うたうポリゴン

魔王K++(ケープラ)のポータル兼個人ブログ

男性学へのアカハラを許さない会

 前回の記事で少し触れた、男性学の惨状についてまとめておく。
 男性学と言えば、今年2月に出た『現代思想』。
青土社 ||現代思想:現代思想2019年2月号 特集=「男性学」の現在
 杉田俊介さん、西井開さんの文章は素晴らしいのでオススメ。だがこれだけ読んでも男性学の世界は見えてこない。裏の世界を知る格好の資料が久米泰介さんのこのブログ。
フェミニスト学者への批判・反論 武蔵大田中俊之 2016、6、2 - 久米泰介
 アカデミックな男性学の内部事情を知ることができる。

 主流派男性学は現状フェミニズムの下部組織であり、女性には絶対服従・一切逆らわないという空気。何かにつけて「家父長制教」への帰依が足りない! と吊るし上げられる。
 男性学メンズリブ運動は世間の無知・無理解・偏見に苦しんでいる。


非モテ」の話はフェミニズムには出てこないから、ジェンダー論に存在してはいけないらしい。当事者曰く「フェミニズムから無視されている」という、女性の非モテについてはこの記事で書いた。
maoukpp.hatenablog.jp
 また、このような「男性学プロレス」も多く行われている。
現代思想』の特集にしても、読者層はフェミニズムファン向け(ほぼ女性)であり、決して男性学ファンやメンズリブやってる人向けではないのだ。近年のフェミニズムにとってビジネス的に「新しいネタ」だから使われるが、その実中身はただの「もっとフェミニズムを勉強してね!」系男叩きで終わっている。

 さて、本題となる江原由美子氏のこの間の記事について。男性学への批判はこういう言いがかり、低レベルな言説ばかりである。
gendai.ismedia.jp
 まず、「男はつらいよ男性学」というレッテル貼り。「『男性の特権を回復せよ』やフェミニズム叩き、女性の地位向上反対に接続しうる」という妄想だけで田中俊之さんを一方的に攻撃。たぶん田中さんの著書や論文などをまともに読んでいないのだと思う。批判したいなら具体的に、ちゃんと引用すべきなのに一切それをしていない。
 田中さんに限らず「今の社会、男性のほうが女性よりもつらい」などという誰も主張していないことを持ち出す藁人形ぶりにも呆れる。
 このようなフェミニスト学者にマウント取られ、怒られまくるのがアカデミック的に男性学の立場の弱さであり、男性学者は自ら男性の生きづらさを体現している。まさに男女逆転した家父長制であり、差別の多層構造という概念(ある属性でマイノリティだったり差別されている人も、別の属性では逆に差別者になる)がよくわかる。
 だいたい男性学を盾にしているアンチフェミ・インセル系ネット論客なんて見たことない。専門家は誰よりも慎重にやっていて「そんなことはわかっている」で終わり。
 商業的にデビューしている輩もいるネットの議論は見ないふりして、叩きやすい男性学者(それも身内の)だけ叩くというピントのずれ方、ヘタレぶりが今のアカデミックフェミニズムの問題点でもある。あれだけフェミニズムに平身低頭、恭順していても男性学「だけ」が叩かれるのなら、お望み通り多少インセルを引き寄せてでも、ネットの議論に巻き込んでしまった方がいいんじゃないか。

 こういう研究内容を全否定するような発言は、アカハラと言う。単なる指導や叱責を超えているからだ。こんな低次元な批判にはバシっと言い返すべきだが、田中さんもそれをしない。見よ、この恭順ぶり!


 批判された本人がこんなツイートをすると相手の言い分が正しいように聞こえてしまうし、当人も勘違いする。プロレスは続くよどこまでも。

 kutooへの反応がわかりやすいが、アンチフェミ男性は女性が何か自己主張すること自体が気に入らない。それと同様に、フェミニズム学者は男が「生きづらい」系主張することそれ自体が気に入らない。さらに言うと、本音では男性学を潰したいのでは? という疑念がわく。
 ある意味では、女性蔑視してくる男性よりも腹立たしい存在なのかもしれない。ともかく領域限定での男性蔑視がひどいのがフェミニズム学者。
 力関係的に、田中さんがもし仮にフェミニズム学者に一度でも歯向かったら研究させてもらえなくなるんでしょう。フェミニズム学者は男性学者をいじめ抜いて、その日が来るのを待っている可能性もある。なにせ、学者の世界は椅子取りゲームである。男性学者自身も望んでプロレスでやっているにしろ、逆らえない構造がある以上、完全なアカハラで見てられない。

