うたうポリゴン

魔王K++(ケープラ)のポータル兼個人ブログ

26年ぶりの『ゼルダの伝説 夢をみる島』、一つの答え

maoukpp.hatenablog.jp
 この記事の続きです。今回ここの攻略サイトにお世話になった。switch版にも対応していて完璧!
i-njoy.net
 クリア直前(後述)までやったので、リメイク作品としてのレビューを先にする。
 変にイマドキアレンジをせず、リンクも二頭身で当時の世界観、箱庭感を崩さずよくここまで綺麗なリメイクをしてくれた。音楽も素晴らしい。追加・変更要素は上記の攻略サイトにまとまっているが、ここでは全般少ないとだけ。やや物足りないが、リメイクだけで十分価値はあるだろう。
 だが、システム周りが残念だった。

  • 自由に割り振りできるボタンがXYボタンのみ、Aボタンアクション(パワーブレスレットや話す・調べる)、Rボタン盾、Lボタンダッシュ(ペガサスの靴)はまだいいとしてBボタンが剣というのが最後まで慣れなかった。剣固定も納得がいかないし、単にBXYボタンが自由に割り振りできるだけで操作性は全然違った
  • R2L2ボタン(正確にはZRZL)が独立しておらずR1L1と同じ機能になっている。ボタンが増えたのにこの無駄潰し。せっかくトリガータイプになっているR2L2ボタンで弓や爆弾を使いたかった…

 この二点だけが本当に残念で、任天堂さんアップデート対応とか…ないですよね。
 
 さて、ここからが本題。この作品、フクロウに導かれながらリンク(=プレーヤー)は冒険を進めていく。だが、当時から傀儡のような印象があった。最初の方は「信じる道を行きなされ」とか言ってたくせに、途中から脅すように煽ってくる。巧みな誘導だ。
 今回私も言う通りに進める。8つ目のダンジョン「カメイワ」攻略までは。
 以下、私がプレイしたリンクをケポリンク(もちろん泥棒済みで実際は「どろぼー」呼ばわり)とする。

 メーベの村でのんびり暮らし、一向に「聖なるタマゴ」へ向かわないケポリンクの元にフクロウがやって来る。
フクロウ「ホッホウ! ホッホウ! 早く聖なるタマゴへ向かうのじゃ。楽器が揃っただけではかぜのさかなは目覚め…」
ケポリンク「うるさい、命令するな。魔物は島の人間の脅威にならないよう適度に討伐するが、かぜのさかなを目覚めさせる気はない」
フクロウ「なんじゃと!?」
ケポリンク「シャドーがやったことは正しい。俺は大量虐殺をする気はない。だいたい人の気持ちを考えろ、お前はサンデル先生か」
フクロウ「(なぜシャドーのことを知っている?)いや、とにかくそれじゃワシが困る。目覚めさせないと」
ケポリンク「本音が出たな。お前の都合なぞ知らん。…俺は人生に疲れた。こんな居心地のいい、素晴らしい島から出る気はない。それに…俺は、俺は…マリンちゃんといつまでも幸せに暮らすんだっ!! こんな幸せが他にあるだろうか! リアルの女は残酷デー! 婚活女は高望みガー!」
フクロウ「なんと!(こんな非モテ野郎を勇者=『目覚めの使者』にしたのが間違いだった…女をあてがうんじゃなかった……)」
ケポリンク「楽器なんかどうでもよかったし、セキュリティの観点からも、できれば揃えたくなかった。本来オオワシの塔もカメイワもアイテムだけ取って撤退するつもりだったが、オオワシの塔をクリアしないと救出イベントが発生せずモテない、そしてカメイワをクリアしないとマリンがメーベの村に帰ってこないのでやむを得なかった」
フクロウ「そんな細かい解説はどうでもいい! ともかく考え直すのじゃ! 島の人間はたしかに半永久的に生きるが、部外者のお前さんは永遠には生きられん。一人だけ年老いて死んでいくのじゃぞ」
ケポリンク「甘いわ! 空飛ぶニワトリの時と同様、オカリナ『カエルのソウル』を誰かに吹いてもらって何度でも蘇ってやる!
フクロウ「あれは島の生物が誤って死んでしまった時のためのもの、お前さんには効かん」
ケポリンク「お前がそう言うのはわかってるが、信用すると思うか? もうその煽りや誘導は通用しないんだよ。たしかにあれで俺が蘇る保証がないが、別に寿命で死ぬのはかまわんし希望的保険だな」
フクロウ「おのれ。かくなる上は、また別の『目覚めの使者』を用意するしかあるまい…」
ケポリンク「無駄だよ。俺が殺す。魔物たちとも同盟を結んで叩き潰す。思想的に同じなんだから、話せばわかるはずだ」
フクロウ「貴様という男は…シャドー並にタチが悪いな。どんだけリア…いや外の世界が不幸だったんだ」
ケポリンク「なんとでも言うがいい。ダンジョン攻略で強化され、武器も揃った今や、貴様も恐るるに足りん。邪魔だからお前にも永遠に眠ってもらうぞ。眠らせ方は知らないのでシャドーに頼むけど」
フクロウ「この姿は仮の姿よ。ワシの本当の力を思い知れ! 神に逆らう愚か者め、貴様のようなインセルは成敗してくれる」
ケポリンク「本性が出たな。俺にとってのラスボスは、シャドーではなくお前だったのだ。さあ、決着をつけよう!」

