うたうポリゴン

魔王K++(ケープラ)のポータル兼個人ブログ

アジャイル開発は「性強説」、面白さと恐ろしさが同居するリスキーなやり方

 IT技術者として2018年はほぼ丸一年、(同じ現場で)アジャイル開発@スクラムをやってきた。今回の記事は完全に技術者向けで一から説明はしないので、まずは基礎知識。
スクラム (ソフトウェア開発) - Wikipedia

 その他、今まで読んだINPUT資料を。この記事を書くにあたって本も読もうと思ったのだが、現状翻訳本かつアジャイルは素晴らしい!」しか書いてない本が多くて買う気なくした。2019年は、日本のSE現場経験者によるアジャイル本がもっと出てきてほしい。
mendix.buildsystem.jpfrontline.fmotihateten.hatenablog.comqiita.com
アジャイルのエヴァンジェリストが見落としてる点(3) | MechaAG


qiita.com


 肯定派・否定派混じった悲喜こもごも。今回私もやや否定的な記事だが、中立派である。
 私は1次請けではなく、使われる側の立場である。「受託・ユーザー企業共に上層部が何を考えているかまでは見えていない」ことははじめに断っておく。あくまでいちメンバーとしての体験記である。
 プロジェクトの概要・状況は以下。

  • 既存画面入力システムの置き換え。完全新規の画面がメイン
  • 人材は寄せ集めのSI的受託プロジェクトで、100人近い大規模(最初は小規模だった)
  • 私はプロジェクトの最初から参加
  • 1チーム8人前後のスクラム形式で、受託企業のリーダーがSM(スクラムマスター)、ユーザーIT部門担当がPO(プロダクトオーナー)
  • 最初は1スプリント=1ヶ月。途中から1スプリント=2週間

プロジェクト開始

 初期に集められた人材は「業務・アジャイル未経験可、数年以上の経験者」だった。業務・アジャイル経験者と未経験者は半々くらい。最初の1カ月はほぼ慣れるための研修のようなもので、じっくりと慣れてもらい、チームの結束を深め生産性を上げていくという意図だったと思う。アジャイル講師による勉強会などもあった。
「意識を変えてくれ、今までのやり方は通用しない」
 アジャイルの本によく書いてあるような台詞の、無言の圧力があった。我々は戸惑いながらも、徐々に慣れていった。ふりかえりミーティングでは意見も出しやすくチーム仲も悪くないし、個人・所属チーム単位で見ればプロジェクトは順調に見えた。

ウォーターフォール的増員がなされるアジャイル

 なぜ発注側=ユーザーがアジャイル開発を導入するのか。それは「流行りだから」などというミーハーな理由ではなく「開発費がトータルで安く済む」「仕様変更がしやすい」からだろう。
 さて、我らのプロジェクトは最初は少ないチームだったのがどんどん増えていった。これは詳細設計以降を増員してやっつけるという、従来型のやり方を踏襲しているように見えた。現在は10チームくらいに膨れ上がり、正直全容を把握できない。マスタスケジュール(スケジュール管理については最後に紹介した記事に詳しい)が押している都合もあろうが、これがアジャイル? いいのか? とツッコミたくなる。
 仕事というのは仕事算のように、100人でやれば一瞬で終わるというものではない。こう大規模になると余計にスクラムマスターの上にいる、従来型で言うPM・統括の人が重要になってくる。が、あまり機能しているように見えない。単なる私の杞憂、勘違いであればいいのだが。現在は統括やチーム間連携が最重要課題となっている。

残業はないが、キツい=休みが取りづらく暇がない

 日々の短いミーティング(デイリースクラム)やることを決め、1時間でも手が空いたらすぐ動くというのがアジャイルの流儀。ゲームで言うと、完全に「素早さ重視」の仕様なのがアジャイル(まさにagileという英単語の通りではある)。
 このプロジェクトは超絶ホワイトだしアジャイルにもだんだん慣れていったが、それでも小刻みなスプリント単位でやることが決まっていると心理的に休みを取りづらい(個々人の事前申請休日を加味して見積もり、割り振りをする体制ではあるが)。何より、日々のタスクをこなす中で暇がない。
 決して「サボる」という意味ではなく、技術者にとって「暇な時間」は必要でもあるなと。自分の担当外のソースや仕様書を見たり、他チームの様子を伺ったりすることで既存バグを見つけたり生産性が上がることもあるからだ。
「飲みニケーション」は古いと言われるが、日本人の場合「ふりかえり」では出てこない本音もたしかにある。アジャイルの1チームは、基本2テーブルに収まるので飲みに向いている。少人数なら全員と話せるし、盛り上がる。ここに日本型アジャイルのヒントがあるかも。プロジェクトの予算で全額でないにしても金を出し、チーム単位で飲みに行かせるべきである(タダで飲みたいわけでは決してない)。

