うたうポリゴン

魔王K++(ケープラ)のポータル兼個人ブログ

芸人深夜ラジオという文化の終わり

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 岡村隆史さんの件です。ここ10年くらいラジオ→ネットニュースで炎上はよくあったが、今回いよいよ芸人の深夜ラジオという文化がとどめを刺された。ニッポン放送が公式に謝罪したのは、ラジオ局・ラジオ文化の衰えを物語っている。
 F先生は大嫌いだが、この発言には賛同できる。この件はつまるところ風俗産業への嫌悪感の有無と、世代や文化背景が大きいんだろう。


 2008年の倖田來未さんの件がインパクトがあるが、ネットニュース以前にもたまに深夜ラジオの発言が週刊誌などで叩かれることはあった。記憶にあるのは2000年くらい、伊集院光深夜ラジオが叩かれたことがある。発言内容は事実だが、口語、トークを文字起こしして切り取るのはフェアじゃないなあと当時思った(内容には触れない。今回にくらべれたいしたことではない)。

 こんにち、一般人が以下のように炎上対策しているように(左ほど炎上しやすいので慎重にやる)、
Twitter>ブログ>動画・ツイキャス
 芸能人たちはプロである。彼らはちゃんとゾーニングをやっている。
報道・情報番組>ゴールデンバラエティ>深夜バラエティ>深夜ラジオ
 だが、それが通用しなくなってきた。私は古くはラジカセの120分テープで録音、その後radikoができたが昔は録音機能がなくあの手この手で録音していた。それが今は公式から期間限定ではあるが簡単に誰でも聞くことができる。深夜というゾーニングが、無効化されてしまった。
 ラジカセ世代の、下ネタ・暴言深夜ラジオという文化が終わったのだ。別にヤバい話ばかりではない、それでもフリートークの魅力は半減するだろう。というか、適応できる芸人が今後生き残っていくのだろう。
 でも、本当にこれでいいのですか? ツイキャスを文字起こしされたら困る人は相当数いるはずなのだが。酒飲みながらコラボキャスやってたら失言は出るよ、もうできないよ。有名人だから自重しろ? なにその不平等条約は。
 今回ばかりは、私は表現の自由戦士派なのである。まさかこんな日が来ると思わなかった。ゾーニングされているものを掘り出して、炎上させることに意味はあるのか? 「公共の電波」と言うが、芸人の深夜ラジオって報道・情報系ではないのだが。

 今回の炎上は女性差別というテイだが、その裏にはネット民に多い吉本芸人ヘイト+風俗産業ヘイトが乗っている。だから過剰に怒りが誘発され、しっちゃかめっちゃかになっている。ネットで机上の空論正義に酔ってるとこうなりがち。
 男女論からは降りたし本記事のメインではないので割愛したいが、言いたいことはこのツリーで書いた。道義的にひどい発言だという批判それ自体は、妥当である。


 フェミニズム論者は、自分(日本人女性)は弱者だと思っているが、グローバル経済においては強者で搾取する側であるという自覚が完全に抜け落ちている。それは箱庭の正義に過ぎない。

 この件で岡村隆史さんが仕事を干されたり謹慎ということはまさかないだろうが、もしそうなったら同情する【4/30追記:チコちゃん降板署名運動が発生。無関係の番組降板には断固反対する】。
 時代によって、守られない表現の自由もある。芸人深夜ラジオ文化が終わりというのは受け入れるが、であれば個人がツイキャスyoutubeなどで好き勝手言う文化も道連れにして終わっていただきたい。それが今回の私の主張である。

 さっぱりウケなかったが、お気に入りの二次創作を貼って終わりとする。

4/29追記:表面ではなく根底を知ってほしい

 根底の説明が不十分だったかもしれない。私は、芸人深夜ラジオという文化が好きなのだ。昔大好きだった伊集院光ラジオも、今となってはもう受け付けない部分がある。昔大好きだったものを批判するのは、なかなかつらい。それでも今の若者=昔の自分向けに、こういうコンテンツはあってもいいと思っている。