ドラ映画評論家として、一応観たので記録。シリーズものとしてはこの記事の続きである。
maoukpp.hatenablog.jp
悪い評判は公開直後から知ってたが、自分の目で確かめてみようと思った。
kagehinata-movie.comorangestar.hatenadiary.jp
上記2記事で既に批判されている通り、致命的に誤っている「鳥」の進化の歴史。「進化・淘汰」を「個体の頑張り・適応」に曲解し単なる優生思想、ダーウィニズムにしてしまっている。お涙頂戴の「逆上がり」…エモを最優先する糸井重里メソッド。
脚本家・川村元気の無教養ぶり*1が致命的にならなかった『宝島』の方がまだマシで、できもしない進化というテーマを入れたため整合性皆無のツギハギになっている。
「エモ」については最近炎上が相次ぎ、批判はこのツリーに詳しい。この手のやり口と決別しないと、人類に先はない気がする。政治だけでなく文化もポピュリズムの雲に覆われたままだ。
かなり反省を込めて言うんだけど、今回のcakesの炎上にしろ、新今宮のnoteの炎上にしろ「今起きていること」を「どうエモく書くか」という材料として見てしまうこと(また、著者の書くエモさに酔いしれること)が行き着いた弊害、という気する
— くらげ@ものをかく37歳児 (@kurage313book) 2021年4月26日
上記2記事の批判ともかぶるが以下は試聴時のメモ。CG技術と主題歌以外は、全て脚本・演出の問題である。
- 冒頭の恐竜展でキャッキャしてるしずかに違和感。「いつもの4人で行動する、登場させる」という構造ありきで、本来の女の子らしいキャラを無視している
- ミューとキューとの出会い、「生き物を飼うには責任が…」と言ってたドラえもんまで赤面して「可愛い〜」ってなるのはおかしい
- ミューとキューの表情が豊かすぎる。ポケモンか
- 探検隊コスプレセットは演出上の都合。テキオー灯を使えばいいはず
- CGの恐竜が作画とミスマッチ
- 問題の特訓シーンの動機となる、キューが群れの仲間から初見で虐げられる理由が無理矢理すぎる。「小さい、飛べない」だけでいじめられるのなら、子供はどうなる。色や形が極端に違ったらいじめられるかもしれないが、それだと特訓につながらないからというご都合主義
- しずかが全体的に空気で、ほぼいる意味がない。落ち込んだのび太のケア要員でしかない。とってつけた結婚直前エピソード時のしずかパパのセリフのコピーは失笑
- TP(タイムパトロール)の行動が意味不明。歴史改変が成功してしまった場合、その人間には手出しできない?完全犯罪ルートという後味の悪さ。絶滅回避という展開自体は旧シリーズの『のび太と竜の騎士』に似ているが、直接TPを出してしまったことでシナリオが破綻している
- 思い入れがあるためか、ミスチルはやはりドラえもんと合ってない
改めて、恐ろしい話だった。「劣った人間は努力して成功すべき」というストーリーはアメリカ映画的で、ドラえもんの根本を覆している。『のび太の恐竜2006』を簒奪し、ドラえもんそのものも簒奪している。二重の簒奪であり、重罪だ。
『宝島』の体質、そして既にあった批判から観れば腹が立つことはわかっていたが、やはり、だ。二度とこの監督・脚本コンビは見たくない。ドラえもんには関わらず、よそでネオリベシバキなサクセスストーリーを作ってほしい。
いつものランク付けをすると、
ドラ映画らしさ:E 子供向け:C 大人向け:F
『宝島』同様あざとさ・口当たりのよさは健在で、何も考えずに子供が見る分には楽しめるだろう。だからこそ、ポピュリズムで危険なのだが。
この映画を一文で要約すると、キューというポケモンをのび太がレベル15まで育て「進化*2」させ、「ひこうタイプ」がつきました。となる。恐竜の話でもないし進化の話でもない。そう、『新恐竜』はポケモン映画だったのだ…。
おまけ:
昨日 #ダーウィンが来た でチーター見てたんですが、群れの中に落ちこぼれがいても仲間外れにせず気長に待ってあげてて偉いなあと思った。畜生の方が人間できてる。
— ゆうこ (@yuko_asp) 2021年5月3日
あれ、『のび太の新恐竜』でなんでキューはいじめられたの?人間が考えたストーリーだから?バカなぁ…(三四郎小宮風に)>RT
— ケープラ K++ (@maoukpp) 2021年5月3日
*1:『君の名は。』『世界から猫が消えたなら』などを生み出した川村元気の物語の作り方<『映画ドラえもん のび太の新恐竜』特別インタビュー> | ドラえもん | インタビュー | ニュース | テレビドガッチ 【多様性って「弱者と共存しましょう」みたいな話になりがちな気がして違和感があったんです。恐竜や生物の歴史などを調べていくと、多様性というのは綺麗事ではなく、生物がサバイブするための必須条件だということがわかるんです】 →生物の進化(自然淘汰・適者生存)の話と多様性の尊重は全然別の話、むしろ逆で絶滅危機動物を保護するのが多様性で、自然に任せて絶滅させることじゃない。クリエイター系にありがちな薄っぺらいネオリベ野郎と言えよう。さらに、 綺麗事ではないダイバーシティを、エンターテインメントとして描く/川村元気 | 映画ドラえもん のび太の新恐竜 | Harumari TOKYO【「多様性」というものがなんとなく「弱いものを大事にしよう」という風に勘違いされている気もする。何億年の恐竜史や生物史を見ていると、弱者であるとか変わっているとか突然変異種とかっていうものが、実は進化の第一歩であることがよくある】→パラスポーツにも触れているが、弱者でも「すごい」「感動する」し、長い目で見れば進化的に「役に立つ」から認めよう、という恐ろしいダーウィニズムである。「多様性の尊重」を全く理解しておらず、本当の意味で尊重する気もないのだろう。