広がるチーム間格差と不和

 最初は各チームはそれぞれ担当領域が分かれていたのだが、徐々に案件単位で分かれ、全領域をやるようになった。すると、できの悪いチームの品質に直面し、尻拭いをすることが増えてくる。これで一気にチーム間が不仲となった。後発のチームは不利な部分はあったと思うが、3ヶ月半年しても進歩がなくそれにしてもひどい。
 よく言われているのが冒頭に引用した記事にもある通り、アジャイルはエリート集団を前提にしている性強説」ということ。
「無駄なドキュメントを作らない」が通用するのも、阿吽の呼吸というか「当たり前」のレベルが高いから。相互にレビューしたり、ふりかえりミーティングで意見を出し合って成長できるのも対等な関係があればこそ。ガチガチの体育会系だと上の人間がシバキ上げるだけだし、ただの無能集団だと馴れ合って終わりである。

 旧来のウォーターフォールにも問題は多い(長くなるのでここでは触れないが)し、アジャイルの良さはたしかにある。私はこの案件を聞いた時、勉強できる・面白そうだと思った。経営目線というかプロジェクト管理を自分でも色々考えるようになったし、何より1年かけてようやくブログが書ける。
 ただ、日本の大企業でアジャイルがうまくいった例はあまりないそうで、やはり小規模開発か超一流軍団でないと難しいというのが私の現時点での結論。
 本場アメリカは日本と違ってIT技術者がエリート職だが、中でもマイクロソフトやアマゾンなどのアジャイル開発はサッカーで言うブラジル代表のようなもの。個々の能力が高く全員がどのポジションもできるし、監督がうるさく指導する必要もない。それが日本代表の「自分たちのサッカー(笑)」ではアジャイルは不可能なのである(これはあくまで比喩であり、日本のTOP技術者11人のチームなら当然可能)。

アジャイルの恐ろしさは「チーム全員の能力が高い」という属人性。課題はPO

 チーム内で担当を固定せず(スプリント・タスク単位で入れ替え)属人化をさせないのがアジャイルだが、結果的にチームメンバーの力量、そしてチーム環境に大きく依存するのもアジャイル。別の意味での属人性が存在する。
 もちろん本当にダメな人は契約を切られるのがIT技術者の世界だが、それでも技術力に差があるので多少は助け合いというか、ならしやすいのが従来型ウォーターフォールというか縦割りチーム。同じ会社の先輩が後輩・若手の面倒を見るという日本企業の文化もあるが、良くも悪くもそれが機能しづらい(もちろん縦割りでもチーム間で会社が違うと、質問一つやり取りするのもエクセルベースで時間がかかってたりして最悪なのだが)。
 サッカーチームに1人だけブラジル代表がいても弱いのと同じで、意識の高い人が1人いてもチームはよくならない。うまく回ればたしかに生産性は指数関数的に上がるが、逆に通常ならn倍にはなるところが1.n倍にしかならない危険も。受託=開発側はもちろん、発注側もこれらのリスクをきちんと認識する必要がある。

 チーム内のPO(プロダクトオーナー)にしてもそうで、ほぼ完璧に技術も業務もわかっている人がやる前提なのだろう(というか内製の場合、そもそも同じ会社の人間)。本来は。でも日本の現実はそうじゃなく、「お客さん」の位置付けであり同じチーム感が全くない。結果、チームとのコミュニケーションにも齟齬が発生することもあった。開発初期の段階でPOは「え、今いるそれ?」といった画面の細かいことばかりツッコミがち(プロダクトバックログではなくすぐやれという)で、それが結果的に非効率につながっていた。
 POが教科書通りに機能しづらい。これが日本のアジャイルの最大の弱点であろう。PO個人はもちろん、ユーザー側企業の上層部までアジャイルを理解しているかどうかが問われる。POは製品の責任者、顧客側の人間だが顧客のトンチンカンな要求は跳ね除けなければいけない。だが、上意下達の大企業サラリーマンにそれができるか。
 会社全体がガチガチのウォーターフォール的なのに、プロジェクトだけアジャイルって矛盾していませんか? 構造的・人材的な問題から日本でアジャイルが定着するまで、あと10年はかかるだろう。
 

