うたうポリゴン

魔王K++(ケープラ)のポータル兼個人ブログ

ファシズム再来—小池ロックダウンに軍靴の足音を聞く

 去年のGWと同じ悪夢再来、という事態である。飲食店だけでなく、各業界で嘆きの声が広がっている。国の緊急事態宣言でもあるが、今回の東京封鎖を「小池ロックダウン」と呼称したい。
 この記事の続きになる。
maoukpp.hatenablog.jp
 既に批判されている通り、小池ロックダウンの問題点は以下。

  • 「酒を禁止する」で飲食店への休業要請ではないという卑劣さ
  • 公園まで閉鎖する無意味さ
  • 灯火管制までする異常さ
  • 金曜日に決定→日曜開始という速さ
  • 相変わらず、何一つ具体的な数値目標・解除条件を提示しない
  • 5/11までという期間も全く信用できない
  • 以下の記事にもあるが、大阪に遅れたくないだけの時期尚早さ

www.nikkan-gendai.com

  • 変異株は若者・子供にも危険だとしながら全体的に第1回の宣言よりも弱く、一般家庭の反発を恐れ学校は休校にしない不徹底ぶり【4/26追記】

www.nikkei.com

 東京都民は最悪のタイミングで、恐ろしい人間に権力を与えてしまった。。結局この国はサヨクが恐れていた戦争なんて状態ではなく、テロですらなく、こんな形でファシズムが再来したわけだ。
 私が学生の時、「戦争が起きて君たちが徴兵される」とかサヨク教師・大学講師は言っていたが、そんなことはなかった。事態はもっと巧妙に、そして突然変化した。「軍靴の足音」という表現がマッチする時代に、まさか自分が生きることになるとは……。
www.nikkei.com
 以前から国や都と全面抗争しているグローバルダイニング社など、従わない店もある。浅草演芸ホールなど都内の演芸場も継続を決めた(【4/29追記 改めて都から恫喝され、5/1から休業】)。全力で応援したい。

 思い起こせば国と都、そして報道による戦犯探し、袋叩きはここ1年ずっと続いている。
 サーファー→パチンコ店→夜の街(水商売だが広義には飲食店)→飲食店ときて、風俗店への給付金なし判決も記憶に新しい。
 報道レベルでは舞台演劇が最初叩かれ、今はカラオケ業界が苦境に立たされている(クラスタを出した「カラオケ喫茶」とカラオケボックスは無関係なのだが)。まさに去年は文化的に「失われた2020年」で、多くの飲食店、音楽・演劇関係者が散っていった。
 実際は人が集まる職場・学校、濃厚接触する家庭・医療施設での感染が多いのだが、なぜか特定の業種・属性が狙い撃ちにされる。
 この手の偏見がどれくらい無意味か、一つ挙げてみよう。以下は昨日私が思いついた偏見である。

・大阪・兵庫で感染が増えているのはここ1ヶ月、3月末から。時期的にプロ野球のシーズン開幕と一致する
・兵庫には甲子園球場があり、春の甲子園大会もあった。大阪には阪神ファンが多い
・今シーズンは阪神が好調で、ファンは盛り上がっている
以上から大阪・兵庫で感染を広げているのは阪神ファンである。飲食店・家庭などの場所よりも、「阪神ファン」という属性が重要である

 あとはそれっぽくデータを貼り付ければ、偏見・差別の一丁あがりである。また「東京・大阪を新幹線で頻繁に往復しているのは芸人・タレントなどの芸能人が多い。彼らが東京に持ち込んでいる」とか危機を煽ることも可能だ。こちらは多少現実味もあるし芸能メディアが絶対に言及しない、自分たちは一切自粛しない芸能界の不公平さはあるが、「阪神ファン・甲子園クラスタ」は与太話なので信じてはいけない。

 話を戻す。私はずっと反自粛だったし、このようなロックダウンには断固として反対する。なぜか。
 陰キャにはあまり実感がないが、古来から「謹慎」というのは人の感情に逆行した状態の罰なのである。自粛を強いるばかりの国や都のやり方は、他責かつ国民の人権軽視というほかない。経済も大事だしそれにも関連するが、根本的に大切なのは国民の「行動の自由」である。
「批判するなら対案を出せ」と言われそうなので、自粛をやるとなった場合の私の考えを一応書いておく。

 どうしても飲食店の時短をやるなら、22時。これが常識的な線というものだ。それ以上を求めるなら補償付きの休業要請となる。
 飲食店や商業施設に休業要請をするのなら、まず家賃だけでも全額補償する。家賃ならいくら払っているか極めて明確だし、公平だからだ。次に電話・ネットや光熱費などの固定費を一律で(これは1-2万円程度でいい)。売上に応じた給付金などはその後。

 今回の小池ロックダウンがさらにまずいのは、このツイの引用元のように、現状追認する声が多いことだ。こういう従順な国民こそが、ファシズムの構成員である。


 戦時中もTwitterがあったらこんなだったと思う。物や食料がなくなっても、空襲が来ても「支離滅裂でもアメリカに勝つためには、お国のためにはやむを得ない」とかこの手の人たちは言うのだろう。
 メディアが不安・危機を煽り、声を上げる、怒ることができなくなってしまった国民たち。それをいいことにファシズムに走る政治。マクロな歴史で見たら、今はなんやかんや太平の世の中。後世の日本史の教科書的には「どうでもいい時代」だとずっと思っていた。

 だが、本当に今こそが、この国に限らず民主政治の危機なのではないか。まっとうに「怒る」国民性が死滅したら、民主政治は終わりである。今はもしかして「専制政治への回帰」というフェーズなのかもしれない。
 後世から「この時代の愚かな人類には、民主政治はまだ早かったのです」と総括されそう。いいのかそんなんで。いいわけがない。歴史上の恥さらしには、なりたくない。