 彼女たち男性学アカハラフェミニズム学者の本音はこう。「男の生きづらさなんか女にくらべたらたいしたことないんだから、ガタガタ抜かすな」。もちろんこんな差別的・ジェンダー規範丸出しなことは書けないから、例の記事は「『男のつらさ』に寄り添うことは、重要である」とはしているものの、ふわっとしている。もっと本音で勝負してほしい。
 江原についてはよく知らないが、澁谷については仮性包茎ビジネスの闇を暴く論文があり、本業での実績は評価したい。それでも、男性学がからむとおかしくなってしまう。まことに残念。

 現状、アカデミックな男性学は男性を救わない。単なるフェミニズムファン向けへの、男性叩き娯楽ビジネスのやられ役である。エマ・ワトソンのスピーチにもあったように、世間一般でフェミニズムはまだまだ嫌悪されている。それに一役買っているのが、男性学アカハラフェミニズム学者である。

常連だった俺がうちゅうリブを壊す理由

本編

まずはじめに、俺以外、登場人物は二人だけだ。環[@fuyu77] と、安田鋲太郎[@visco110](以下「安田」)。
喧嘩して1日2日じゃ、やべーやつとか言われる俺もこんな記事書かない。仮にもリアルで何度も会ってる相手(環およびうちゅうリブの面々。安田は一度も会ってない)との喧嘩だ、慎重にもなる。だが覚悟を決めた。泣き寝入りはしない。
全ては8/3(土)に起こった。

前々から代表(厳密にはメイン主催者、回の主催者は臨時で誰でもできる)の環とは意見の相違があったが、どうも相手にされない雰囲気だったので夕方DMで真剣に話をする。
対話は物別れに終わる。残念だったが、一度真剣に話してダメなら仕方ないと俺も諦めた。やや距離を置こうくらいで、この時は当然絶縁など考えていない。
夜、環たち(安田含む)のコラボキャスがあったので聴く(今思えばやめておけばよかったが)。そこで捏造も含んだ環のDM暴露と、安田によるコラボキャス吊るし上げを食らう。もちろんそんなコラボには応じなかった。グループLINEでもないし、喧嘩になるしかない通話を公開でやるって頭おかしいだろ。上司気取り、坂本龍馬気取り。
まずDM暴露が論外。ツイキャスって、お前らの家の会話じゃないよ? 環に意見したのはうちゅうリブ運営(としてのアカウント)とも関連した話で、安田お前は何も関係ないだろ。いや関係あったんだな、黒幕だから(後述)。

うちゅうリブ、やらないか - うたうポリゴン
1年半前だが遠い昔のようだ…。トータル10回くらい参加し、さらに今年には臨時主催者も一度やった常連だった俺。なかなかの急転ぶりだ。今回は「うちゅうリブ」の総括と訣別、そしてキーマンへの弾劾記事である。

発端となった「意見の相違」の詳細についてはあえて触れない。何よりも致命的だったのが既に触れたDM暴露。個人情報なんて絶対に守れない。環は一応若手ITエンジニアのはずだが、その風上にも置けないボンクラである。
そして左翼の悪しき伝統、「内省しろ・自省しろ」という吊るし上げ、内部リンチ。自分たちが嫌悪してきた老害左翼そのもの。なーにがリベラル左派だ。多様性、対話だよ。自分たちが全くできてない綺麗事を抜かすな。
もちろん、最初の動機が気楽な形でスタートすること自体はいい。「仲間・友達がほしい」で始まるメンズリブもいいだろう。それでも、締めるところは締めないとね。学生サークルじゃないんだから。