それでも、まだ失敗はしていない

 結局のところ、ITに限らず仕事は「やり方を変えただけではうまくいかない」という至極当たり前のまとめになる。ニュアンスは変わるが、ユーザー企業との信頼関係が第一なのも同じ。アジャイルの場合、単純な能力の高低以外の適性もある。
 ただIT技術者のスキルの一つとして、経験しておくのはいいことだと思う。将来的にはアジャイル寄りのやり方が主流になる可能性はあるし。教科書的なアジャイルは日本では正直厳しいが、ガラパゴスでけっこう。日本向けのアジャイルはきっとある。
 このプロジェクトについては従来型の方がよかったのか、まだ答えは出ていない。正式リリースはまだ先だが、アジャイルなのだから予定通りリリースはされるだろう。問題は品質だ。
 とはいえ、まだ失敗だったというわけではない。また続編を書けるタイミングになったら、筆を取ろうと思う…このブログが身バレして怒られたりしない限りは。 

少年ジャンプ編集部のジェンダー観が終わっている件

 性的表現の世間への影響と言えば、「ハレンチ学園」のスカートめくりが有名。
jin115.com
スカートめくり - Wikipedia
 別にセクハラや性犯罪のすべてが漫画のせいなどと言うつもりはないし、今、過去の作品を断罪する気もない。広義の男尊女卑、具体的にはセクハラ文化という世相があり、それが通る時代だった。
 時代は変わった。昔のままでいいわけがない。少年漫画などの「全年齢向けエロ」表現は女性蔑視の拡大再生産の役割を果たしており、その影響力は軽視できない。今の子供の教育うんぬんより、既得権益を守ろうとするオタクたちこそが、これらの悪影響を受けまくった成果物と言っていい。
jumpmatome2ch.net
 これはあまりにも悪ノリがひどいし、無用のヘイトを集めているだけで商売上も無益である。少年ジャンプ編集部は90年代で時空が止まっているのではないか。連載作品云々よりも、2017年の女子トイレマーク事件にしろ、場外で炎上している。まずは作品・漫画家よりも、この編集者たちを批判したい。
maoukpp.hatenablog.jp
 お笑いの世界は、徐々にではあるが変わってきている。テレビなどは大勢が関わるし、世代交代も起こるからだろう。出版社は社員は少ないし、一つの雑誌の編集はせいぜい20人くらいの集団でしかないからサークルのようなノリでやっているのだろう。社会的影響力の強いマスメディアの人間として、あまりに無自覚。
 新聞・テレビなど報道系メディアのヤバさはネットでもよく叩かれるが、ライター、作家デビューしたいという下心がある人間が多いため出版社など表現系メディアはあまり叩かれない傾向にある。この風潮は本当にダサい。
 少年誌・青年誌という区分けは「作風がダークか、大人向けか」で分けられているだけで、性的表現はほぼ考慮されていない。要するにゾーニングが機能していないのでまずここを見直す必要がある。そして編集長一人の責任にしないためコンプラの部署を作り、社内監査もやったほうがいい。

 今回直接の炎上は展示イベントだが、連載作品という土台があってこそ。
maoukpp.hatenablog.jp
 この記事の続きでもある。以前は「表紙でゾーニングを」と主張したが、今回は内容にも踏み込む。
 フェミニズムというか性的問題は、ネット特にTwiterでは上澄みだけをすくった「論破厨」のための議論になりがち。いや、そもそも議論ではないのだ。あるべき理想社会を語っているだけで、論破するしないの話ではない。法的・歴史的根拠を持ち出すこともできるが、所詮は価値観の違い、論破厨の言う「お気持ち」である。


 今回の件ではこのツイに反応が多かった。「許されない」というワードが刺さったのだろう。もちろんこれは社会通念上という意味であり、法制度的にどうこうではない。
 一番多かったのは「許すかどうかお前が決めるな」「お気持ち」という反応。これについては「オタクのお気持ちなぞ知らん」で終了。「お気持ち論法」は、すべて自分に返ってくる。