 ……26年の時を経て、私が出した答えはこれである。異論は認めない。逆らう者はマジックロッドで焼き払ってくれよう(リメイク版ではフックショット、ブーメランと共に弱体化していて少し残念だったが、細かいことはどうでもいい)。

作成日付を偽装するSEO対策を撲滅したい

 昨日音楽ネタでググっていたら、こんなことがあった。


 要は胡散臭いサイトに出会ってしまったのだった。内容はまともだと思うが、形式が。ブログの移行などで手動コピペしたとかならわかるが、同じ日付で大量に記事を新規投稿できるわけがない。youtubeの日付と齟齬があり、明らかに工作している。言論やメディアについての常識のない人が、wordpressなどで好き勝手やれてしまう弊害だろう。
 Twitter掲示板、はてなブログなどのサービスでは投稿日時をいじることはできない。ただTwitterでも最新表示を狙った「パクツイ」は横行しているし、手間はかかるが削除→投稿し直せばブログサービスでも可能。
seolaboratory.jp
 SEOには「リライト」が有利と言われている。上記サイトによると日付だけを変えるのは意味がないらしいが。ただ「検索結果に表示されるようになる」には影響がなくても、見た人が、「あ、最新情報なんだな」と騙される面はある。内容も更新しているかはともかく、ともかくこの日付改変はSEOのテクニックとして横行している。モラルが崩壊していて、実に嘆かわしい。
swinginthinkin.com
 更新日付ではなく作成日付を更新しているが、浅ましいなあと。。「令和」の情報を加筆したなら、それは「更新」でしょ…。

リライトには二種類ある。誠実か、そうでないか

 冒頭ツイートの当該サイトの記事を見ても「投稿日」と書いてある。明らかに偽装だ。「作成日、公開日、投稿日」などの日付と更新日付が両方あれば何も問題はない。記事の中に【いついつ追記】というのは私もよくやるが、どの情報が追記したのか明記するのが誠実である。過去記事の純粋なリライトなら、頭に【この記事はいついつの記事を元に加筆修正したものです】のような但し書きがあればこれも誠実。
 SEOにしてもITネタなら水物だから、作成日は重要だ。どのみち偽装はダメだが。音楽ネタで日付が最新なことに意味があるのだろうか。
 ましてトレーナーの類の人であれば、何年やっているか・キャリアが重要なのにそれが一切わからない。最悪、「急ごしらえのパクリサイトではないか?」という疑念もわく。
 日付が古くなると見栄えが悪くなためか、日付表示が一切ないwebサイトもチラホラ見る(当然月別アーカイブ表示もない)。個人的に嫌いだが、それでも嘘の日付よりはマシである。

 SEOに勝っても、人間の信用をなくしたら本末転倒ではないか。匿名PV業者ならともかく、名前や顔を出した職業の広報でやってる人は悪手だと知ってほしい。
 この手の日付偽装はgoogle先生の対策を待つしかないが、たとえ二つの日付表示を義務付けたとしても不正はできてしまうわけで(「新規作成」だと言い張ることは可能)、ネットの日付などもう信用できないという絶望的な結論になる。
 さしあたり自衛策としては作成日付がやけに新しく、URLが文字表示(「カスタムURL」ははてなブログでもできる)で、作りが自前サイトっぽかったらwordpress業者さんなので警戒しよう。

「若者と交流したい欲」ってヤバいんじゃないか

maoukpp.hatenablog.jp
 この記事に続く、嫌ホモソシリーズ第二弾です。きっかけはこれ。

 山本さんほど露骨じゃなくても、「若者と交流したい欲」って誰でもあるよなとハッとした。最近また年の差婚が話題になったばかりだが、そういう異性に対する下心ではなく。特に30過ぎると、早ければ20代後半から。
 本来それは母性本能のようなもので、後輩・年下の人間の面倒を見たい、役に立ちたいという心理自体は自然なものであるし、仕事上や地域社会、親戚付き合いなどで元から関わりがあるなら面倒を見るのもいいだろう。
 だが。よくいる大企業の窓際オッサンのように、 社会でこれができないオッサンは、ネットに流れてくるのだ。つまりリアルで同年代には相手にされず、部下もおらず、人望もない実際には役に立たないオッサンである。
 ただしネットでは一点突破のように理論武装しインテリっぽく偽装することは可能、たとえ中身がスカスカであっても。そこが危ない。中には露骨には媚びない巧みなのがいてホモソ王国に取り込まれる恐れがあるので、どうかお気をつけを。

 ここでは一回り以上年下の相手を「若者」、逆を「オッサン」とする。
 若者諸君(今の私からだとだいたい25歳以下)へ。君たちは若いというだけで価値がある。擦り寄ってくるオッサンがいたら、付き合ってあげてる、同性キャバクラなんだと思って接してあげよう。ほとんどはリアルでもネットでも同年代(±5以内)に相手にされない、哀れなホモソおじさんである。ネット上でも人柄は表れる。まず、同年代っぽい親しい人間がいるかどうかを探ってみるといい。周りが年下ばかり、年上がいなかったらアウトだ。

