多すぎる。これはシリーズの元からの悪癖なのかは知らないが、せっかくデザインしたキャラが非常にもったいない。アニメや派生作品で再利用する前提?
 余談だが、ガンダム『水星の魔女』との共通点でもある。シリーズものの新作を学園ものにしたがるトレンドでもあるのか?


 余談ついでにガンダムで例えると、『SEED』でミリアリア、サイ、トール、フレイといった学友キャラが出てこないようなものである。いなくても一応成立はするが、彼らがいないとキラという人物の生活感がなくなってしまう。

まとめ

 新作RPG自体を久しぶりにプレイしたがさすがの任天堂感で、健全さがすごい。もう声優がしゃべるだけのオタク向けRPG(いわゆるJRPG)はやる気がしない。
 初の完全オープンワールドということで、技術的に決して「名作」と呼べるほどの完成度ではないが、ポケモンだけに今後の「進化」に期待したいところ。おそらく次ハードになるであろう次回作に期待。実際ある程度ゲーム慣れした人向けだし、ポリコレ全開の性的魅力のないキャラクターたちに対しても覚悟は必要で、万人向けとは言えない。
 無料体験版はなく、触ってみないとなかなか理解が難しいところはあろうが、幸いユーザーは多いのでプレイ動画は腐るほどあるだろうし、友達・知り合いのものを触らせてもらうのがてっとりばやい。
 はたしてこの歳でイチからポケモン本編になじめるかという不安はあったが、杞憂だった。やり込み・対戦はあまりしなそうだが、ようやく私もポケモントレーナーデビューができた。これまでツッコミを入れてきた異常者、狂人の世界の仲間入りを果たしたのである。メインの目的は果たせたので及第点はあげたいが、「布教」するほどの名作ではなかった。

大魔王バーンはロン・ベルクに魔甲拳を作らせるべきだった―『ダイ大』新アニメ完結に寄せて

 こんな考察はとっくにされてるだろうと思ったら、ググってもヒットしなかったので記事にしてみる。まず、『ダイの大冒険』新アニメは素晴らしいクオリティのまま無事完結を迎え、その業績を讃えたい。旧アニメは途中で終わってしまったので、ようやく映像化で完結を迎えることができた。
www.amazon.co.jp

 さて、本記事の本題は大魔王バーン。彼の敗因は戦略的にはいくつか指摘できるだろうが、戦術レベルで考えると、装備=丸腰だったと言える。ダイにはロン・ベルクの力作「ダイの剣」があったが、バーンには何もなかった。この差が、勝敗を決した。
 彼は老バーン形態の光魔の杖で満足せず、真バーン形態での装備を用意すべきだった。ロン・ベルクに魔甲拳のようなものを作らせればよかった。バーンは格闘と魔法、魔力と闘気で戦うスタイルだから刃物武器は不要としても、最強の肉体()ゆえにディフェンスを怠った。防具があればダイとの戦いで片腕を失うことも、心臓を一つ失うこともなかったかもしれない。

 真バーン形態に「魔力→物理」変換の光魔の杖はたしかに不要だが、動きやすいよう腕や拳につけるタイプの魔力増幅装置あるいは闘気増幅装置をつけて戦えばさらに強かっただろうに。特に防具は重要で、ロン・ベルクの鎧シリーズでは電撃(=ダイ戦ではライデインストラッシュ)には無力だが、それ以外には優秀なのでこれをつけない手はない。まあ生身で自分より強い敵など存在しないとわかりきっていれば、いちいち武器防具を装備するのは面倒だし、重い。

 強すぎるがゆえの驕り、強敵とは戦い慣れていない経験不足。それがバーンの破滅につながったのではないか。もっともこれを言い出すと、ダイもロン・ベルク製防具をつければカイザーフェニックスを防げた(せめて軽減できた)可能性が高い。ある意味では、お互いにセキュリティの甘い戦いだったと言える。

匿名ネット論客の不倫スキャンダルは、成立しない争いでは?