環はネットでウケる恋愛・非モテ論などから味を占め、哲学→フェミニズムをかじってファッションでやってるだけ。メンズリブも一部の流れに乗っただけの、ネットインテリ左翼のお遊び。当事者性、深刻さはきわめて薄い。決して富裕層ではないが、既婚で仕事もあり、まあまあ恵まれた階層だ(これは安田も同じ)。
安田の方はKKO論そのものに冷淡だったり、インセル問題や女性に対してどこか他人事。さすがに女性蔑視まではいかないが、インテリの皮をかぶったホモソおじさんである。趣味はネットで子分を増やすことで、日々のコラボキャスという閉鎖空間でお山の大将・裸の王様をやるのが生きがい。「安田界隈」というワードが誰よりも好きで、抱いて寝るほど。
二人とも近年はTwitterで発言して批判されたり叩かれることが怖くなってしまい、ますます内に籠る重度のツイキャス依存者。フォロワーも伸び悩みリムられるのも怖いので、あまりツイートしない。昔取った杵柄の名目フォロワーだけはいるが、オワコンアカウントになりつつある(フォローも外すので、もう見なくなりそう)。
(主にアンチフェミ・ネトウヨ系)ネット論客が大嫌いで、(インセル系)オタク嫌悪も持っているくせにTwitterでは素知らぬ顔をし、ツイキャスでネチネチ言っている。ツイキャスの依存性の高さは前回記事で書いたが、これも一種の生きづらさ? いやいや、メンズリブとは完全に無関係だろう。単なる低次元な精神疾患、治療が必要だ(何かしらの精神疾患を持つ人がメンズリブをやる、参加することはもちろん肯定する。念のため)。この団体に関わると安田ツイキャス界隈に取り込まれ、自分も精神疾患になる危険性がある。怖い怖い。というかそれこの間までの俺だよ。
また、学者や出版経験がある著者などの権威にめっぽう弱い。『現代思想』にいつか寄稿したい芸人。権威主義選民思想があり、これはインテリ左翼の典型である。

環は代表として苦労もあったと思うし、Twitterアカウントも相当慎重な運用になっていた。炎上ネタに言及しない、QTで人を攻撃しない。お行儀がよくご立派でしたな。それだけ慎重だったのに、足元がお粗末だったな。ともかくあなたに代表は無理なので、団体ごと消して楽になってください。
もし今後、奇跡的にだがうちゅうリブが続けばメンバー間の不和やトラブルも出てくるだろうに、絶対対応できない。自分のことすら何もできなかったんだから。俺がこの記事を上げるまで散々サインは出していて、収拾するチャンスはいくらでもあった。説得してきたのは当事者以外ってどういうことなの。

このコンビはもっとまともな人間だと思っていて、2年以上も見抜けなかった俺の不明も大いに恥じるところ。本当に心から失望、幻滅した。こんなに薄っぺらかったとは。環はまだ若いから更生の余地もあるが、安田は実にしょうもないオッサンである。いやー、我ながら実に人を見る目がない。俺もまた彼らのインテリ風の雰囲気に、騙されてしまった。ネットの「インテリの雰囲気出してる芸人」としては最高峰だろう。アメトーークに出てほしい。
哲学者やフェミニストなど名前を出してそれっぽいことを言ってるが、中身はスカスカ。一度参院選(2019)の話をしたが、中学生程度の政治感覚しかなかった。メンタルもまんまそれ。哲学とかかじる前に、岩波ジュニア新書でも読んでろ。

うちゅうリブはたしかに会社ではないし、公共団体でもない。サークルのようなもの。別にコンプラとかが義務になっているわけではない。特定の趣味・スポーツの団体ではなく(建前上は)誰でも歓迎だし、幅広い層向け。公共性の高い団体は信用が命。なので、この件はずっと蒸し返していきたい。社会正義。

もう一度言います。うちゅうリブの代表にDMをすると暴露されます。そして意見を違えると、安田とかいう謎の黒幕のオッサンから吊るし上げをくらいます。

誰でもやらかし、しくじりはある。だからそのあときちんと謝るなどすれば丸く収まるのに、それもしない。2週間以上一言もないどころか、黒幕の方は俺のエアリプにキレている始末。そこはぐっとこらえて黙るのが男だろ。本当に小物だな。人間的に、底が浅すぎる。
彼らは下の人間はリンチするくせに、自分はなんの反省もしない。上記のように権威主義なので謎の学歴その他による階級制度を作っていて、それの下の人間だけに冷たい節も見られる(女は除く。安田界隈には姫的な女が何人かいる)。

