うたうポリゴン

魔王K++(ケープラ)のポータル兼個人ブログ

2006-2019ドラえもん映画一気レビュー

 分割しても読みづらいので、7000字超えと長いが一気にやります。
maoukpp.hatenablog.jp
 この記事の続き。全て2019年に入ってから、ここ半年くらいで見た。

のび太の恐竜2006(2006年)

ドラ映画らしさ:S 子供向け:A 大人向け:A+
(オリジナルとしても)一番古い作品を偶然最後に観た。第2期初なので声優の演技もまだ固まっていない。絵柄もちょい古いというか旧シリーズ(第1期)と現シリーズ(第2期)の中間な感じ。
 改めて『恐竜』はドラ映画のルーツであるなあと。ピー助は「可愛い動物枠」ゲストキャラの原初だし、ひみつ道具の制約の中で頑張るという展開(タケコプターで白亜紀アメリカ→日本まで移動)も、冒険途中でスネ夫が悲観的・現実論を言う→最終的には和解し改めて決意を固めるというくだりも、悪党との対決も。そしてタイム・パトロールの存在もタイムマシンを使う話には欠かせない。さらに「冒険中は無断外泊→タイムマシンで家を出た日に戻ればいい」というご都合主義ながらも重要な制約回避方法も。
 ストーリー展開に派手さはなく、今となっては映像も地味め。男性であれば「子供の時は恐竜が好きだったなあ」という懐かしさがあり、やや大人向け。
 ゲストキャラはピー助のみという潔さ。リメイクでのアレンジが少ないのも、完成度の高さゆえだろう。恐竜と出会い、育てる。大自然での冒険そして別れというストーリーはシンプルながら見事。この作品は恐竜がメインであり、悪党(恐竜ハンターとそのスポンサー)との直接対決が弱いところがやや物足りないが、構成上やむを得ないだろう。
 元の世界に戻った後のエピローグ部分が一言だけで終わるキレ味も心地いい。第1期映画シリーズが20年以上続くことになった、原初の作品としての偉大さはさすが。

のび太の新魔界大冒険 〜7人の魔法使い〜(2007年)

ドラ映画らしさ:B 子供向け:B+ 大人向け:B
 ファンタジー世界のドラえもん。「もしもボックス」で魔法がある世界だったら、という土台部分にあまりドラえもんらしさがない(しずか、ジャイアンスネ夫は魔法世界の人間でゲストキャラのようなもの)が、話の展開自体は王道だし子供は楽しいかもしれない。特に悪党の強力さ、恐ろしさが際立つ。
 リメイクによるアレンジは『新・鉄人兵団』と同様(監督が同じ)お見事。パラレルワールドと元の世界はつながっているという設定になっている。
 話の都合上、中盤で「逃亡ルート」があるのだがそれを選択しないで戦う道を選ぶ。ストーリーがやや破綻気味だが、もしもボックス自体が飛び道具みたいなもので、構造的にやむを得なかったか。パラレルワールドの設定は、メタ的に逃亡ルート抑止にもなっている。

のび太と緑の巨人伝(2008年)

ドラ映画らしさ:C 子供向け:D 大人向け:C
 まず序盤キー坊と出会い「弟ができた」のび太が、精神的に成長してしまっていて違和感。こんなののび太じゃない。このキー坊、「キー」しか喋らず常に勝手な行動を取るためイラっとする。子供のリアルさを出したかったのか、キャストに声優ではない子役を使っているのも浮いていて違和感。
 中盤からの冒険劇は一見王道のようだが、違和感があちこちにある。ひみつ道具がほぼ使えない制約も、ドラ映画らしさを弱めている。この映画の評価は「キー坊可愛い」で全てが許せるか、否か。だから子供向けのようで違う。子供自身は、あざとい子供キャラは嫌いである。これは子育て経験があり、可愛いもの好きの若いママさん向けだ。
 もう一つの問題点は、長老ジィ無双。キー坊が喋らない上、ひみつ道具も使えない弊害が出ている。ストーリーを進めるための説明役であり、導き役で、戦闘も強い。「お前一人で頑張れよ」と言いたくなる。ドラえもんたちは今回彼に操られてるだけ、傀儡のような印象さえ受ける。ドラ映画に限らず劇場版というのはゲストキャラ・世界観との接続が大事で、「外野感・蚊帳の外感」が出てしまってはダメ。こんな素人の二次創作みたいなダメ出しをさせないでほしい。
 王女リーレの成長物語と見れなくもないし、彼女をメインにすればよかったのでは? ゲストキャラの配置・構成に大いに問題がある作品となってしまった。

新・のび太の宇宙開拓史(2009年)

ドラ映画らしさ:B+ 子供向け:A 大人向け:B
「宇宙遠征物」の代表作と言っていいだろう。偶然のび太の部屋の畳の下と遠い宇宙が繋がってしまうという巻き込まれ展開(どこでもドアには地図情報が必要かつ距離的な限界があり、行き来することはできない)。
 コーヤコーヤ星という異星での冒険物。オリジナルの動物がいたり、完全に地球とは違う環境。そのため偶然できたゲートが消える=別れも永遠的で感動する。
 地球人なら誰でもスーパーマンの環境で、さらに射撃の腕もあるためのび太は大活躍する。オリジナルは1981年だが、異世界転生ものの原点が既にここにある。5人での冒険は実質終盤だけで友情・チームプレイ要素は弱いのでドラ映画らしさはB+とした。話の構造的にコーヤコーヤ星に行ったり来たりするため、やや緊張感に欠けるがエンタメ・ヒーロー映画として王道の展開。ゲストキャラ、悪役のキャラの存在感も申し分なし。

のび太の人魚大海戦(2010年)

ドラ映画らしさ:S 子供向け:A 大人向け:B
 これぞ王道! メジャーな『恐竜』以外旧作で何から見ていいかわからない人にオススメしたい。夏に観たい映画。
 冒頭の「架空水」で無邪気に遊ぶくだりから、海底勢力に巻き込まれていく展開。しずかがさらわれて助けるのもまさに少年漫画的王道。ドラミが武闘派なのも見どころである(そもそも一緒に行動することが珍しく、普段はドラえもんが困った時のサポート役が多い)。不満は悪党キャラが弱いくらい。ゲストキャラとの出会いや別れも王道! とはいえ感動要素は薄いので、大人向けはBとした。
 挿入歌『遠い海から来たあなた』が武田鉄矢というのも、旧シリーズ(第1期)世代にはポイントが高い。