 若者の理解者でありたい欲、あるいは老害になりたくないという恐れは誰にでもある。ただ年老いて、世間から取り残される怖さもある。私も実際そういうことを言ってきた。
 だが、50も過ぎたらある程度は老害でいいと思う。開き直っていこう。胸を張ってオッサンになろうではないか。週刊誌などでよくある「今年の新卒はダメだ系」若者叩きはくだらないが、別に媚びることもない。関わりがないならそれでいいし、あるなら適切な距離を取っていこう。

おまけ・こんなビジネスが流行るかもしれない

「ゼルダの伝説 夢をみる島」の人間たちはなぜリンクに協力的なのか

 発売日にNintendo Switch Liteを買った。『のび太牧場物語』をまずやる予定だったが、リメイクの『ゼルダの伝説 夢をみる島』と同時発売だったので、懐かしさのあまり買ってしまい、先にこちらをやっている。オリジナルは1993年である。ゲームボーイ(無印)は息の長いハードだった。もはや古典だ。
 本稿のきっかけとなった記事はこちら。日付が載ってないので詳細不明だが、10年以上前の記事と思われる。
mnx3.blog.fc2.com
 上記記事では、なぜ「セイレーン」というワードが使われたのかという恐ろしい考察がある。他にもこれらの記事がおすすめ。
mnx3.blog.fc2.commnx3.blog.fc2.com
 この作品は非常にエモい。表面的には「船が難破して孤島に迷い込んだリンクが脱出を目指す」話だが、実はその孤島(コホリント島)は異界であり、「かぜのさかな」が見ている夢の世界だった。ラスボスとなる「シャドー」が主(かぜのさかな)に対して「反逆」し、自己防衛のため永遠の眠りにつかせていた状態なのだった。
 つまり、脱出=かぜのさかなの目覚めであり、島は全て消滅する。最終的にリンクは魔物も含め、島の生物を皆殺しにすることになる…。とはいえ夢が覚めるのは本来自然のこと。いつかは滅びる。子供心(当時)に、なんて深い話なんだと思った。

 妄想ついでというか、今回はなぜ、コホリント島の人々(と動物)はリンクに協力的なのかを考察してみる。魔物たちのように、抵抗勢力になるのが自然なのだ。実は、「不老不死」が裏のテーマだったのではないか。
 不老不死を扱った別作品の話になるが、『Fate/stay night』の間桐臓硯(まとうぞうけん)は不老不死ゆえに精神汚染され、外道になってしまった。
Fate/stay night - Wikipedia

 コホリント島の住人たちは我々の世界の人間ではなく、所詮は夢。子供はずっと子供のまま、大人は最初から大人。おそらく数百、数千年生きてきたのではないか。結果、「何かがおかしい」と勘付く。ヒロインとなるマリンのように直接協力しなくても、リンクが何をやっているかは気付く。それでも何も抵抗しない。むしろ協力的。

 なぜなのか。

 我々はシャドーのおかげで永遠の命を手にすることができた。しかし、それは意味があるのだろうか。生物の本質からも外れているし、夢の中の世界でしかないので島から出ることはできず何もできない。本当の意味の生物でもない。これは無間地獄ではないのか。どうか殺してくれ……

 こんなことを考えていたのではないだろうか。間桐臓硯のようにはならず、悟りを開いたような状態。つまりコホリント島は魔物たちの生存派=抵抗勢力と、人間たち滅亡派の二派に分かれていたのだ。
 冒険の最初に、にマリンの父タリンが「いたずらタヌキ」となってリンクを妨害するくだりがある。これは「森のキノコを食べたせい」であり、「魔法の粉」で元に戻る。本人曰く「タヌキになった夢を見ていた」。

 本当にそうだろうか。

 きっかけは毒キノコだったにしろ、これはタリンの中の葛藤だったのではないだろうか。つまり、人間であっても「生存派」になれば誰でもすぐ魔物化してしまう。作中でその描写はないが、その逆もありえたはず。なにせ、全てがガバガバの夢の世界である。

  • かぜのさかなの寿命ってそんなに長いのか?
  • シャドーが眠らせたとはいえ、他者に物理的に起こされることもあるのでは? リンクが頑張らずともいつかは目覚めたはず

 …こまけぇことはいいんだよ! ともかく名作がリメイクされたんだから買って楽しめ!