 名前は伏せるが、ある匿名の男性ネット論客がW不倫、それも子持ちというスキャンダルが上がってきた。暴露された男性は弁護士を使い、民事訴訟の構えである。が、そもそもの話として。
 匿名の人間の不倫=既婚かどうかってどうやって証明するんだろうか。相手方女性がそうだというのは、関係がこじれたあとのMeToo的暴露ならわかる。ただ、問題は暴露された男性側。その女性がチャットなどで「俺も既婚子持ちなんだよ」と男性に言われたとしよう。しかしそれは、カミングアウトした女性に対し、その場を盛り下げないための嘘とも取れる。第三者が戸籍や保険証などを見ることはできない。まして子持ちかどうかなど身元が割れてない限り、証明の術がない。Twitterやブログなどで、あらかじめ本人が既婚だと言っていればまだしも(それも単なるキャラ付けの嘘かもしれないが)、オープンにしていない情報が正だと外野が証明するのは事実上不可能。
 芸能人の不倫が盛り上がるのは、まず既婚であること・子持ちであることが周知の事実であるから。結婚時点で大きく報道されたり、既婚者であるとメディアの前で公言していればそれが嘘であることはまずない。だから、そういう男性が奥さん以外の女性と交際していれば問題となるのだ。
 なので匿名の人間の場合、奥さん本人の証言でもなければ、つまり夫のTwitterアカウントを知っていなければ証言もしようがない。だがTwitterを浮気に使う夫が、奥さんに自分のアカウントを教えるだろうか。普段から生活感を出さないツイートをしていれば、奥さんにバレることもまずないだろう。

 私もデマによる誹謗中傷は受けたことがあるが、これはあくまで「迷惑DM」である。議論で意見が対立したことを「迷惑」かどうかは主観なので、なんとでも言えてしまうところが厄介だった。かえすがえす主張するが、この件にセクハラ・性的なニュアンスは一切ないのにそう解釈されるような言い方がきわめて悪質だった。
maoukpp.hatenablog.jp
 だが、不倫となれば話は変わってくる。一方的な讒言には無理が出てくる。仮にそれが事実だとしても、夫側がそれを自白する必要はないので暴露・告発側がそれを証明する必要がある。そんなことできるだろうか。法廷での偽証は罪になるが、反対尋問でもそんなことは答える必要がないだろう。悪用すればいろんな情報が引き出せてしまうのだから。

 つまり、単なる恋愛スキャンダルならば成立するが、「匿名垢が不倫=既婚者であるかどうか」は、婚約詐欺のような刑事事件にでもならない限りは成立しない。個人のプライバシーだからだ。なので本件の暴露・告発側は筋の悪いことをやっているなという印象である。なんとか本名と身元を特定し、探偵雇って調べるしかない。別に男性ネット論客を擁護するわけではないが、こういうことを突然私が言われたら相当困惑すると思うし、泣き寝入りするか、弁護士雇って闘うしかないだろうとも思う。
 Twitterのスペースなどから仲良くなって関係した後、その後こじれた相手から暴露されることはネット論客なら覚悟しないといけない。同じことがあっても普通の人間なら、暴露する価値もないというか相手にされない。余談というか妬みだが、私なんかツイキャスがゼロリスナーで絶えず打ち切りの危機にあるんだぞ。羨ましい限りだ。俺で恋愛スキャンダルの練習しろ。

ポケモンのポリコレ対策の本丸は「学校」、ゆたぼん問題ではないのか

 11月発売のポケモンシリーズ新作『SV』(リンク先公式)、女性キャラクターが可愛くないと評判である。たしかに私もそう思う。
【悲報】ポケモン新作、公開されたキャラに魅力がなさすぎると話題に【ポリコレ ポケットモンスター スカーレット バイオレット 】 - Togetter
 キャラクターデザイン全般が「洋ゲーっぽい」「ポケGOっぽい」「教材っぽい」「ポリコレに屈した」などと言われており、海外展開(特に欧米)を意識し、そうせざるを得なかった。日本の萌えオタなどどうでもいいというビジネス判断である。萌え絵には批判的な私でさえも、ちょっとやりすぎているように思える。
 任天堂株式会社ポケモン)のポリコレ対策は万全である。スプラトゥーンシリーズは、最初から海外展開を狙ったキャラクターデザインをしているように見える。
 が、今回記事の本題はそこではない。キャラクターデザインよりも、重要なのは「学校」ではないのか。