新・のび太と鉄人兵団(2011年)

ドラ映画らしさ:B 子供向け:S 大人向け:S
 冒頭の、前回ドラ映画記事を参照。

のび太と奇跡の島 〜アニマル アドベンチャー〜(2012年)

ドラ映画らしさ:A 子供向け:B 大人向け:A
 カブトムシがテーマとなっており、男の子向けエピソード。子供の頃ののび太の父・のび助が実質的にゲストキャラ。声優はなんと「でえベテラン」こと野沢雅子さん。声だけ聞くと異常に強そうだが別にそんなことはなく、普通の少年である。
 冒頭の日常シーンでのび助がのび太に言う「ママやドラえもんに頼ってばかりではいけない」という台詞から、異世界での冒険も最終決戦ではひみつ道具がほぼ使えず「物理で頑張る」というストーリー展開。全体としてはやや地味で、親子愛が全体のテーマとなっているので大人向け。最終決戦前にジャイアン「男ならやらなきゃいけない時がある」しずか「女の子もよ」と返すシーンがあり、ジェンダー的になかなか素晴らしい。
 挿入歌『キミのひかり』は堀江美都子さん、これも旧シリーズ(第1期)世代には好印象。

のび太のひみつ道具博物館ミュージアム)(2013年)

ドラ映画らしさ:A 子供向け:S 大人向け:A
 この映画は『新・鉄人兵団』と監督が同じで、対になる作品である。実は見た直後よりも、尻上がりに評価を上げた変わりもの。たしかにパンチは弱いし、冒険にも感動にも派手さがない。
 ドラえもんの鈴が盗まれてしまい、それを探すというのが話のきっかけ(いつものタイトル表示前が「ドラえも〜ん!」ではなく「のび太く〜ん!」で始まるのが象徴的)。話のスケールは小さく、冒険要素はなくミュージアム内で完結する。とはいえ探偵もの、怪盗を追っていく&バトルという話の流れはコナンのようで子供向け要素は完璧。大人は酒飲みながら気楽に見れる。
「悪党が一人も出てこない」というのが特徴的。実に平和な作品世界であり、小さい子供でもストレスなしで見れる。また未来世界の日常的風景もレアであり、ファンには面白い。
 表面的には異色作のようだが、「鈴」をキーにドラえもんのび太の友情が主題となっており、きわめてドラえもん映画らしい。実質的な主人公はドラえもんと言える。一見テレビスペシャルっぽい造りの変化球を、劇場版としてやれた勇気を評価したい。
 ラストの巨大警備ロボと戦うくだりはとってつけた感が強いが、許容範囲の演出。終盤のび太が推理をした時に、ドラえもんが「君はじつにバカだな」「バカだねえ。じつにバカだね」と原作台詞通りのツッコミを入れる小ネタはファン必見。また、千秋(ドラミ)による挿入歌『笑顔はひみつ道具』もポイント高い。
 最後に、まだ出会ったばかりの頃の回想シーン、ドラえもんの台詞。


新・のび太の大魔境 〜ペコと5人の探検隊〜(2014年)

ドラ映画らしさ:B 子供向け:C 大人向け:C
 リメイク作品なので名作のはずなのだが、正直それほどの価値を感じない。アレンジも抑えめなので余計にそう思ってしまう。つまり「アレンジすべきリメイク作品で守りに入ってしまった」作品。
 アフリカにあるバウワンコ王国という秘境が舞台なのだがそこに到達するまで(アマゾン探検)までが長く、前半と後半の話に連続性がなく王国部分がどうにも印象に残らない。オリジナルキャラクターを追加するか、小栗旬演じるサベール隊長などのキャラをもっと掘り下げればよかったのでは…。
 メインのゲストキャラと「可愛い動物枠」がペコ一人で兼ねているところに無理があり、話の展開もご都合主義が過ぎるというか強引。ペコは後半の王国到達あたりで正体を語るのだが、突然二足歩行しだし、喋り出すシーンは違和感しかない(記憶がないなど、何かの制約でそうだったわけでもない)。王国やその登場人物(ペコ以外)を前半の冒険にもからめればいい作品にできたと思うが、残念。

のび太の宇宙英雄記(スペース・ヒーローズ)(2015年)

ドラ映画らしさ:C 子供向け:B 大人向け:C
「宇宙」というわりに宇宙での戦闘シーンが全くなかったなあ…。軽いノリが続きテレビっぽいため、ドラ映画らしさは弱い。2日目の夜にスネ夫が地球に帰ろうと言い出す→やっぱり戦うのくだりくらいで、対立・喧嘩の乗り越えや仲間たちやゲストキャラとの友情も薄い。
 構成もあまりよくなくて、まず最初の日常パートが長すぎる。ポックル星で活動してから悪党たちの企み(の動機)が判明するのが遅いし、終盤は急展開すぎる。悪党3人衆はキャラが立っていて中盤まではよかったが、やられ方があっけない。もう少しバトルを少年漫画的に盛り上げて欲しかった。特にボスがしょぼすぎて興ざめする。ラストの「チート技で解決!」という展開も大人にはキツい。
 ゲストキャラが弱すぎる。バーガー監督にいたってはドラえもんの道具であり、出会いがあるのはアロンだけ。アロンに見せ場がほぼなく、全く印象に残らない。
 wikipediaを見る限り漫画版の展開の方が面白そうで、なぜこちらを採用しなかった? 子供向けに作りすぎてしまった…残念。

新・のび太の日本誕生(2016年)

ドラ映画らしさ:A 子供向け:A 大人向け:A
 5人揃った大きな「家出」(ハムスターを預かることでドラえもんまで家出するくだりが笑える)をきっかけに、原始時代の日本での冒険。交流のある原始人のゲストキャラが一人だけでやや寂しいが、増やす必要性もなくやむを得ないか。ともかくリメイク作品としてのアレンジは抑え目。今回の「可愛い動物枠」は、のび太が作ったペットたちでどこか『恐竜』の雰囲気も。
 異色なのは今回のび太ではなくドラえもんが主役であり、悪党とも一騎打ちで戦う。原始人にもわかりやすいよう「精霊王ドラゾンビ」というコスプレをする。悪党のギガゾンビ(とその配下)はかなりいい味出していて、個人的に今まで見た中で一番好きな悪役。