反応1:「ゆらぎ荘は熾烈な読者アンケートで生き残った作品!」

 何もかもズレている。そんな話はしていないし、今回怒っている人たちはアンケートとは無縁である。

反応2:「エロい少女漫画もある!」

 比較にならない。単純に部数だけでも「りぼん」の例で言えば90年代の全盛期は100万部超えだがジャンプは600万超え、近年は1桁違う。さらに、逆ハーレムやBLなど対男性性消費型でなければ対抗馬として成立しない。女性がBLなどの影響で男性にセクハラする例はきわめて稀。
 もちろんゾーニングの観点から言えば、女性向け男体エロも同様に規制すべきだと考える。ただし、まずは影響力のでかいところから、そして社会のマジョリティを占める強者(男性)側から行うべきだ。
 この反応2の混ぜ返しは「女性専用車両男性差別だ!」という屁理屈に似ている。実際法的根拠はないし、鉄道会社のルールでしかない。一見すると正しいが、社会状況を総合的に判断すればそうではない。痴漢被害があまりにも多い=女性の人権侵害がひどいからこうなっているし、世間の理解も得られている。だから表現も、法的規制は慎重にならねばならない。

反応3:「ジャンプは昔からエロかった」

 ツイで書いた通りだが、昔からあったんだからセクハラやパワハラが許されるという道理はない。オタクは老害そのものの主張をしている自覚があるのか。
 むろん男向けのエロい作品はあっていいが、既に書いたように漫画界における少年誌というメインストリームに堂々と載っていることが問題なのだ。


 さて、最後に余談。漫画に限らず性的表現がなくても、男性作家による女性蔑視が表現に出てしまうことは往往にしてある(それが原因で創作物が楽しめなくなってしまう女性もいる)。どうしても女性キャラクターを物のように扱ってしまうのだ。そこに人格はなく、作中の男性キャラ・男性読者にとって都合のいい記号でしかない。
 長期連載で絵柄が変わることは珍しくないが、このような「モデルチェンジ」まで起きてしまう。
oreno-yuigon.hatenablog.com
 ワンピースという大メジャー作品でさえこうなのだから「表現の男社会」は深刻である。作家も編集者も、変わらねばならない。

キャリアについて考えてみる—ジョブ型雇用は万人に向くか

ten-navi.com
 おそらく今年一番、深々と刺さったので、この記事をベースにキャリアについて考えてみます。この記事は典型的なメンバーシップ型雇用の悲劇というべきで、なんとかならないのだろうかと慨嘆する。
 ただでさえ、総務の仕事って大変である…間接部門とバカにされ社内はもちろん世間の評価が低すぎるし、合コンでもウケないというかモテの要素がない。だいたいテレビドラマの登場人物の職種ってほぼ営業か、企画・商品開発などのわかりやすい花形ばかり。
 私はこれでも総務出身である。新卒で入った社会人としての最初のキャリアは総務であった(後でまた触れる)。
 で、最近よく言われているのはこれ。nomad-journal.jp
 わたくしのような(自社製品開発でない)常駐型IT技術者は、(正社員・フリー関係なく)事実上既にジョブ型雇用なんです。基本的にプロジェクトが終われば解散、同じ現場にずっといても給料=単価が上がることはないので、長くても1、2年で(たとえ客先から評価が良くても)自分から抜けるという慣習。
 特に総合商社のような巨大企業が典型的だが、日本では文系は総合職という名のなんでも屋で採用され、「キャリアを天に任せる」雇用が一般的。実際には天ではなく入社前から育成方針が決まっていたり、直属の上司や人事部の評価だったりする。
 だからコミュ力重視のポテンシャル採用なんて言われ方もしていた。「目指すキャリア・やりたいことが特にないが、ポテンシャルはある一流大学の学生」にとってはこちらの方が実はよかったりする。ファッションに自信がないから、奥さんや恋人にすべて服を選んでもらう感じで。
 ただこれ、矛盾している。カツセさんの例をみてもわかるが、今時のシューカツはキャリア像を述べさせるのである。「嘘でもいいからちゃんと入社後のストーリーを作っておけ」はシューカツマニュアルの基本。そこで流暢に喋れないと内定がもらえないのに、実際希望が通る人は一握り。
 総務に希望する人なんてほぼいないので、不人気の部署は強制的に人があてがわれることになる。組織人にとって業務命令は絶対で、拒否できない。抜ける自由はあるし、命まで取られることはないが企業というのは本質的に専制国家である。配属でそれを思い知る人は多い。
 内定後や入社直後に不本意な配属先を告げると辞めてしまうから、わざと1ヶ月以上の新人研修を終えてから配属先を発表する。研修中の評価を考慮するというが、これもほぼ茶番。シューカツの茶番は、実はその後の配属というステージまで続く。辛島美登里さんも歌っていたように、「シューカツっていうルールはとても難しいゲームね」なのである(歌ってない)。