俺自身、最初は構成員としてうちゅうリブを守ろうとしていた。最初は前回記事すら書く気はなく泣き寝入りする気だったし、書くにしても人名は出さないつもりだった。だが、それは隠蔽だ。身内の不祥事だからって隠蔽は良くない。何より代表(と黒幕)が終わっているこんな団体にどうせ未来はないので、全てを暴露してここで壊してしまおうと考えを変えた。この先不幸になる人が増えるだけだ。
実際直後はメンタルをやられていたのか、あとから怒り・闘志が湧いてきた。セクハラやパワハラの告発も、案外こんなものかもしれない。
とはいえ他のメンバー(参加者)に対してはなんの恨みもないし好意を持っているので、また別の団体でも作るか、個々にやっていきましょう。大切な出会いがあったし、いい団体だった。役目を終えたのだ、潔く自害…いや解散しよう。団体は器に過ぎない。国家が滅んでも、個人は死なない。
ちなみに「うちゅうリブ」という名前は俺が提案したものだ(今後公式には歴史修正されるかもしれないが)。名付け親に見捨てられる団体って、哀れすぎる。

もう抜ける(壊す)団体だからこそ、うちゅうリブで感じた違和感についても正直に語っておく。Twitterのオフ会に近い形式なので仕方がない面もあるが、似た者同士が集まる。たとえば「リーダーになりたいか?」回では全員が「なりたくない派」だったり。安田界隈でなくても、その手のネットインテリ左翼が多かった。
安田界隈的にメンズリブとはネットインテリ左翼同士の(でしか通用しない)議論できる仲間がほしいだけで、インテリゆえの非モテ要素はあっても一般的なメンズリブとはかけ離れている。要はインテリサロンに過ぎない。こんな連中にメンズリブの旗を振ってほしくない。少なくとも環・安田には人の心がない。間違っても大人でない。そんな人間に様々な階層・趣味嗜好の男性たちと向き合えるだろうか(反語)。
安田界隈はコアなツイキャス常連が20人くらい、全体で80人くらいだと思うが、たしかにうちゅうリブでも影響下にあった。程度の差はあれ、参加メンバーの半分くらいは安田界隈の人間だったと思う。実際、会で安田の名前が出ることが何度かあった。うーん、下部組織!
少しだけ男性学の真面目な話をすると、男性学フェミニズムの下部組織ではない。しかし普通の人はそもそもフェミニズムに関心がないと男性学なんて存在すら知らないので、左翼が多い。そして選民思想権威主義という左翼の悲しい宿命、個体差はあれフェミニズムの走狗が多い(これは安田界隈関係なく全体の話)。ちょうどうちゅうリブが安田界隈の下部組織(東京)だったように、これでは(アカデミックの)主流派男性学と同じ、新しいものは生まれないだろう。
だからなおのこと、ネットインテリ左翼の安田界隈は害悪だ。#安田界隈をメンズリブ運動から叩き出す会 とか運動しようかな。そこまで影響力もないし、アンチになるほどの価値もないのでやらないが。「DM晒しの環さん、ツイキャス吊るし上げの安田さん!」的に、ちょいちょいいじるくらいはすると思う。別に左翼でもいいんだけどね、人としてちゃんとしてれば。

さて、ともあれうちゅうリブは死んだ。死んでしまった。もし続けるなら「安田リブ」「安田サロン」に改名したらいいのでは? その方が実態に合っている。環は安田の傀儡に過ぎず、羊なんだから。普段からDMしまくりの仲=共依存だから(あれだけコラボキャスもしてるのに)、環にDMすると暴露までしなくてもその内容は全て安田に筒抜けになっていると思った方がいい。
「安田の下僕になる自由」は憲法で保障されているから、好きにやったらいい。なお環に対して「代表を辞めろ」なんてことは微塵も思っていない。形式だけヒラになっても意味はない。だから、団体ごと壊す。
最後に、繰り返しになるが俺は「男性学メンズリブ」そのものについては応援している。今回はその運営というか代表(と黒幕)がクズかつ精神疾患だったというだけで。今後もしいい団体があれば、参加してみたい。メンズリブに未来を! 生きづらい男性たちに幸せあれ!