のび太の南極カチコチ大冒険(2017年)

ドラ映画らしさ:A 子供向け:B 大人向け:B+
 これも夏に観たい映画。冒頭氷山で遊園地を作って遊ぶのだが、ここがすぐ粉々に崩壊する。『こち亀』の調子に乗る→破滅シーンのようなシュールさがあり・普通の映画のラストシーンのようでもあり妙に笑ってしまう。氷山→南極という流れもスムーズ。南極にあるヒョーガヒョーガ星古代文明遺跡が舞台で、現代ヒョーガヒョーガ星人がゲストキャラ。
 ゲストキャラ、悪党(遺跡の防衛システムであり悪人ではない)が物足りない。見せ場も偽ドラえもんと戦う(のび太が正体を見抜く)シーンくらいだが、全体的にはそつなくまとまっている優等生。全体的に尺がキツキツでやや大人向けだが、構成自体は悪くない。

のび太の宝島(2018年)

ドラ映画らしさ:D 子供向け:C 大人向け:E
 全編あざといだけで、ドラえもんである必要性がなかった。あざとさと商業力だけはSランクである。「仕事でやっつけました」感が強く、ドラえもん愛が全く感じられない。
 ひみつ道具出しまくり(+ミニドラ)で派手にしているのは焼畑農業で、こんなの毎年やったら飽きるし自分の作品しか考えてない愚行。たとえば20年ぶりだった『シティーハンター』の映画だったらこの作りでもいいが、言うまでもなくドラ映画は毎年やってるのである。
 全般ノリが軽すぎて緊迫感がない、完全にテレビ。それ以外は安易にドラえもんの定番要素を詰め込んだだけで「置きに行った」感がひどいが、でもこれが興行的にはヒットしてしまった。ドラ映画でイラっとしたのはこれが初めて。イマドキ映画に汚染されてしまった感が強い。
 ドラ映画のゲストキャラには「可愛い動物枠」がいるが、今回は「クイズ」という鳥ロボット。この鳥が終始ナゾナゾでストーリー進行の腰を折るのがイラっとする。「子供はナゾナゾが好きなんでしょ?」という安易さ。ドラえもんへの「狸いじり」もしつこくて胸焼けする。
 画面上は見えない(どこでもドア越し)が、しずかの風呂のぞきも2018年の劇場版でやってほしくなかった。
 スターウォーズ(親子対決)、ジブリ(女の子が新生活をする)、ガンダム逆襲のシャア』などあらゆるジャンルをパクりツギハギだらけで薄っぺらい話なのだが、ただ「巧い」。ラストはゲストキャラの親子がプログラミング対決をし出すが、これはハリウッド映画のパクリかな? 本当にドラ映画の意味がない、同人や投稿サイトでやってくれ。
 作品には人格が出る。この脚本家(敏腕プロデューサーでもあるらしい)が本当に生理的に嫌い。無理。ネガキャンみたいになってしまうが2020年映画『新恐竜』もこの監督・脚本コンビが担当するらしく、あまり期待はできない。
 星野源のED主題歌もいかにも商業的。単発の映画ならまだしも、なんと10月から土曜夕方への改編でテレビOPになり、すなわち来年(以降)の劇場版のOPにもなることに。。スネ夫のように悲観的なことを言うが、どうもこの映画(関連の人物)の影響力や「政治」を感じ、今後のシリーズが不安になる。

のび太の月面探査記(2019年)

ドラ映画らしさ:S 子供向け:A+ 大人向け:A+
 劇場で一度観ただけだったが、円盤が出たので買い、改めて鑑賞。やはり、歴代の中でも評価は高い。初挑戦となる脚本家が優秀かつドラえもん愛に溢れている。『宝島』と何もかも対照的。
 ゲストキャラが「転校生」として登場するため、劇場版では珍しく学校の中の描写が多い。月で最初は遊んでいるだけ(道具でウサギ王国開拓)だが、そこからガチの月面コロニー発見→カグヤ星へという展開もスムーズ。「遊び」だったはずのウサギ王国とのつながり方、そして地球征服を企む悪党もキャラが立っていて良い。小ネタとしては巨大ハンマーで自害しようとするドラえもんの迷セリフ「壊れてお詫び申し上げます!」が見どころ。
 レギュラーキャラの見せ場というか持ち味もしっかり出ている。『新・鉄人兵団』のピッポ同様、歌うキャラ登場→ジャイアンがリスペクトのくだりは新しいテンプレとなるか。
「無駄に恋愛・ラブコメ要素がないのがドラえもん映画の良さ」と前回の概論で書いたが、今回スネ夫がルナ(広瀬アリス)に恋をするところは少年らしさが出ていて良い(もちろん毎回だと鬱陶しいし、主役ののび太でないところがいい)。最後のゲストキャラとの「別れ」も感動的だし、文句の付け所が全くない。私にとっては『新・鉄人兵団』だったが、この映画はドラ映画にハマるきっかけになり得る。現時点で最新だし、万人にとりあえず見てほしい映画。

総評

『新・鉄人兵団』は別格・殿堂入り、双璧をなすのが『恐竜』『月面探査記』。個人的に推したいのが『ひみつ道具博物館』というまとめになる。レンタル屋に行けばどこでも置いてある。ただし一気に見ると飽きるので、多くても週に2本程度がいいだろう。
 家族で見るもよし、恋愛要素がないので非モテにもやさしく、癒されるので人生に疲れたサラリーマンにもオススメである。ドラ映画はオタク層以外にもファンが多く、ネットよりもリアルで役に立つというか老若男女問わず会話のタネにもなる。汎用性の高さこそが、ドラ映画最大の魅力なのである。