 文系のシューカツについて、人は3つのタイプに大別できる。

  1. 敗者・落ちこぼれ
  2. 勝者だったが、その後不幸になる人
  3. 勝者で、結果的にキャリアに目覚める人

 私は入試の得意・好き科目や大学で学びたいことは文系だったが、シューカツに関しては完全に理系人間であった。つまり1. に該当。氷河期世代はもちろん、ネットにはよくいるタイプでアスペ・発達障害の傾向がある。
 カツセさんは2. のタイプ。これも非常に多いと思うし、元々優秀な人間なので声がでかい。「日本の新卒採用は間違ってる、けしからん!」となる。そういえば「エイジハラスメント」の武井咲さんも総合商社で総務に配属されてたっけ…。
 あまり表に出てこないのが3. のタイプ。いや、実はこれ、合同系含むシューカツイベントで登壇する若手社員が皆言っていたことだった。
「特にやりたいことはなかったが、やっていくうちに今の仕事に目覚めた」と。日本の大企業が最もほしい人材は、これ。学生だった私も、そういうものかと思っていた。今思えば実に愚かだったが、当時は今よりもずっと保守的でホリエモンに影響されてるような人間が大嫌いだったし、ジョブ型雇用なんてワードもメジャーではなかったし致し方ない。
 ちなみにカツセさんと私の違いは、辞めるまでの期間。5年だったカツセさんにくらべ、私は1年弱である。これはおそらく就職した企業のランクが関係している。私も別に総務の仕事が嫌で辞めたわけではない(総合職としてはどうみても営業よりは総務向きなので、人事部の評価は正しい)。総務にいたからこそ、会社の体質が終わっていることがよくわかったのである(実際私が辞めて数年後、潰れはしなかったが合併された)。

 今だから言える。学生がシューカツで最初にすべきことはいわゆる自己分析などでなく、日本型大企業のメンバーシップ雇用に向いているのか、ジョブ型雇用に向いているのかの適性を見極めること。後者だとわかったら、自分に向く職種を見つける。あとはサヴァイヴするためのスキルをつければいい。
 最後に余談。


 基本的にこのツイの通りの感想だが、こういう人が表に出てきているのはいいことではあるなと。ただこの手の人たち、シューカツにも通りそうなハイスペ君ばかりなのであまり参考にはならない。もっとアスペ全開な人に出てきてほしい。
 あえて嫌いなフレーズで締めるが、ドキドキしよう。そしてサヴァイヴしようぜ。

謝ったら死ぬ教団と若年性老害、そして「会って話そう」問題

 ありがとう32000PV(記事執筆現在)。togetter.com
 これ以降も面白いツイートはたくさんありましたが、まとめとしては完結しているし長くなりすぎるのであえて更新はしませんでした。元々ほぼ自分のTLだけでまとめているので、続きが読みたい方はこちらをどうぞ。
ケープラ楽団(@maoukpp)/2018年11月25日 - Twilog
 今回は「謝ったら死ぬ病」というワードでおなじみの、謝れない問題について考えてみます。カリスマ・無謬の人として教祖に謝ってほしくない信者、そういう信者の手前余計に謝れない教祖、もし教祖が謝ったら絶望発狂する信者—これらの相互依存関係を「謝ったら死ぬ教団」と今回私は名付けました。鶏が教祖で卵が信者、みたいな。
 昔はそうじゃなかったのに、「謝ったら死ぬ病」を批判し、バカにしてきた人間までもがそうなってしまう。実年齢が若くてもネットなどで取り巻きができて偉くなったと勘違い、増長し老害化することを「若年性老害」と以前から私は呼んでいます。今回の謝れない人(教祖)は、この合併症でした。