ホモソが大好きという本能を乗り越えたい


 ああ、これだ。ネットに多いオタク層の全てを言い尽くしている。そしてこれは誰でもあり、歳を取るとさらに加速する。世間では後輩や部下ができる指導的立場になるからだ。中年こそ危ない。
 結局、人間は自分が中心となる王国を作るのが好きなのだ。あるいは2番手・3番手くらいのポジション、上層部に収まりたい。
 ULの一件があり(リンク先劇物注意)、最近ホモソについて考えていた。
 学校でも「グループ内いじめ」というものがある。被害者はグループを抜けて孤立するよりはと、甘んじていじめを受けている。一見友達同士に見えるので、立件はされないいじめである。これはオタク系の、おとなしいグループにもある。
kazuosite.com
 この心理テストで言うと、ネットでは「権力志向が弱い人」が多い。が、弱い人間同士で集まっても、またそこにホモソができる。ホモソの亜種。
 インテリでお行儀のいい、上品なホモソであっても結局同じことになる。女性がゲストで来たらチヤホヤするし(上品に)、グループ内いじめもする(上品に)。
 職場でも、なんとなく仕事ができるかや年齢・キャリアだったり見た目(強面か、女性同士の場合美人が強くなる)だったり、職制上は平等でもなんとなく見えない序列ができる。あまりにひどかったら抜ければいいが、多少は許容しながら人は生きている。
 大人であってもこうなのだから、人間に「対等な」グループ交流は、無理なのだ。大人の場合、学生よりも醜悪なものになる。程度の差はあれ、みんな権力が大好き。権力志向は人間の本能なのだ。
 既に批判したように、涼しい顔をしてホモソを批判する人間もまた、別のホモソが好きなのだ。動物的本能。私もだ。例外はない。

 一つ決心したことがある。今後もしネットで知り合った人と会う時も、サシが前提。3人ならギリギリいけるかもしれないが、たとえ面識があっても4人以上は禁止。
 せめて自らホモソを作ってはいけない、という徹底的な嫌悪感だけが今はある。

2006-2024ドラえもん映画一気レビュー

 分割しても読みづらいので、9000字超えと長いが一気にやります。
maoukpp.hatenablog.jp
 この記事(概論と『新・鉄人兵団』)の続き。第2期ドラ映画は全て、2019年以降に観た。

のび太の恐竜2006(2006年)

ドラ映画らしさ:S 子供向け:A 大人向け:A+
(オリジナルとしても)一番古い作品を偶然最後に観た。第2期初なので声優の演技もまだ固まっていない。絵柄もちょい古いというか旧シリーズ(第1期)と現シリーズ(第2期)の中間な感じ。
 改めて『恐竜』はドラ映画のルーツであるなあと。ピー助は「可愛い動物枠」ゲストキャラの原初だし、ひみつ道具の制約の中で頑張るという展開(タケコプターで白亜紀アメリカ→日本まで移動)も、冒険途中でスネ夫が悲観的・現実論を言う→最終的には和解し改めて決意を固めるというくだりも、悪党との対決も。そしてタイム・パトロールの存在もタイムマシンを使う話には欠かせない。さらに「冒険中は無断外泊→タイムマシンで家を出た日に戻ればいい」というご都合主義ながらも重要な制約回避方法も。
 ストーリー展開に派手さはなく、今となっては映像も地味め。男性であれば「子供の時は恐竜が好きだったなあ」という懐かしさがあり、やや大人向け。
 ゲストキャラはピー助のみという潔さ。リメイクでのアレンジが少ないのも、完成度の高さゆえだろう。恐竜と出会い、育てる。大自然での冒険そして別れというストーリーはシンプルながら見事。この作品は恐竜がメインであり、悪党(恐竜ハンターとそのスポンサー)との直接対決が弱いところがやや物足りないが、構成上やむを得ないだろう。
 元の世界に戻った後のエピローグ部分が一言だけで終わるキレ味も心地いい。第1期映画シリーズが20年以上続くことになった、原初の作品としての偉大さはさすが。

のび太の新魔界大冒険 〜7人の魔法使い〜(2007年)

ドラ映画らしさ:B 子供向け:B+ 大人向け:B
 ファンタジー世界のドラえもん。「もしもボックス」で魔法がある世界だったら、という土台部分にあまりドラえもんらしさがない(しずか、ジャイアンスネ夫は魔法世界の人間でゲストキャラのようなもの)が、話の展開自体は王道だし子供は楽しいかもしれない。特に悪党の強力さ、恐ろしさが際立つ。
 リメイクによるアレンジは『新・鉄人兵団』と同様(監督が同じ)お見事。パラレルワールドと元の世界はつながっているという設定になっている。
 話の都合上、中盤で「逃亡ルート」があるのだがそれを選択しないで戦う道を選ぶ。ストーリーがやや破綻気味だが、もしもボックス自体が飛び道具みたいなもので、構造的にやむを得なかったか。パラレルワールドの設定は、メタ的に逃亡ルート抑止にもなっている。

のび太と緑の巨人伝(2008年)

ドラ映画らしさ:C 子供向け:D 大人向け:C
 まず序盤キー坊と出会い「弟ができた」のび太が、精神的に成長してしまっていて違和感。こんなののび太じゃない。このキー坊、「キー」しか喋らず常に勝手な行動を取るためイラっとする。子供のリアルさを出したかったのか、キャストに声優ではない子役を使っているのも浮いていて違和感。
 中盤からの冒険劇は一見王道のようだが、違和感があちこちにある。ひみつ道具がほぼ使えない制約も、ドラ映画らしさを弱めている。この映画の評価は「キー坊可愛い」で全てが許せるか、否か。だから子供向けのようで違う。子供自身は、あざとい子供キャラは嫌いである。これは子育て経験があり、可愛いもの好きの若いママさん向けだ。
 もう一つの問題点は、長老ジィ無双。キー坊が喋らない上、ひみつ道具も使えない弊害が出ている。ストーリーを進めるための説明役であり、導き役で、戦闘も強い。「お前一人で頑張れよ」と言いたくなる。ドラえもんたちは今回彼に操られてるだけ、傀儡のような印象さえ受ける。ドラ映画に限らず劇場版というのはゲストキャラ・世界観との接続が大事で、「外野感・蚊帳の外感」が出てしまってはダメ。こんな素人の二次創作みたいなダメ出しをさせないでほしい。
 王女リーレの成長物語と見れなくもないし、彼女をメインにすればよかったのでは? ゲストキャラの配置・構成に大いに問題がある作品となってしまった。