議論はなんのためにあるんだ

 Twitterを引退に追い込まれてしまった(禁酒・禁煙のようなものでいつまで続くか怪しいが)。1年以上相互フォローでからみもある相手にいきなりアンチ化、ネチネチと人格攻撃されるとダメージを食う。
 思えば4年間のツイッターライフで5人くらいこういうことがあった。知らない相手にいきなり議論ふっかけられても「誰だお前」で無下に扱ったり無視するが、当然そんな扱いはしない。信頼関係もあるし、大卒くらいの知能もあるようだし、物別れに終わったとしても、ワンイシューで人間関係が終わるようなことはないだろう。論点や対立点を整理できれば、それはそれで有意義だと思っていたのだが。
 いま、こういう心境である。議論はなんのためにあるんだ。人間は知能や知識をつけて議論ができるようになったが、その結果人間関係が壊れるばかりなら意味はあるのか。
f:id:maoukpp:20190914153027p:plain
 偏見を承知で言うと特に女に多いが、別に議論したいとは思ってなくて、抗議したい・あるいは共感してほしいだけだったり、ただ論破や説得したいだけの人間が多すぎる。高学歴の人間ですらこうなのだから、完全に教育の失敗だろう。
 え、最近キレ散らかし記事書いたばかりのお前が言うなって? あれのきっかけは議論じゃなく、相手の非道な行いのため。
 正直、議論だけで人間関係の急転・反転を起こす人が理解できない。ただ、テーマにもよるか。消費増税のような本当のワンイシューなら安全だが、戦争や平和といった壮大なテーマは危ない。で、男女論はクリティカルになりやすいんだろう。ともかく知り合い相手だから、と応じるのはやめた方がいい。心苦しいが、議論モードの時は無視が一番。

1年間=25スプリントで考えてみると色々はかどる説

 以前、こちらの記事でIT業界のアジャイル開発@スクラム(ソフトウェア開発手法)について書いた。
maoukpp.hatenablog.jp
 最終報告はまた別途書くが、今回は箸休めであり番外編。

 1年以上もやっているとSprintXXと積み重ねていくわけで、だいぶ慣れてくる。私の経験した現場では2週間=1スプリント。1週間=1スプリントのところもあるようだが、それってただの1週間じゃん。スプリント=第何週目っていうだけで。
time-share.me
 この記事では1年を週単位で考えるといいということだが、ちょっと惜しい。ともかくここでは1スプリント=2週間を推す。
 1年=52週なのでスプリントだと26。GWと年末年始休みを引いて25としよう。これが、なかなかいい単位なのだ。仕事(本業)でも、副業でも、趣味でもダイエットでもボイトレでもなんでもいい。1ヶ月だと長過ぎるし、中だるみ・間延びする。さらに月によって日数にムラもある。かといって1週間だと短過ぎる。2週間というブロックを単位として、日程を組んでいく。
 アジャイル@スクラムという概念からIT業界関係なく汎用的に学べることは、これ。

 そもそも、週という単位は天体の動きとも何も関係がない。何かをやる単位としてはちょっと短いし、中途半端なのだ。
フランス革命暦 - Wikipedia
 フランス革命暦をご存知だろうか。歴史的なヒントはここにある。

すべての月は30日で、あまった5日(閏年は6日)は年の終わりに置いて休日とした[1]。さらに1か月を10日ずつ3つのデカード(décade。週・旬とも訳す)に分け、従来の週 (semaine) と七曜を廃止した

 この暦は全く流行らず廃れたが、いい線いっていたのだ。10日を1単位としてもいいが、いかんせん週・曜日が半端になるので現代人にはやりづらい。さらに1ヶ月=3ブロックと綺麗にいかない。そこで、2週間を1単位とすればいい。ちなみに2019/9/11は第17スプリントである。17/25という年間の位置も見えやすい。
 騙されたと思って、何か計画を立てて10スプリント=20週=約5ヶ月取り組んでほしい。きっと生産性が上がるはずである。1年以上仕事でやってきた私が言うんだから間違いない。そういうことにするの、この記事では。

IT業界のSES多重構造について

 IT業界はSI系とweb系に大別されるが、ネットではあまりに低次元なSI系dis・社畜SEネタが多いので反論しておく。




男性学へのアカハラを許さない会

 前回の記事で少し触れた、男性学の惨状についてまとめておく。
 男性学と言えば、今年2月に出た『現代思想』。
青土社 ||現代思想:現代思想2019年2月号 特集=「男性学」の現在
 杉田俊介さん、西井開さんの文章は素晴らしいのでオススメ。だがこれだけ読んでも男性学の世界は見えてこない。裏の世界を知る格好の資料が久米泰介さんのこのブログ。
フェミニスト学者への批判・反論 武蔵大田中俊之 2016、6、2 - 久米泰介
 アカデミックな男性学の内部事情を知ることができる。

 主流派男性学は現状フェミニズムの下部組織であり、女性には絶対服従・一切逆らわないという空気。何かにつけて「家父長制教」への帰依が足りない! と吊るし上げられる。
 男性学メンズリブ運動は世間の無知・無理解・偏見に苦しんでいる。


非モテ」の話はフェミニズムには出てこないから、ジェンダー論に存在してはいけないらしい。当事者曰く「フェミニズムから無視されている」という、女性の非モテについてはこの記事で書いた。
maoukpp.hatenablog.jp
 また、このような「男性学プロレス」も多く行われている。
現代思想』の特集にしても、読者層はフェミニズムファン向け(ほぼ女性)であり、決して男性学ファンやメンズリブやってる人向けではないのだ。近年のフェミニズムにとってビジネス的に「新しいネタ」だから使われるが、その実中身はただの「もっとフェミニズムを勉強してね!」系男叩きで終わっている。

 さて、本題となる江原由美子氏のこの間の記事について。男性学への批判はこういう言いがかり、低レベルな言説ばかりである。
gendai.ismedia.jp
 まず、「男はつらいよ男性学」というレッテル貼り。「『男性の特権を回復せよ』やフェミニズム叩き、女性の地位向上反対に接続しうる」という妄想だけで田中俊之さんを一方的に攻撃。たぶん田中さんの著書や論文などをまともに読んでいないのだと思う。批判したいなら具体的に、ちゃんと引用すべきなのに一切それをしていない。
 田中さんに限らず「今の社会、男性のほうが女性よりもつらい」などという誰も主張していないことを持ち出す藁人形ぶりにも呆れる。
 このようなフェミニスト学者にマウント取られ、怒られまくるのがアカデミック的に男性学の立場の弱さであり、男性学者は自ら男性の生きづらさを体現している。まさに男女逆転した家父長制であり、差別の多層構造という概念(ある属性でマイノリティだったり差別されている人も、別の属性では逆に差別者になる)がよくわかる。
 だいたい男性学を盾にしているアンチフェミ・インセル系ネット論客なんて見たことない。専門家は誰よりも慎重にやっていて「そんなことはわかっている」で終わり。
 商業的にデビューしている輩もいるネットの議論は見ないふりして、叩きやすい男性学者(それも身内の)だけ叩くというピントのずれ方、ヘタレぶりが今のアカデミックフェミニズムの問題点でもある。あれだけフェミニズムに平身低頭、恭順していても男性学「だけ」が叩かれるのなら、お望み通り多少インセルを引き寄せてでも、ネットの議論に巻き込んでしまった方がいいんじゃないか。

 こういう研究内容を全否定するような発言は、アカハラと言う。単なる指導や叱責を超えているからだ。こんな低次元な批判にはバシっと言い返すべきだが、田中さんもそれをしない。見よ、この恭順ぶり!