 その件の続きですが、一応一般論のつもりで書いたツイートに想定以上の反応がありました。


 特に加害者サイドが「会って話そう」と言ってきた場合は危ない。泣き落とし・土下座戦法でくるか、逆に恫喝してくるか。いずれも和解条件を値切ったり踏み倒す目的です。
 件の人がどうだったかはともかく、リアルかつ1:1(または相手が一人)なら謝れるという人はいる。録音でもしない限り、記録が残らないから。会議みたいな公の場所では絶対に謝れない人、会社組織で働いていてもたしかにいる。メールやLINEでしか謝れないとか。
 どうも「謝りにくいランキング」のようなものが人それぞれあって、得意な方法で謝ろうとする傲慢さが人としての信用を落とすことになるのだなあと。謝る側が何条件つけてんだっていう。プライベートな個人間の喧嘩ならそれでもいいでしょうが、TPOをわきまえないといけない。
 ネットでは「公」という概念がない人がけっこういるが、営利・ビジネスがからんでなくても公になってる案件で自分に非があった場合は素直に認め、謝罪するのが大人というものだ。その相手は一生許してくれないかもしれないが、それが自分の信用を守ることになる。情けは人の為ならず。
「学級会で形式的に謝れば全て水に流す」という学校教育もよろしくないが、それすらできないのは最悪。今こそ、謝り方のマナー講習が必要だ。こんな能力を、持って生まれた資質とか才能にしてくれるな。教育・更正の力を信じたい。現代のインターネットにこそ、金八先生が必要だ。

なぜゲームの主人公はモテモテなのか、ヤリチン放題でも許されるのか

 今回は元ゲーマー・元オタクとして、ゲーム社会学をやってみる。今やJRPGと呼ばれるギャルゲー化したRPG全般がそうだし、特に18禁のエロゲー・エロソシャゲなどに顕著。物語性のあるゲームすべてと言っていい。なぜ、ゲームの主人公はたいしたことをやっていないのにモテまくるのか。我々はその謎を解き明かすべくジャングルの奥地…ではなく室内で改めてゲームをやってみた。
 本稿では「商売主義で男性プレーヤーに媚びている」なんていう正当な主張はしない。そんな浅ましい、俗物が喧伝する社会評論は聞き飽きた。これだけ多くの「世界」で共通する事象なのだから、似た社会モデルが採用…いや報告されている。そしてそれには、何か根源的な理由があるはずだ。何か。
 改めて、ゲーム世界における主人公の特徴をまとめてみる。

  1. たいしてハイスペでもない主人公が
  2. (ゲーム上)当たり前の指示を出しているだけで
  3. 神リーダーとして崇められ、モテまくる
  4. さらには部下(仲間)に手を出しまくるヤリチンぶりでも組織が破綻するどころか、むしろ絆が深まっている

 18禁もので4番目が加わるかどうかが違うだけで、これは現代ほぼすべてのゲームに言えることである。しかも驚くべきことに、作中では世界を救うくらいの有能な人材が集まっているのに、そのエリート集団の中でモテまくるということ。恋愛経験が多そうなセクシーなキャラでさえもそう。我々の現実社会と乖離しすぎていて、気味が悪いくらいだ。なぜこうもチョロいのか。

 主人公の容姿・外見描写がない作品も多いが、あっても作中で異次元なイケメンということはまずない。明らかに「人格」でモテているのだ。
 少年ジャンプのエロ漫画(不可解な日本語)「終末のハーレム」のような、男性が極端に少ない世界でもない。エロゲー・エロソシャゲでは男性登場人物が少ないが、モブキャラ・人口レベルで男性が少ないというわけではないからだ。
 では、(多くのキャラが)清楚なテイで実は皆ビッチなのだろうか? それはない。あんな性格のいい子たちがそんなわけはない! ……ついオタクとして熱くなってしまったが、仮にそうならもっと寝取られも発生していなければ説明がつかない。前述の通り、男性が主人公以外存在しない世界ではないのだ。貞操観念は普通にある世界だと見ていい。

 紙幅の都合でエビデンスは省略するが私の考察をまとめると、現代日本とくらべて、ゲームの世界は以下のような文化的背景がある。これは仮説ではなく、圧倒的真実であり統計的真実なのである。

  • 男女問わず、コミュニケーション力、特にマネージメント能力が絶望的に低い。よって、当たり前の気配りや指示をするだけで神リーダーになれる
  • 恋愛市場において、男の(人格)レベルが壊滅的。したがってごく普通の主人公が、超絶やさしくていい男となる
  • 上記の理由として、不倫が異常に厳しく断罪される。まともな男性もいるがすぐ既婚者になってしまい、手が出ない
  • やけに恋愛経験が少ない子が多いのは、それをよしとするカフチョーセーが異常に強い社会だから。なぜか作中には登場しないだけで、フェミニスト運動が盛んという裏設定が実はある
  • 女性たちに「一流の男の2番手3番手>>>>(超えられない壁)>>>>しょぼい男の正妻」という意識=闇の一夫多妻制がある。作中の家族設定などから表向きは一夫一婦制だが、その裏には一夫多妻制が横行している。あるいは恋愛状態においては一夫多妻状態が許される慣習がある。どんなモテ男でもあんなヤリチンぶりでは、仲間の嫉妬を買って組織が崩壊するはず。それがないのは、女性たちが許容しているから。主人公は単なる浮気ではなく、組織内の女性を「平等に愛する」という擬似的な一夫多妻制を体現しているため問題にならない