新・のび太の宇宙開拓史(2009年)

ドラ映画らしさ:B+ 子供向け:A 大人向け:B
「宇宙遠征物」の代表作と言っていいだろう。偶然のび太の部屋の畳の下と遠い宇宙が繋がってしまうという巻き込まれ展開(どこでもドアには地図情報が必要かつ距離的な限界があり、行き来することはできない)。
 コーヤコーヤ星という異星での冒険物。オリジナルの動物がいたり、完全に地球とは違う環境。そのため偶然できたゲートが消える=別れも永遠的で感動する。
 地球人なら誰でもスーパーマンの環境で、さらに射撃の腕もあるためのび太は大活躍する。オリジナルは1981年だが、異世界転生ものの原点が既にここにある。5人での冒険は実質終盤だけで友情・チームプレイ要素は弱いのでドラ映画らしさはB+とした。話の構造的にコーヤコーヤ星に行ったり来たりするため、やや緊張感に欠けるがエンタメ・ヒーロー映画として王道の展開。ゲストキャラ、悪役のキャラの存在感も申し分なし。

のび太の人魚大海戦(2010年)

ドラ映画らしさ:S 子供向け:A 大人向け:B
 これぞ王道! メジャーな『恐竜』以外旧作で何から見ていいかわからない人にオススメしたい。夏に観たい映画。
 冒頭の「架空水」で無邪気に遊ぶくだりから、海底勢力に巻き込まれていく展開。しずかがさらわれて助けるのもまさに少年漫画的王道。ドラミが武闘派なのも見どころである(そもそも一緒に行動することが珍しく、普段はドラえもんが困った時のサポート役が多い)。不満は悪党キャラが弱いくらい。ゲストキャラとの出会いや別れも王道! とはいえ感動要素は薄いので、大人向けはBとした。
 挿入歌『遠い海から来たあなた』が武田鉄矢というのも、旧シリーズ(第1期)世代にはポイントが高い。

新・のび太と鉄人兵団(2011年)

ドラ映画らしさ:B 子供向け:S 大人向け:S
 冒頭の、前回ドラ映画記事を参照。

のび太と奇跡の島 〜アニマル アドベンチャー〜(2012年)

ドラ映画らしさ:A 子供向け:B 大人向け:A
 カブトムシがテーマとなっており、男の子向けエピソード。子供の頃ののび太の父・のび助が実質的にゲストキャラ。声優はなんと「でえベテラン」こと野沢雅子さん。声だけ聞くと異常に強そうだが別にそんなことはなく、普通の少年である。
 冒頭の日常シーンでのび助がのび太に言う「ママやドラえもんに頼ってばかりではいけない」という台詞から、異世界での冒険も最終決戦ではひみつ道具がほぼ使えず「物理で頑張る」というストーリー展開。全体としてはやや地味で、親子愛が全体のテーマとなっているので大人向け。最終決戦前にジャイアン「男ならやらなきゃいけない時がある」しずか「女の子もよ」と返すシーンがあり、ジェンダー的になかなか素晴らしい。
 挿入歌『キミのひかり』は堀江美都子さん、これも旧シリーズ(第1期)世代には好印象。

のび太のひみつ道具博物館ミュージアム)(2013年)

ドラ映画らしさ:A 子供向け:S 大人向け:A
 この映画は『新・鉄人兵団』と監督が同じで、対になる作品である。実は見た直後よりも、尻上がりに評価を上げた変わりもの。たしかにパンチは弱いし、冒険にも感動にも派手さがない。
 ドラえもんの鈴が盗まれてしまい、それを探すというのが話のきっかけ(いつものタイトル表示前が「ドラえも〜ん!」ではなく「のび太く〜ん!」で始まるのが象徴的)。話のスケールは小さく、冒険要素はなくミュージアム内で完結する。とはいえ探偵もの、怪盗を追っていく&バトルという話の流れはコナンのようで子供向け要素は完璧。大人は酒飲みながら気楽に見れる。
「悪党が一人も出てこない」というのが特徴的。実に平和な作品世界であり、小さい子供でもストレスなしで見れる。また未来世界の日常的風景もレアであり、ファンには面白い。
 表面的には異色作のようだが、「鈴」をキーにドラえもんのび太の友情が主題となっており、きわめてドラえもん映画らしい。実質的な主人公はドラえもんと言える。一見テレビスペシャルっぽい造りの変化球を、劇場版としてやれた勇気を評価したい(実際に、2019年の誕生日スペシャル『未来の迷宮(ラビリンス)おかし城(キャッスル)』ではドラミの手配で22世紀の施設に遊びにいくという冒頭部が同じだったりする)。
 ラストの巨大警備ロボと戦うくだりはとってつけた感が強いが、許容範囲の演出。終盤のび太が推理をした時に、ドラえもんが「君はじつにバカだな」「バカだねえ。じつにバカだね」と原作台詞通りのツッコミを入れる小ネタはファン必見。また、千秋(ドラミ)による挿入歌『笑顔はひみつ道具』もポイント高い。
 最後に、まだ出会ったばかりの頃の回想シーン、ドラえもんの台詞。