 批判された本人がこんなツイートをすると相手の言い分が正しいように聞こえてしまうし、当人も勘違いする。プロレスは続くよどこまでも。

 kutooへの反応がわかりやすいが、アンチフェミ男性は女性が何か自己主張すること自体が気に入らない。それと同様に、フェミニズム学者は男が「生きづらい」系主張することそれ自体が気に入らない。さらに言うと、本音では男性学を潰したいのでは? という疑念がわく。
 ある意味では、女性蔑視してくる男性よりも腹立たしい存在なのかもしれない。ともかく領域限定での男性蔑視がひどいのがフェミニズム学者。
 力関係的に、田中さんがもし仮にフェミニズム学者に一度でも歯向かったら研究させてもらえなるんでしょう。フェミニズム学者は男性学者をいじめ抜いて、その日が来るのを待っている可能性もある。なにせ、学者の世界は椅子取りゲームである。男性学者自身も望んでプロレスでやっているにしろ、逆らえない構造がある以上、完全なアカハラで見てられない。

 彼女たち男性学アカハラフェミニズム学者の本音はこう。「男の生きづらさなんか女にくらべたらたいしたことないんだから、ガタガタ抜かすな」。もちろんこんな差別的・ジェンダー規範丸出しなことは書けないから、例の記事は「『男のつらさ』に寄り添うことは、重要である」とはしているものの、ふわっとしている。もっと本音で勝負してほしい。
 江原についてはよく知らないが、澁谷については仮性包茎ビジネスの闇を暴く論文があり、本業での実績は評価したい。それでも、男性学がからむとおかしくなってしまう。まことに残念。

 現状、アカデミックな男性学は男性を救わない。単なるフェミニズムファン向けへの、男性叩き娯楽ビジネスのやられ役である。エマ・ワトソンのスピーチにもあったように、世間一般でフェミニズムはまだまだ嫌悪されている。それに一役買っているのが、男性学アカハラフェミニズム学者である。

常連だった俺がうちゅうリブを壊す理由

まずはじめに、俺以外、登場人物は二人だけだ。環[@fuyu77] と、安田鋲太郎[@visco110](以下「安田」)。
喧嘩して1日2日じゃ、やべーやつとか言われる俺もこんな記事書かない。仮にもリアルで何度も会ってる相手(環およびうちゅうリブの面々。安田は一度も会ってない)との喧嘩だ、慎重にもなる。だが覚悟を決めた。泣き寝入りはしない。
全ては8/3(土)に起こった。

前々から代表(厳密にはメイン主催者、回の主催者は臨時で誰でもできる)の環とは意見の相違があったが、どうも相手にされない雰囲気だったので夕方DMで真剣に話をする。
対話は物別れに終わる。残念だったが、一度真剣に話してダメなら仕方ないと俺も諦めた。やや距離を置こうくらいで、この時は当然絶縁など考えていない。
夜、環たち(安田含む)のコラボキャスがあったので聴く(今思えばやめておけばよかったが)。そこで捏造も含んだ環のDM暴露と、安田によるコラボキャス吊るし上げを食らう。もちろんそんなコラボには応じなかった。グループLINEでもないし、喧嘩になるしかない通話を公開でやるって頭おかしいだろ。上司気取り、坂本龍馬気取り。
まずDM暴露が論外。ツイキャスって、お前らの家の会話じゃないよ? 環に意見したのはうちゅうリブ運営(としてのアカウント)とも関連した話で、安田お前は何も関係ないだろ。いや関係あったんだな、黒幕だから(後述)。

うちゅうリブ、やらないか - うたうポリゴン
1年半前だが遠い昔のようだ…。トータル10回くらい参加し、さらに今年には臨時主催者も一度やった常連だった俺。なかなかの急転ぶりだ。今回は「うちゅうリブ」の総括と訣別、そしてキーマンへの弾劾記事である。

発端となった「意見の相違」の詳細についてはあえて触れない。何よりも致命的だったのが既に触れたDM暴露。個人情報なんて絶対に守れない。環は一応若手ITエンジニアのはずだが、その風上にも置けないボンクラである。
そして左翼の悪しき伝統、「内省しろ・自省しろ」という吊るし上げ、内部リンチ。自分たちが嫌悪してきた老害左翼そのもの。なーにがリベラル左派だ。多様性、対話だよ。自分たちが全くできてない綺麗事を抜かすな。
もちろん、最初の動機が気楽な形でスタートすること自体はいい。「仲間・友達がほしい」で始まるメンズリブもいいだろう。それでも、締めるところは締めないとね。学生サークルじゃないんだから。