 ゲーム・アニメともポケモン元々ファンキーな世界観で、10歳のサトシが学校に行っていないことはわりと有名である。詳しくは以下の記事たちだが、
 アニポケの公式設定とも言えるのがこれ。
【ポケモン】予想以上に深い、『ポケットモンスター』の裏設定まとめ - RENOTE [リノート]
 生態系について詳しくはこちら。初代ゲームは動物がいたり色々と面白い。
【画像】ポケモンさん、ヤバい世界観の設定だった
 ゲーム作品の世界は全てはつながっておらず、いくつかの平行世界で成り立っているそうだ。
【没・裏設定など】ポケモンの世界観と歴史の考察。時系列~平行世界と原作まで。 | おにぎりまとめ

 ゲームはグレーだが「10歳の少年少女が学校に行っていない」ポケモン世界観がマズいと、近年徐々に軌道修正しているように見えるのだ。
 まずTVアニメは前シリーズ『サン&ムーン』(2016ー2019年)で「ポケモンスクール」なるものが登場し、サトシは留学しているというストーリーである。もちろん義務教育ではなく大学や専門学校のような位置づけだろうが。
 2018年の劇場版ではリサというキャラがいるが、公式サイトのキャラクターの紹介に「女子高生」とある。我々の世界と同年代の子が通う「高校」というものも存在するようだ。
 現行TVシリーズ(新無印編)では、「スクール」という学校があり、コハルは普通に通っている。ゴウは不登校状態だが在籍はしており、たまに学校に行き試験だけは受けている。アニメの世界で、徐々に学校が存在感を増している。そして昔のシリーズの旅システムはなくなり、冒険・旅がほぼ日帰り、あるいはちゃんと宿泊するようになった。サトシの仲間はゲームのパーティーのような形式で「旅仲間」と呼ばれていたが、今は「旅」ではなくなった。これは、「10代の子供が野宿を続ける(家に帰らない)」ことのマズさを、確実に修正しに来ている。
『SV』の主人公は制服デザインであり、舞台も学校で「課外授業で冒険へ」というストーリーである。完全に「学校に行っている子供」である。
 ゲームでは明言はされてないだろうが「10歳で成人」というポケモンの世界観は海外輸出の障壁となる。10歳で成人ということは、つまり10歳から婚姻も可能。性行為などもオーケーで、児ポは9歳以下しか存在しないことになるのでフェミニズム的にもいろいろとマズそうである。なので今回、しれっと小学生(?)主人公にした。

 さて、我々の世界、リアルで「学校に行ってない少年少女」と言えば……そう、ゆたぼんである。本題ではないので深入りしないが、たしかにこれは児相案件だろう。
www.jprime.jp
 あくまでもフィクションなのだから、ポケモン世界はそういう世界なのだから、10歳で学校に行かなくてもいいじゃないか。しかし、そのような「多様性」は許されないのがポリコレの掟だ。フィクションが子供に(あるいはその親)悪い影響を与えてはならない。そういう作品は世に出すべきではない、排除する。それがポリコレのやり方だ。

 まとめると、世界展開するようなメジャーな作品において、ファンキーな世界観は許されなくなった。ポリコレとは、キャラクターの見た目や設定だけではないのだということ。少年漫画的な表現が一定の制約を受けるというか、学校に行かないなどの場合「言い訳」が必要になる。ファンタジー、時代物ならまだ許されるが、ポケモンは現代(近未来)なのがマズかった。

 今回はポリコレ批判をしたいわけではない。現段階では、ゲーム表現が脅かされるほどではないからだ。だが、以下で書いたように
maoukpp.hatenablog.jp
 ゲームというのはシステム上(強さや効率を求めると)、プレーヤーは「ポケモンの厳選・乱獲」のようなクズ行為を往々にして取ってしまうものである。不思議のダンジョンシリーズの「泥棒」など、一定のペナルティはあるが悪事を働くこともできる。こういった自由なゲーム性にまでポリコレが侵食してきたら、その時は戦うしかない。

2022.10追記


 元々キャラデザは本題ではないが、念のため追記。自由度の高い主人公のキャラメイクと、固定で登場するNPCは全く別の存在である。その後の情報で、そもそも主人公の性別設定がなくなった模様。ストーリーに恋愛要素がなければゲーム上影響はないだろうが、うーん。。


 海外から批判されないように、そして国内オタクの留飲を下げるために後付け・発売直前に美少女キャラを公開していくところはあざとい。どうみてもジムリーダーキャラが直前までにできあがってないわけないのにね……。