 ゲームの世界は現代日本とは大きく違う。さあ今日も、我々の常識が通用しない異文化コミュニケーションを楽しもう。ゲームをやると文化人類学社会学の勉強になるので若い人は覚えておくように。

 おっと、イベント周回の時間だ。狙ったキャラを当てるまで、課金ガチャも厭わない。それが私の信念だ。そして好きなキャラは無意味な上限強化をしないと気が済まない。廃人・依存症だと笑いたければ笑え。賎民に私の高潔な理想などわかるものか。
 二次元(+声優)こそが至高の美であり、それ以外はすべてまがい物なのだ。それがオタクの真実。二次元よ来たれ、三次元よ去れ。

お笑いリベラリズムの台頭

 珍しくテレビ、お笑いの話。ライブに行くほどではないが私は昔からお笑いが好きである。昔はテレビ、漫画、ゲームしか娯楽がなかったので、ナチュラル・テレビっ子。
 とんねるずダウンタウンを見て育ち、おそらく一番お笑い芸人に憧れた世代と言えよう。私がボイトレ評論家としてものまね特番が好きなのも、その延長である(なので、ボイトレ系若い世代の無関心に驚いている)。
 今年はとんねるず冠番組が終わったり、節目の年でもある。パワハラ、セクハラ・ミソジニーの笑いがウケなくなり、時勢を無視できなくなった。そうは言ってもテレビはアラサー以上世代向けのもの、演者もスタッフも40代が主力なので、そこの価値観が強いのはもちろんある。が、それでも確実に変わりつつある。
 今回の記事のきっかけは、お笑い芸人「三四郎」の記事。
bunshun.jp
 三四郎・相田さんの言う、パワハラ、いじめ的な【「つらいお笑い」の概念がないんだと思います】…素晴らしい考えだ。全否定はしないが、そういう笑いが主力の時代じゃないという考えだろう。
 私はこのようなイマドキの芸人の考えを「お笑いリベラリズム」と名付けたい。全体的に、同世代の芸人でも関西の方が保守的な感じがする。関東芸人でも5歳上になると、まだまだとんねるずチルドレンという感じ。

 レコーダーに残っていた2016年2月4日放送のアメトーーク「オリラジ同期芸人」を改めて見返してみた。この回は11年間の栄枯盛衰、下克上がすごくて単純に面白い回だが、私はこの世代の芸人たちとほぼ同い年なのでより親近感があった。
 面子はオリラジ、はんにゃ、フルポン、トレンディ、ニッチェ、三四郎。私は今回、彼らの共通項に気付いた。それは、「基本的に(目下の)他人を攻撃した笑いを取らない」ということ。「誰も傷つけない」サンドウィッチマンが最近評価を上げているように、時代のトレンドはこちらなのだ。
 番組内でニッチェが、「オリラジと4人でロケの企画があったが、全然笑いが生まれなかった」というエピソードトークをしていた。曰く、まず登場時の衣装でブスいじりをしてほしかったが、オリラジ中田「俺たちは女性にブスとかあまり言わないから、普通にいいねって」。
 私はこのロケの放送を見てないが、どうだったんだろう。派手な笑いはなかったかもしれないが、別に悪いものではなかったのでは。安易なブスいじりの方が、もう、古いのだ。
「女芸人は、ブスであらねばならない。美人は芸人から引かれてしまい、腫れ物扱い」というお笑い業界のミソジニーは昔からひどい。女芸人もその呪縛に苦しみながら、「ビジネスブス」をやっている。最近では、推測だが女性プロデューサーが増えた結果、クソ面白くもない逆セクハラ芸が増えたりしている。だからテレビが若者から見放されるんだよ。
 でも、私と同年代以下の芸人・スタッフがこれから主力になっていけば自然と変わっていくのではないか。絶対的地位を築いたかに見えた老害もいつかは退場し、時代はゆるやかに動いていく。