環はネットでウケる恋愛・非モテ論などから味を占め、哲学→フェミニズムをかじってファッションでやってるだけ。メンズリブも一部の流れに乗っただけの、ネットインテリ左翼のお遊び。当事者性、深刻さはきわめて薄い。決して富裕層ではないが、既婚で仕事もあり、まあまあ恵まれた階層だ(これは安田も同じ)。
安田の方はKKO論そのものに冷淡だったり、インセル問題や女性に対してどこか他人事。さすがに女性蔑視まではいかないが、インテリの皮をかぶったホモソおじさんである。趣味はネットで子分を増やすことで、日々のコラボキャスという閉鎖空間でお山の大将・裸の王様をやるのが生きがい。「安田界隈」というワードが誰よりも好きで、抱いて寝るほど。
二人とも近年はTwitterで発言して批判されたり叩かれることが怖くなってしまい、ますます内に籠る重度のツイキャス依存者。フォロワーも伸び悩みリムられるのも怖いので、あまりツイートしない。昔取った杵柄の名目フォロワーだけはいるが、オワコンアカウントになりつつある(フォローも外すので、もう見なくなりそう)。
(主にアンチフェミ・ネトウヨ系)ネット論客が大嫌いで、(インセル系)オタク嫌悪も持っているくせにTwitterでは素知らぬ顔をし、ツイキャスでネチネチ言っている。ツイキャスの依存性の高さは前回記事で書いたが、これも一種の生きづらさ? いやいや、メンズリブとは完全に無関係だろう。単なる低次元な精神疾患、治療が必要だ(何かしらの精神疾患を持つ人がメンズリブをやる、参加することはもちろん肯定する。念のため)。この団体に関わると安田ツイキャス界隈に取り込まれ、自分も精神疾患になる危険性がある。怖い怖い。というかそれこの間までの俺だよ。
また、学者や出版経験がある著者などの権威にめっぽう弱い。『現代思想』にいつか寄稿したい芸人。権威主義選民思想があり、これはインテリ左翼の典型である。

環は代表として苦労もあったと思うし、Twitterアカウントも相当慎重な運用になっていた。炎上ネタに言及しない、QTで人を攻撃しない。お行儀がよくご立派でしたな。それだけ慎重だったのに、足元がお粗末だったな。ともかくあなたに代表は無理なので、団体ごと消して楽になってください。
もし今後、奇跡的にだがうちゅうリブが続けばメンバー間の不和やトラブルも出てくるだろうに、絶対対応できない。自分のことすら何もできなかったんだから。俺がこの記事を上げるまで散々サインは出していて、収拾するチャンスはいくらでもあった。説得してきたのは当事者以外ってどういうことなの。

このコンビはもっとまともな人間だと思っていて、2年以上も見抜けなかった俺の不明も大いに恥じるところ。本当に心から失望、幻滅した。こんなに薄っぺらかったとは。環はまだ若いから更生の余地もあるが、安田は実にしょうもないオッサンである。いやー、我ながら実に人を見る目がない。俺もまた彼らのインテリ風の雰囲気に、騙されてしまった。ネットの「インテリの雰囲気出してる芸人」としては最高峰だろう。アメトーークに出てほしい。
哲学者やフェミニストなど名前を出してそれっぽいことを言ってるが、中身はスカスカ。一度参院選(2019)の話をしたが、中学生程度の政治感覚しかなかった。メンタルもまんまそれ。哲学とかかじる前に、岩波ジュニア新書でも読んでろ。

うちゅうリブはたしかに会社ではないし、公共団体でもない。サークルのようなもの。別にコンプラとかが義務になっているわけではない。特定の趣味・スポーツの団体ではなく(建前上は)誰でも歓迎だし、幅広い層向け。公共性の高い団体は信用が命。なので、この件はずっと蒸し返していきたい。社会正義。

もう一度言います。うちゅうリブの代表にDMをすると暴露されます。そして意見を違えると、安田とかいう謎の黒幕のオッサンから吊るし上げをくらいます。

誰でもやらかし、しくじりはある。だからそのあときちんと謝るなどすれば丸く収まるのに、それもしない。2週間以上一言もないどころか、黒幕の方は俺のエアリプにキレている始末。そこはぐっとこらえて黙るのが男だろ。本当に小物だな。人間的に、底が浅すぎる。
彼らは下の人間はリンチするくせに、自分はなんの反省もしない。上記のように権威主義なので謎の学歴その他による階級制度を作っていて、それの下の人間だけに冷たい節も見られる(女は除く。安田界隈には姫的な女が何人かいる)。

俺自身、最初は構成員としてうちゅうリブを守ろうとしていた。最初は前回記事すら書く気はなく泣き寝入りする気だったし、書くにしても人名は出さないつもりだった。だが、それは隠蔽だ。身内の不祥事だからって隠蔽は良くない。何より代表(と黒幕)が終わっているこんな団体にどうせ未来はないので、全てを暴露してここで壊してしまおうと考えを変えた。この先不幸になる人が増えるだけだ。
実際直後はメンタルをやられていたのか、あとから怒り・闘志が湧いてきた。セクハラやパワハラの告発も、案外こんなものかもしれない。
とはいえ他のメンバー(参加者)に対してはなんの恨みもないし好意を持っているので、また別の団体でも作るか、個々にやっていきましょう。大切な出会いがあったし、いい団体だった。役目を終えたのだ、潔く自害…いや解散しよう。団体は器に過ぎない。国家が滅んでも、個人は死なない。
ちなみに「うちゅうリブ」という名前は俺が提案したものだ(今後公式には歴史修正されるかもしれないが)。名付け親に見捨てられる団体って、哀れすぎる。

もう抜ける(壊す)団体だからこそ、うちゅうリブで感じた違和感についても正直に語っておく。Twitterのオフ会に近い形式なので仕方がない面もあるが、似た者同士が集まる。たとえば「リーダーになりたいか?」回では全員が「なりたくない派」だったり。安田界隈でなくても、その手のネットインテリ左翼が多かった。
安田界隈的にメンズリブとはネットインテリ左翼同士の(でしか通用しない)議論できる仲間がほしいだけで、インテリゆえの非モテ要素はあっても一般的なメンズリブとはかけ離れている。要はインテリサロンに過ぎない。こんな連中にメンズリブの旗を振ってほしくない。少なくとも環・安田には人の心がない。間違っても大人でない。そんな人間に様々な階層・趣味嗜好の男性たちと向き合えるだろうか(反語)。
安田界隈はコアなツイキャス常連が20人くらい、全体で80人くらいだと思うが、たしかにうちゅうリブでも影響下にあった。程度の差はあれ、参加メンバーの半分くらいは安田界隈の人間だったと思う。実際、会で安田の名前が出ることが何度かあった。うーん、下部組織!
少しだけ男性学の真面目な話をすると、男性学フェミニズムの下部組織ではない。しかし普通の人はそもそもフェミニズムに関心がないと男性学なんて存在すら知らないので、左翼が多い。そして選民思想権威主義という左翼の悲しい宿命、個体差はあれフェミニズムの走狗が多い(これは安田界隈関係なく全体の話)。ちょうどうちゅうリブが安田界隈の下部組織(東京)だったように、これでは(アカデミックの)主流派男性学と同じ、新しいものは生まれないだろう。
だからなおのこと、ネットインテリ左翼の安田界隈は害悪だ。#安田界隈をメンズリブ運動から叩き出す会 とか運動しようかな。そこまで影響力もないし、アンチになるほどの価値もないのでやらないが。「DM晒しの環さん、ツイキャス吊るし上げの安田さん!」的に、ちょいちょいいじるくらいはすると思う。別に左翼でもいいんだけどね、人としてちゃんとしてれば。