のび太くんは勉強もダメ、運動もダメ。根性もなくて、どうしようもないやつだけど…。
でも、キミは…
でもキミは、いいやつだな
#ドラえもん名言 #のび太のひみつ道具博物館

新・のび太の大魔境 〜ペコと5人の探検隊〜(2014年)

ドラ映画らしさ:B 子供向け:C 大人向け:C
 リメイク作品なので名作のはずなのだが、正直それほどの価値を感じない。アレンジも抑えめなので余計にそう思ってしまう。つまり「アレンジすべきリメイク作品で守りに入ってしまった」作品。
 アフリカにあるバウワンコ王国という秘境が舞台なのだがそこに到達するまで(アマゾン探検)が長く、前半と後半の話に連続性がなく王国部分がどうにも印象に残らない。オリジナルキャラクターを追加するか、小栗旬演じるサベール隊長などのキャラをもっと掘り下げればよかったのでは…。
 メインのゲストキャラと「可愛い動物枠」がペコ一人で兼ねているところに無理があり、話の展開もご都合主義が過ぎるというか強引。ペコは後半の王国到達あたりで正体を語るのだが、突然二足歩行しだし、喋り出すシーンは違和感しかない(記憶がないなど、何かの制約でそうだったわけでもない)。王国やその登場人物(ペコ以外)を前半の冒険にもからめればいい作品にできたと思うが、残念。

のび太の宇宙英雄記(スペース・ヒーローズ)(2015年)

ドラ映画らしさ:C 子供向け:B 大人向け:C
「宇宙」というわりに宇宙での戦闘シーンが全くなかったなあ…。軽いノリが続きテレビっぽいため、ドラ映画らしさは弱い。2日目の夜にスネ夫が地球に帰ろうと言い出す→やっぱり戦うのくだりくらいで、対立・喧嘩の乗り越えや仲間たちやゲストキャラとの友情も薄い。
 構成もあまりよくなくて、まず最初の日常パートが長すぎる。ポックル星で活動してから悪党たちの企み(の動機)が判明するのが遅いし、終盤は急展開すぎる。悪党3人衆はキャラが立っていて中盤まではよかったが、やられ方があっけない。もう少しバトルを少年漫画的に盛り上げて欲しかった。特にボスがしょぼすぎて興ざめする。ラストの「チート技で解決!」という展開も大人にはキツい。
 ゲストキャラが弱すぎる。バーガー監督にいたってはドラえもんの道具であり、出会いがあるのはアロンだけ。アロンに見せ場がほぼなく、全く印象に残らない。
 wikipediaを見る限り漫画版の展開の方が面白そうで、なぜこちらを採用しなかった? 子供向けに作りすぎてしまった…残念。

新・のび太の日本誕生(2016年)

ドラ映画らしさ:A 子供向け:A 大人向け:A
 5人揃った大きな「家出」(ハムスターを預かることでドラえもんまで家出するくだりが笑える)をきっかけに、原始時代の日本での冒険。交流のある原始人のゲストキャラが一人だけでやや寂しいが、増やす必要性もなくやむを得ないか。ともかくリメイク作品としてのアレンジは抑え目。今回の「可愛い動物枠」は、のび太が作ったペットたちでどこか『恐竜』の雰囲気も。
 異色なのは今回のび太ではなくドラえもんが主役であり、悪党とも一騎打ちで戦う。原始人にもわかりやすいよう「精霊王ドラゾンビ」というコスプレをする。悪党のギガゾンビ(とその配下)はかなりいい味出していて、個人的に今まで見た中で一番好きな悪役。

のび太の南極カチコチ大冒険(2017年)

ドラ映画らしさ:A 子供向け:B 大人向け:B+
 これも夏に観たい映画。冒頭氷山で遊園地を作って遊ぶのだが、ここがすぐ粉々に崩壊する。『こち亀』の調子に乗る→破滅シーンのようなシュールさがあり・普通の映画のラストシーンのようでもあり妙に笑ってしまう。氷山→南極という流れもスムーズ。南極にあるヒョーガヒョーガ星古代文明遺跡が舞台で、現代ヒョーガヒョーガ星人がゲストキャラ。
 ゲストキャラ、悪党(遺跡の防衛システムであり悪人ではない)が物足りない。見せ場も偽ドラえもんと戦う(のび太が正体を見抜く)シーンくらいだが、全体的にはそつなくまとまっている優等生。全体的に尺がキツキツでやや大人向けだが、構成自体は悪くない。

のび太の宝島(2018年)