 アメトーークなどでもちょいちょいパワハラミソジニーが顔を出すし、観覧の若い女の子がそれを笑って受け入れているのを見ると暗澹たる思いになる。が、これは強者に染まってしまうだけで仕方がないことなのだ。
 観覧の女の子も、センスのない女性プロデューサーも男社会の犠牲者。そのうち気づく。地獄のようなインターネット男女沼を見ていると絶望するが、あんなものは世界の一部。リアルの方がはるかにましで、前向きになっていい。三四郎らオリラジ同期芸人たちに、そんな希望を感じた。

コンビニエロ本問題は公共の福祉案件である

 改めて、コンビニのエロ本(成人誌)問題について考えてみます。

 2017年の千葉市ミニストップの件も、私は当時から支持していました。あれは元々「カバーが(コスト的に)不可能なため全面撤去になった」だけで本来の目的はゾーニングでした(下記記事にもあるように大阪堺市ではカバーゾーニングが実施されている)。
www.nippon.com
 ついこの間も ananセックス特集で物議を醸しました(この記事公開後には書店でのラノベ表紙問題…何度目?) ちなみにこのツイはある有名アカウントとの議論がツリーになってます。よければどうぞ。
 この件に関して、ネットで散見される(三流)フェミニスト女性を私は支持しません。敵に回ります。
 曰く、女性の欲望は自制できているだとか、普段抑圧されている側だからいいんだとか、あくまで性の教科書だとか、性暴力・加害コンテンツではないとか…。

(゚Д゚)ハァ? 「きれいな核兵器」かよ!

一般誌の面をかぶったエロ系も含めすべてゾーニングすべき

 明らかにイケメンを性的消費してるだろ。はい、実際に私はあの表紙を見て嫌な気分になりました。イケメンしかセックスできないみたいな圧力を感じる。そんな教科書があるかっ。人権意識のない怨念系フェミニストにありがちだが、自分がやられて嫌なことを男に「倍返し」、半沢直子してる場合かと問い詰めたい。

 たしかに「子供に見せたくないから」「子供の教育に悪い=性消費価値観を再生産する」という理由だけでは弱いというか、子供を盾にしているようで卑怯。性的表現ゾーニングの根拠は、環境型セクハラだから。
 大人でも当然、女性は嫌な気持ちになる。男の私ですら、朝っぱらから見たくない。今回のようなイケメンポルノやBL雑誌がコンビニに並んでいたらと思うとぞっとするし、女性の心痛は察するに余りある。私はフェミニストだ。
 たとえ法的に問題なくても、公衆の面前で全裸になったりセックス始められる人は少数派。それがすべて。屁理屈を抜かすな。
「全年齢向け」少年漫画誌も表紙でたまに物議をかもすが、これらは「表現のチキンレース」と呼ばれている。エスカレートしていく出版業界によるソフトポルノ氾濫は大きな問題。一括したゾーニング対策に国・自治体は踏み切るべきである。ジャンル問わず見出し含めた表紙がすべてで、内容などどうでもいい。週刊文春・新潮のような表紙なら完璧。
 もちろん出版・表現の自由はある。エロ表紙本をコンビニや、書店でも入口付近の目立つところに置くなというのが私の主張。これは完全に小売側の対応次第で、エロ表紙本が陳列されづらくなり「販促に不都合」となれば出版社も自重するしかない。

そもそもコンビニは、誰のものなのか

 私は30代で、東京出身。30年前というと1988年。私の成長と共に、90年くらいからコンビニはどんどん増えていった(東京といっても広く地域差もあろうが)。「夜遅くまで、弁当からパンツまで売っている」ことが独身男性の喝采を得た。当時は酒を置けると有利なので、酒屋さんがFCオーナーになるケースが多かった(その後の規制緩和で酒は当たり前になった)。
 酒もエロ本も、すべて成人男性向けだった。「よくわからない店」なので高齢者は近づかない。子供はアイスやお菓子を買うくらい。昼休みに外出できない中高生は、朝コンビニ飯を買って行くスタイルが広まった。客単価で言えば圧倒的に、成人男性がメインターゲットだった。それもよそのお店が閉まる夜が稼ぎ時。
 では現代は、誰のものなのか。言うまでもなく、全世代の男女向けである。昔にくらべコンビニには女性誌が増えたし、食料も女性向けの健康志向・スイーツが多い。酒でさえほろ酔い系があるほど。

 主婦も高齢者も買い物するし、各種手続きのために訪れるコンビニ…その定義がいま問われている。今回は良識派フェミニストとして、真っ当なことだけを言ったのでオチとかないです。