さて、ともあれうちゅうリブは死んだ。死んでしまった。もし続けるなら「安田リブ」「安田サロン」に改名したらいいのでは? その方が実態に合っている。環は安田の傀儡に過ぎず、羊なんだから。普段からDMしまくりの仲=共依存だから(あれだけコラボキャスもしてるのに)、環にDMすると暴露までしなくてもその内容は全て安田に筒抜けになっていると思った方がいい。
「安田の下僕になる自由」は憲法で保障されているから、好きにやったらいい。なお環に対して「代表を辞めろ」なんてことは微塵も思っていない。形式だけヒラになっても意味はない。だから、団体ごと壊す。
最後に、繰り返しになるが俺は「男性学メンズリブ」そのものについては応援している。今回はその運営というか代表(と黒幕)がクズかつ精神疾患だったというだけで。今後もしいい団体があれば、参加してみたい。メンズリブに未来を! 生きづらい男性たちに幸せあれ!

8/25追記 反響やその反論について

 改めて、うちゅうリブ(以下「UL」)は最悪の結末を迎えたと思う。他人事としてこの件を見ると、なぜ回避できなかったのかと不思議になる。ここを掘り下げる気はないので短く端的に言うと、代表のモラル・公共心・社会性のなさ、幹部間でのコミュニケーション不足となるだろう。
 今回の記事は、私のブログにしてはものすごい数読まれた。理由は謎だが、ともかく狙い通りにはなった(後述)。しかしそのわりに反響がない(怒りの声がもっと来ると思っていた)ので、アンケートを取った。

 結果は想定通り、最初から理解や支持が得られるとは思ってない。「解体すべき」は1割いればいい方という想定で、「知らんがな」の多さを見れば十分健闘したと言える。
 そもそもUL関係者がフォロワーには多く、彼らが自己防衛に走ることはわかっている(とはいえ当事者二人にブロックされた以外、表面的に動きはない)。本気で怒っていることが伝わればそれで十分。
 8/25現在幹部(現・共同代表と元がいる)がTwitterでコメントしたくらいで、公式ブログに動きはない。おそらくこれで終わりだろうし、そのつもりでこの追記も書いている。

 さて、批判的な意見についていくつか反論しておく。ほとんど記事の繰り返しになってしまうが。

  • 私的なツイキャスでの話なので、ULを巻き込まないでほしい

 記事にも書いた通り、私はメンズリブ団体代表をやる人間の公共心を問うている。ホモソが嫌いだったはずの人間が、ホモソ丸出しの行為をしたことに怒っている。たとえばメンヘラや発達障害自助グループのwebサイト運営者が、ユーザーとのDMを私的なツイキャスで暴露したらどうなるか、考えてみてほしい。そもそもULがなければ単なるネット上の喧嘩で、ここまで怒ってない。

  • 以前から二人が気に食わなかった、仲が悪かったのでは?

 そんなことはない。良好な関係だった。あの日までは。
 友達(だと思っていた人)に裏切られた時のショックは大きく、笑って許せるレベルの欠点やチャームポイントですらあったものが、全部許せなくなる。恋愛相手との喧嘩別れに近い。潜在的にあった不信感の点が全て線になり、爆発した。そういう人間関係の急転を経験したことのない人にはわからんだろうが。
 あの日からの2週間で、私の中で環アンチ・安田アンチが爆誕した。「もしアンチならこれくらい言うだろうな」というエミュレートで記事は書いたが、嘘はない。表現上多少の誇張はあっても、まごうことなき本心である。

  • (内容がひどいので)記事を削除、撤回してほしい

 しない。仮にはてなブログから削除された場合は、よそに載せる。もし法的に訴えるというなら受けて立つ。その場合どちらの罪が重いかを争うことになるだろう。

  • 安田はUL運営とは無関係

 だから「黒幕」と言っておろうが。「下部組織」というのもそのニュアンスであり、親会社・子会社のような意味ではない。「界隈」という外枠のつながりがあったため、参加者が集まりやすい面はあった(特に女性)。団体としてその恩恵を受けながら(個人として無関係な人はもちろんいる)、「無関係です」はちょっと苦しい。

 ULを「ぶっ壊す」と宣言したのはいくつか意味があった。当然、物理的に私一人の力で解体などはできない。人は現状維持をしたがるもの。15人くらいいるUL常連メンバーたちの意識を変えようなどとは思っていないし、彼らが体制側につくことは最初からわかっている(幹部の一人が「ULとして」公開ツイートで謝罪したことは評価したい)。
 この件を公にしたのは、「ULにまだ参加はしてないが興味があった人、これから参加予定だった人」たちのためだ。対外的なULの信用は地に落ちたと思うので、それで十分。今残っているメンバーだけのサロンが細々と続く分には、社会的な害は小さい。想定以上に外野の人にも読まれたようで、「低次元な喧嘩でどっちもどっち」と笑われたかもしれないし、ゴタゴタぶりに引かれたかもしれないがそれで結構、そういう団体だと知ってもらえれば。
 今回私は損しかしていない。「仲違いするとブログでキレ散らかす危険人物」という評価は免れないだろう。全て承知の上で、刺し違える覚悟でULを壊した。ULにはそれだけ思い入れがあったし、1年半前に書いた記事をはじめ、これまで支持・拡散してしまった責任もあったからだ。
 社会性のない人間が、社会性のない団体をやる自由は、この国にある。ULが間違っても大きなメンズリブ運動の看板にならないよう、潰した。そういう意味での「将来」を、社会的信用を壊したのである。過去の自分も壊した。なかなかの自傷行為でもあったが、後悔はしていない。
 改めて、ULは死んだ。壊れた。この先どんな活動をしようとも、ゾンビたちの宴に過ぎない。

