うたうポリゴン

魔王K++(ケープラ)のポータル兼個人ブログ

対権力テロを肯定するための3原則

 はじめに断っておくが、今回は法律論ではない。政治論、正義論だ。この言葉の意味がわからない人は読んでも無駄だから、今すぐブラウザを閉じろ。政治テロの肯定は「いつでもどこでも、誰でも襲ってもいい」ということではない。原則論として暴力は否定されるべきで、通り魔殺人のような犯罪は論外だ。そんなことはわかっている。政治テロはそういう話ではない。
 もしこの記事で私がはてなブログを垢BANされるようなことがあったら、それはこの国の言論の自由が終わったことを意味する。最悪のリスクも想定し、あえてこの記事を出す。

 今「テロの詳細を報道するな!」と発狂しているネトサポ=自民信者はとても香ばしい一方で、「テロなんか意味ない」と冷笑する反自民の左翼・リベラルにも私は同意できない。短期的な影響は認めつつ、長期的に見れば意味はないというのが彼らの主張だが、本当にそれ、言い切れるの? 歴史が評価することだよね。
 リアルタイムな事件だと生々しすぎるので、こういう時は歴史に学ぼう。桜田門外の変も知らないような低能はこの記事を読まなくていいので今すぐブラウザを閉じろ。


 明治維新というのは、言ってしまえばテロリストたちが勝利したようなものである。結果的に正義となったのは、歴史の評価。仮に徳川幕府よりもひどい政治だったら、今でも志士たちは全員テロリストだったはずだ。政治テロにはそういう難しさがある。

 今回のテロへの肯定的な感想をツイートしてたら、バズってもいないこんな泡沫垢の私にもどこからともかくネトサポからのツイートがたくさん飛んできた(通報しました系、公開リスト追加がとても多かった)。テロは完全な未遂で岸田文雄は無傷だったのにそれまで余裕をぶっこいていたネトサポ=自民信者たちがこれだけ発狂している時点で、これこそがテロが最大に効いてることの証明。なので私はこの手のテロは当面肯定したい。「お前らが政権取ったらテロに遭うんだぞ!」と言われても、それはその時になってから考えますというだけ。そんな日はまず私が生きている間には訪れないので、次の世代にがんばってもらおう。
 とはいえ、テロを肯定する以上それなりの条件・原則はまとめておきたい。ネット上でただの過激派とやべーやつと思われてもいっこうにかまわないが、まともなフォロワー・読者のためにきちんと言明しておきたい。

 私が今テロを肯定するのは、20年くらい投票してきたが社会は何も変わらないという絶望がある。投票率が絶望的に低いし、仮に上がったところで愚民(後述)が過半数を占めている時点て詰んでいる。
maoukpp.hatenablog.jp
 本題ではないので割愛するが、今のこの国は一定の制限選挙、新秩序の革命が必要な状況下にあるというのが私の本音である。
 旧民主党政権が失敗に終わったことも大きい。今、仮に野党が政権を取ってもそれは旧民主党政権のように一時的なもので終わるだろう。単純に政権運営能力がないというだけでなく、官僚がボイコットするのと、経済界も協力してくれないなど、外部的な環境が厳しいからだ。健全な二大政党制になるまで、逆のテロは起こりようがない。なので自民党には今後もテロに怯えながら頑張っていただきたい。政治テロには国民を舐め切った権力者の肝を冷やす、とてもいい効能がある。

maoukpp.hatenablog.jp
 当時、テロそのものへはブログでは言及しなかったが、山上徹也さんの銃撃事件がなかったら、統一教会問題など注目されなかった。テロには権力者だけでなく大衆の目を覚まさせる効果が、たしかにある。


 なので私は、鈴木エイトさんの意見とは異なるが、犯罪・暴力であっても功利主義的に結果論(歴史的な意味では期待値)で時にはテロも肯定したいのである。前置きが長くなったが、その条件を以下に示す。

  • ターゲットの権力性・強者性が圧倒的で、犯人との非対称性が絶大であること

 これがまず大前提となる。逆に、強者(権力者)が弱者を弾圧するようなテロを「白色テロ」と言う。第二次安倍政権以降の自民党政権憲法無視でやりたい放題、メディアを押さえ込み、公金を使ってネット工作にいそしみ(dappi事件がその象徴)大衆を洗脳し、「都合の悪いことはすべて野党のせい」野党叩きが娯楽でナチュラルに嫌韓WBC熱狂の裏でも散見された)のネトサポ=自民信者を大量に生み出すことに成功した。一言で言えば、勝ち馬に乗りたいだけの愚民。政治教育の敗北、政治工作の成功。中国やロシアばりの、いちおう選挙はあるが何万回やっても野党は勝てない盤石の体制を自民党は確立した。この状況下で選挙・投票が絶対の「選挙原理主義」を主張する左翼・リベラルも頭が悪いと思う。議会制民主主義の原則論、中高生向けの教科書ならそれが正しいんだけれども、そんな次元の話はしていない。

  • 一般人を殺さないこと。逆に警官・SPの犠牲は職務上やむなし

 なので、911テロは論外。さすがにこれを賛美する人と一緒にされたくはない。結果論だが警官1人がかすり傷なだけの今回の木村隆二さんの得点は相当高いし、ターゲット以外誰も傷付けなかった山上徹也さんは改めて神なのである。ただ、今回の漁師のように止められそうになった相手は単なる一般人とは言えないので、このあたりを殺傷した場合はグレー、難しい判定になる。また、テロ後にパニックになった群衆による二次被害は犯人の責任ではないので、ここは問わないことにしたい。

  • 犯人の動機・思想信条がしっかりしていること

 既に述べたテロの犯人二人にはネトウヨな要素もあったようだが、思想信条は別に100%同意できなくてもいい。むしろ、行儀がいいだけ、Twitterのエコチェンで気持ちよくなっているだけの無力なリベラルよりも私は真性の右翼の方が好きだったりする。大切なことは、テロの直接的な動機である。
 山上徹也さんの統一教会2世信者の事情はすでにおなじみだろうが、木村隆二さんの安倍国葬批判、そして供託金批判(これは現政権以前の問題だが)もまっとうなものである。詳細は以下のツリー。


 これだけでテロを起こしていいとはならないが、動機が共感できるかはとても重要である。その上で、失敗に終わったとはいえ実行力を評価したい。よく爆弾はネットの知識で「簡単に作れる」というが、実際に作れる奴は多くないだろう。テストしないといけないし、誤作動したり火薬の量を間違えたら危ないし完成品を仕上げるのはなかなかの仕事。不器用な私なら、製作中に死んでいるだろう。

 まとめると、「上記の3つの条件が整っていれば、テロを肯定してもいい」というのが私の政治信念である。異論は認めないが、その表現・言論の自由憲法で保障されているので守る。