うたうポリゴン

魔王K++(ケープラ)のポータル兼個人ブログ

ツイキャスの構造が大嫌いだ—「声」のシェアを握られている

 この記事から半年たった。改めて、ツイキャスが大嫌いだ。
maoukpp.hatenablog.jp
 依存症の方は、だいぶ治ってきたと思う。個人キャスは続けているが完全マイペースだし、リンクを開くことは減った。そもそも雑談型突発キャスは平日の深夜が多かったりするので。ここ数ヶ月で朝起きる時間が少し早くなったこともあり、ちょうどよく聴かなくなっていた。
 だがゆうべは、「明日休みだから」とあるツイキャスのリンクをクリックしてしまった。

1. キャス主が見えない(ブロックしているので)コメント相手と会話を始める
「あ、これは」
2. コラボキャスの話になる
「やるなよ、絶対にやるなよ」
3. コラボキャスが始まる
「グワーーーッ!!」→ブラウザ閉じる

 まさにコミュニティからの排除、嫌な気分だけが残る。で、怒りのツイートがこれ。


 実は累計、3回以上くらっている。腹が立ったので、今回の記事となった。被害妄想だって? それは認める。
 そんな(死ぬほど嫌いな人間とコラボキャスする)奴のキャスは聴かなければいい—その通りである。そんなことはわかっている。だが、小っ恥ずかしいことを言うと私は彼が好きなのだ。一人喋りや、信頼している人とのコラボキャスは面白い。

 芸能人のラジオならこういうことはない。事前にゲスト告知するから、ゲストが大嫌いならその回は聴かない、ということができる。一方突発ツイキャスだと、いきなり始まって地獄を見る。
 何かいいゾーニング方法はないだろうか。コラボキャスが始まった時点でアラート出すか、強制的に閉じるかしてほしいが、webサービスが自らPV減らすようなことしないだろう。単にシステムの仕様が悪いとか機能不足とは言い切れず、なかなか厳しい。機能面で唯一言えるのは、録音データのコラボキャスは「誰とやっているか」を明示してほしいくらい。

 前回(冒頭のリンク先)記事でも、マス相手なラジオ的ツイキャスではなく、内輪サークル化した雑談ツイキャスを批判していたわけだが、構造的にそうなりやすい特性がツイキャスにはある。なので以後こちらを「ツイキャス」と表記する。こちらが一般的だと思うからだ。
 前回記事で「ツイキャス依存者は、ツイキャスをプライベートな空間だと思っている」と書いたが、ツイキャスの本質は「ギャラリーのいる店主と常連客の会話」ではないかと思う。
 バーのような小さい店で、マスターとカウンター席の常連が喋っている。その会話を周囲の客が聴いている、という状況。で、その会話相手の常連が嫌いな客は「じゃ、お会計で」とそそくさと立ち去るしかない(リアルだとそれも角が立つから、しづらいだろう)。
「私は、あなたの声と話が聴きたい」のに強者が割り込んできて、そいつとのトークを始める。…ホモソすぎてうんざりする。学校の教室でもこういうことあったね。猿山のホモソ王にはその自覚がないだろうけど。

 最近はLINEが主流になって、家族友人間でも電話することは減った。でも特に用事がなくても声を聴きたくなる、というのはある。『DAN DAN 心魅かれてく』でも「何かあると一番(すぐ)に 君に電話したくなる」という歌詞がある(作詞・坂井泉水さん)。
 ネットの知り合いの声を聴くのは、私はツイキャスしかほぼ使ったことがないが、音声チャットを積極的に活用した方がいいんだろう。なんとなく「1:1通話今からしようぜ」というのはハードル高いし、テキストなら応答はいつでもいい気楽さがある。どうもその弱さに、つけ込まれている気がする。

 我々ネット民はいま、ツイキャスに「声」のシェアを握られている。コラボキャスの汚染は防ぎようがない。だから、ツイキャスに依存せず「声」を取り戻さないといけない。勇気を持って、行動を起こす時だ。