ツイキャスは危険なネット人間関係加速装置—依存から恐怖症へ

f:id:maoukpp:20190819034711p:plain (ツイキャスの画像がありませんでした)
 まず、ツイキャスについてよく知らない人向けに(ツイキャスには動画もあるが、今回触れるのはラジオ配信のみ)。
ninoya.co.jp
 上記記事では綺麗なことしか書いてないが、負の側面を語りたい。タイトルの通り、依存者だった私が個人的いざこざから、ツイキャス恐怖症になってしまった。。
 どちらかというと、増田で書くようなネタかもしれない。恐怖症になったきっかけだが、2週間くらい前にDMの内容をキャス上で喋られ、さらにコラボキャスに呼び出された(その時点で他の仲間とコラボもしていて、実質的吊るし上げ)。これだけだと私がいきなり被害に遭ったようだが、そこまでの対立もあった(次回の記事で詳しく書く)。
 当然そんなコラボには応じず、それを機にその人・界隈とは断絶した。事実としては、それだけの話。ツイキャスで盛り上がり(中にはコメント欄で知り合った人もいる)、ツイキャスで終わった関係だった。

 ツイキャスの依存性の高さ、セキュリティの甘さについては細かい話は#24 8/4の定例キャスでした(PWは聞かれればだいたい教える)。
 ざっと要約すると、「セキュリティの甘さ」というのは一足飛びに仲良くなれてしまう。ネット、Twitterで普通にからむよりも何倍も早く好感度を稼げてしまう。これが危うい。
 ツイキャスをリアルタイムで聴いてもらえ、コメントをもらえるととても嬉しい。嬉しい、楽しいから依存性も高い。依存関係はコメンター含む相互で、多くて20人くらいの小集団=界隈。ある程度フォロワーがいれば突発でも20人くらいは集まるし、コラボの相乗効果もある。時間を前もって決め告知しておけば、弱小垢でもそこまで動員困難な人数でもない。この、サロン的な小集団がヤバい。
 私は主に聴く側だったが、間違いなくコメント依存者だった(20人いたらキャスを普段やる側は5-10人くらいだろう)。毎日のように界隈誰かのキャスに「参加」するのは、麻薬的楽しさがあった。喋って、書いて。喋って、書いて。丸1年くらい依存症生活だった。
 依存対象となるのはツイキャスの中でも、不定期・高頻度の雑談系コラボキャスや、ソロでも常連との雑談コメントがらみキャスのことである。純粋な一人喋りだったり、コラボでもテーマがちゃんとあって対談ラジオ的なキャスは含まない。またアルファツイッタラーなどの有名人でリスナーが多ければ物理的にコメントは全ては読めず「拾う」形になり距離感があるので、これもラジオに近い。
 とりあえずの結論。

  • チート技を使って仲良くなっただけの関係は、壊れるのも早い。さらに周囲を巻き込む
  • コメントは挨拶程度の最低限にとどめ、基本的に黙って聴くのが無難
  • ツイキャス依存者は、ツイキャスをプライベートな空間だと思っている


 一つ昔話を。まだ個人HPの時代、よく見に行くページがあった。そこの掲示板はファンで賑わっていた。HP主がお題を出してそれに答えるようなのがメインで、ラジオパーソナリティハガキ職人たちのような関係だった(私はROM専だった)。
 掲示板は当然、雑談もあるしファン同士のからみもある。そのうち、常連同士が喧嘩をし出した。二派に分かれた戦いだった。ほとんど常駐している常連は嫌でも目につくし、アンチも多かったのだ。また主とのからみが多ければそれだけ「嫉妬」も買いやすかった。
 HP主も仲裁したりしたが収拾がつかず、結局掲示板のログ全削除という結末を迎えたのだが、今回私に起きたこともこれに近い。

  • ファン間で、うざいと思っている常連がいる
  • 主を巡って、常連同士がガチの喧嘩を始める

 幸いなことに今回私にさほど影響力もなく、界隈自体もそこまでメジャーではないので大きな騒動にはならないだろう(次の記事では好き勝手書くが)。仲違いだけならネットに限らず、よくあることだ。

 しかしこのツイの通り、今はコメントするのも怖くなった。他人の庭にお邪魔するので、誰かに嫌われるリスクがツイキャスは高い。録音(録画)でリアルタイムじゃなくても聴けるのはとても便利だが、コメントが常に残る仕様なのも時に不便。
 ツイキャスにはブロック機能もあるが、これも運用が難しい。ブロック相手が自分のキャスにコメントできなくなるのはいいとして、他人のキャスだと「見えなくなる」だけなので、うっかり大嫌いな相手がいると気付かずにコメント参加してしまいかねない(気にしないならそれはそれだが)。
 逆に嫌われてブロックされても、相手からすれば「場」の空気を乱されるのは不快だろう。嫌いな相手がコメント欄にいたら、ブラウザそっ閉じするくらいしか自衛策がない。

 ……なんという恐ろしいことをやっていたんだろう。あのツイキャスへの熱狂ぶりは一体なんだったのか。今でもまだ整理がついていない。
 これまで経験した中ではネトゲのチャット依存に近い(仲違いをして、ゲームごとやめてしまう)が、ツイキャスはクローズドなものではなく基本的に全公開、「公開された密室」だ。さらには声、喋りの効果もありさらに依存性が高い。凶悪だ。冒頭で紹介した記事にも【リアルタイムゆえに可能な“濃い”コミュニケーション】とある。この「濃さ」やスピード感こそが中毒性の根源だ。
 私がいた界隈の主要メンバーは、皆重度の依存症である。一種の精神疾患と言っていい。程度の差はあれ、もちろん私もだったが。いざこざによる恐怖症も、自業自得と言われればそれまで。これもまた別の精神疾患かもしれず、いわば精神疾患のハシゴ状態。
 とにかくこの、「依存から恐怖症」というギャップに戸惑っている。あんなに依存症だったのに。一人喋りの定例キャスは続けているので、完全に縁を切れていないところもよくないのかもしれない。ただ一人喋りは当面やりたい。

 今わかっていることは、今後自分のツイキャスがもし盛り上がったらとても嬉しいが、もう昔のようには楽しめないということだ。まさにトラウマ。他人への影響と、自分の依存と。ツイキャスは二つの意味で恐ろしい。
 キャスは、自分のためにやらねばならない。いま、目の前には、アイスのようによく冷えた現実だけが広がっている。