ドラ映画らしさ:D 子供向け:C 大人向け:E
 全編あざといだけで、ドラえもんである必要性がなかった。あざとさと商業力だけはSランクである。「仕事でやっつけました」感が強く、ドラえもん愛が全く感じられない。
 ひみつ道具出しまくり(+ミニドラ)で派手にしているのは焼畑農業で、こんなの毎年やったら飽きるし自分の作品しか考えてない愚行。たとえば20年ぶりだった『シティーハンター』の映画だったらこの作りでもいいが、言うまでもなくドラ映画は毎年やってるのである。
 全般ノリが軽すぎて緊迫感がない、完全にテレビ。それ以外は安易にドラえもんの定番要素を詰め込んだだけで「置きに行った」感がひどいが、でもこれが興行的にはヒットしてしまった。ドラ映画でイラっとしたのはこれが初めて。イマドキ映画に汚染されてしまった感が強い。
 ドラ映画のゲストキャラには「可愛い動物枠」がいるが、今回は「クイズ」という鳥ロボット。この鳥が終始ナゾナゾでストーリー進行の腰を折るのがイラっとする。「子供はナゾナゾが好きなんでしょ?」という安易さ。ドラえもんへの「狸いじり」もしつこくて胸焼けする。
 画面上は見えない(どこでもドア越し)が、しずかの風呂のぞきも2018年の劇場版でやってほしくなかった。
 スターウォーズ(親子対決)、ジブリ(女の子が新生活をする)、ガンダム逆襲のシャア』などあらゆるジャンルをパクりツギハギだらけで薄っぺらい話なのだが、ただ「巧い」。ラストはゲストキャラの親子がプログラミング対決をし出すが、これはハリウッド映画のパクリかな? 本当にドラ映画の意味がない、同人や投稿サイトでやってくれ。
 作品には人格が出る。この脚本家(敏腕プロデューサーでもあるらしい)が本当に生理的に嫌い。無理。ネガキャンみたいになってしまうが2020年映画『新恐竜』もこの監督・脚本コンビが担当するらしく、あまり期待はできない。
 星野源のED主題歌もいかにも商業的。単発の映画ならまだしも、なんと10月から土曜夕方への改編でテレビOPになり、すなわち来年(以降)の劇場版のOPにもなることに。。スネ夫のように悲観的なことを言うが、どうもこの映画(関連の人物)の影響力や「政治」を感じ、今後のシリーズが不安になる。
【追記】まとめました。
togetter.com

のび太の月面探査記(2019年)

ドラ映画らしさ:S 子供向け:A+ 大人向け:A+
 劇場で一度観ただけだったが、円盤が出たので買い、改めて鑑賞。やはり、歴代の中でも評価は高い。初挑戦となる脚本家が優秀かつドラえもん愛に溢れている。『宝島』と何もかも対照的。
 ゲストキャラが「転校生」として登場するため、劇場版では珍しく学校の中の描写が多い。月で最初は遊んでいるだけ(道具でウサギ王国開拓)だが、そこからガチの月面コロニー発見→カグヤ星へという展開もスムーズ。「遊び」だったはずのウサギ王国とのつながり方、そして地球征服を企む悪党もキャラが立っていて良い。小ネタとしては巨大ハンマーで自害しようとするドラえもんの迷セリフ「壊れてお詫び申し上げます!」が見どころ。
 レギュラーキャラの見せ場というか持ち味もしっかり出ている。『新・鉄人兵団』のピッポ同様、歌うキャラ登場→ジャイアンがリスペクトのくだりは新しいテンプレとなるか。
「無駄に恋愛・ラブコメ要素がないのがドラえもん映画の良さ」と前回の概論で書いたが、今回スネ夫がルナ(広瀬アリス)に恋をするところは少年らしさが出ていて良い(もちろん毎回だと鬱陶しいし、主役ののび太でないところがいい)。最後のゲストキャラとの「別れ」も感動的だし、文句の付け所が全くない。私にとっては『新・鉄人兵団』だったが、この映画はドラ映画にハマるきっかけになり得る。現時点で最新だし、万人にとりあえず見てほしい映画。

のび太の新恐竜(2020年)

ドラ映画らしさ:E 子供向け:C 大人向け:F
 以下参照。
maoukpp.hatenablog.jp

のび太の宇宙小戦争 2021(2022年)【2022.5追記】

ドラ映画らしさ:A 子供向け:A 大人向け:A+
 劇場で一度見ただけだが、追記。
 タイトルがややこしいが、公開延期になった都合で2022年である。Amazonプライムで旧作全てが公開されていたおかげで比較できたが、リメイク具合が秀逸。F先生の世界観を壊すことなく、足りないところを補っている(歴代のリメイク全てに言えることだが)。今回で言うと、導入部(日常)の冗長な部分をカットし、その分パピやピリカ星のキャラたちがしっかり描かれている。姉を追加したことでパピというキャラクターの少年らしさや家族愛が描かれ、より深みが出ている。敵・悪党ではあるがドラコルルはまともな軍人に改変されており、ギルモアとの対比が引き立っている。
 そしてドラ映画ファンにはおなじみの『少年記』から引き継がれた挿入歌、ビリーバンバン『ココロありがとう』が素晴らしい。そもそも「戦争映画を撮ろうぜ」という導入部がイマドキの小学生からは現実味がないものになってしまっているし、もろもろ子供よりは大人向けの作品。
 不満点は、スネ夫が実際の戦争におびえるくだりが少ししつこい(逆にしずかがメンタル強すぎ)ところだが、総じてリメイク作品として名作と言える。くしくもウクライナ戦争中の公開となり、独裁者ギルモアという悪党がとてもタイムリー。

のび太と空の理想郷(ユートピア)(2023年)【2023.11追記】

ドラ映画らしさ:A 子供向け:A 大人向け:B
 脚本が古沢良太ということで全く期待してなかったが、杞憂だった。どうやら川村元気のトラウマが大きすぎたようで。。
 導入部(日常)、学校から野球のシーン、0点のテスト返却という流れが見やすいというか定番だがよくできている。のび太の前にゲストキャラが現れる巻き込まれ型ではなく、今回はいつもの5人組の自発的な冒険の末、三賢人が支配するハイテク空中都市にたどり着く。露骨に怪しいカルトであり、「ユートピアなんかいらない」という反逆型のストーリーになると容易に想像がつく。ダメ人間・のび太にはマインドコントロールが効きにくいという展開にらしさが出ている(ドラえもんもロボットなので効果なし)。
 一度は洗脳されたジャイアンスネ夫、しずかたちも立ち直る、全て想定内の展開だが子供向け映画としては悪くない。のび太ドラえもんの絆、ゲストキャラの猫型ロボットがメインの話。感動要素は薄いが、気楽に見れる良作。
 欠点は悪役、黒幕キャラの出番が少なすぎて物足りないくらいで、ラスト、日常に戻ったあとのオチも決まっている。

のび太の地球交響楽(2024年)【2024.4追記】

ドラ映画らしさ:C 子供向け:A 大人向け:C
「音楽をテーマに」というアイデア先行、「合奏で世界を救う」という展開ありき、そもそも「音楽」にドラえもんらしさがない(「ムードもりあげ楽団」を出したりはしているが)。無難かつ新鮮さで「置きに行った」作品。小学生のリコーダー&音楽の授業という共感の一本槍かつ、演奏シーンは劇場の音響頼みという安易さだけが伝わってくる。脚本家はテレビシリーズを担当していたようだが、良くも悪くもテレビスペシャルの域を出ていない。尺が余っているというか話にたいした中身がないので、40-50分のテレビスペシャルで十分。
 音楽の先生も出てくるが、原作にいるわけでもなくなんだかなあという感じ。話の都合上やむを得ないとはいえ、ドラえもんが冒頭ののび太に「真面目にリコーダー練習しろ」→中盤から皆に初見で演奏できるチートを提供は整合性がない。全体的にドラえもんである必要性が全くない。「クレしん」でも、どんなフォーマットでも子供・学生ものならやれる話。
 シリーズものの劇場版を評価する時、コース料理に当てはめるとやりやすい。音楽というメイン料理をやりたいのはわかる。ただ他が全くダメというか統一感がなく、肝心のメインももっとやりようはあっただろというドラえもん料理だった。ある意味で、劇場版を毎年やらなくてはいけない大変さが伝わってくる。来年に期待。

総評

『新・鉄人兵団』は別格・殿堂入り、双璧をなすのが『恐竜』『月面探査記』。個人的に推したいのが『ひみつ道具博物館』というまとめになる。レンタル屋に行けばどこでも置いてある。ただし一気に見ると飽きるので、多くても週に2本程度がいいだろう。
 家族で見るもよし、恋愛要素がないので非モテにもやさしく、癒されるので人生に疲れたサラリーマンにもオススメである。ドラ映画はオタク層以外にもファンが多く、ネットよりもリアルで役に立つというか老若男女問わず会話のタネにもなる。汎用性の高さこそが、ドラ映画最大の魅力なのである。

議論はなんのためにあるんだ

 Twitterを引退に追い込まれてしまった(禁酒・禁煙のようなものでいつまで続くか怪しいが)。1年以上相互フォローでからみもある相手にいきなりアンチ化、ネチネチと人格攻撃されるとダメージを食う。
 思えば4年間のツイッターライフで5人くらいこういうことがあった。知らない相手にいきなり議論ふっかけられても「誰だお前」で無下に扱ったり無視するが、当然そんな扱いはしない。信頼関係もあるし、大卒くらいの知能もあるようだし、物別れに終わったとしても、ワンイシューで人間関係が終わるようなことはないだろう。論点や対立点を整理できれば、それはそれで有意義だと思っていたのだが。
 いま、こういう心境である。議論はなんのためにあるんだ。人間は知能や知識をつけて議論ができるようになったが、その結果人間関係が壊れるばかりなら意味はあるのか。
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 偏見を承知で言うと特に女に多いが、別に議論したいとは思ってなくて、抗議したい・あるいは共感してほしいだけだったり、ただ論破や説得したいだけの人間が多すぎる。高学歴の人間ですらこうなのだから、完全に教育の失敗だろう。
 え、最近キレ散らかし記事書いたばかりのお前が言うなって? あれのきっかけは議論じゃなく、相手の非道な行いのため。
 正直、議論だけで人間関係の急転・反転を起こす人が理解できない。ただ、テーマにもよるか。消費増税のような本当のワンイシューなら安全だが、戦争や平和といった壮大なテーマは危ない。で、男女論はクリティカルになりやすいんだろう。ともかく知り合い相手だから、と応じるのはやめた方がいい。心苦しいが、議論モードの時は無視が一番。