8/25追記 反響やその反論について

 改めて、うちゅうリブ(以下「UL」)は最悪の結末を迎えたと思う。他人事としてこの件を見ると、なぜ回避できなかったのかと不思議になる。ここを掘り下げる気はないので短く端的に言うと、代表のモラル・公共心・社会性のなさ、幹部間でのコミュニケーション不足となるだろう。
 今回の記事は、私のブログにしてはものすごい数読まれた。理由は謎だが、ともかく狙い通りにはなった(後述)。しかしそのわりに反響がない(怒りの声がもっと来ると思っていた)ので、アンケートを取った。

 結果は想定通り、最初から理解や支持が得られるとは思ってない。「解体すべき」は1割いればいい方という想定で、「知らんがな」の多さを見れば十分健闘したと言える。
 そもそもUL関係者がフォロワーには多く、彼らが自己防衛に走ることはわかっている(とはいえ当事者二人にブロックされた以外、表面的に動きはない)。本気で怒っていることが伝わればそれで十分。
 8/25現在幹部(現・共同代表と元がいる)がTwitterでコメントしたくらいで、公式ブログに動きはない。おそらくこれで終わりだろうし、そのつもりでこの追記も書いている。

 さて、批判的な意見についていくつか反論しておく。ほとんど記事の繰り返しになってしまうが。

  • 私的なツイキャスでの話なので、ULを巻き込まないでほしい

 記事にも書いた通り、私はメンズリブ団体代表をやる人間の公共心を問うている。ホモソが嫌いだったはずの人間が、ホモソ丸出しの行為をしたことに怒っている。たとえばメンヘラや発達障害自助グループのwebサイト運営者が、ユーザーとのDMを私的なツイキャスで暴露したらどうなるか、考えてみてほしい。そもそもULがなければ単なるネット上の喧嘩で、ここまで怒ってない。

  • 以前から二人が気に食わなかった、仲が悪かったのでは?

 そんなことはない。良好な関係だった。あの日までは。
 友達(だと思っていた人)に裏切られた時のショックは大きく、笑って許せるレベルの欠点やチャームポイントですらあったものが、全部許せなくなる。恋愛相手との喧嘩別れに近い。潜在的にあった不信感の点が全て線になり、爆発した。そういう人間関係の急転を経験したことのない人にはわからんだろうが。
 あの日からの2週間で、私の中で環アンチ・安田アンチが爆誕した。「もしアンチならこれくらい言うだろうな」というエミュレートで記事は書いたが、嘘はない。表現上多少の誇張はあっても、まごうことなき本心である。

  • (内容がひどいので)記事を削除、撤回してほしい

 しない。仮にはてなブログから削除された場合は、よそに載せる。もし法的に訴えるというなら受けて立つ。その場合どちらの罪が重いかを争うことになるだろう。

  • 安田はUL運営とは無関係

 だから「黒幕」と言っておろうが。「下部組織」というのもそのニュアンスであり、親会社・子会社のような意味ではない。「界隈」という外枠のつながりがあったため、参加者が集まりやすい面はあった(特に女性)。団体としてその恩恵を受けながら(個人として無関係な人はもちろんいる)、「無関係です」はちょっと苦しい。
【追記】公式ブログにも現時点で二度も名前が出てきており、いかにズブズブの関係かがわかろうというもの。これで「無関係です」はない(もっとも無関係アピールをしているのは環以外の人間なのだが)。
ttps://uchu-lib.hatenablog.com/entry/2018/07/06/140958
 一つ目の対談記事にはツイキャスの雑談がきっかけでULが生まれたという話。「本人が喜ぶ」以外、わざわざ名前と垢名出す意味はあるのだろうか。
ttps://uchu-lib.hatenablog.com/entry/2018/08/20/203126
 二つ目の実施報告記事ではさすがツイキャス依存者だけのことはあって、なんと関係者とのコラボキャスとはいえ安田のツイキャスのリンク。
 これらの記事は二つとも環が書いているので当然こうなる。一つ目は明示されていないが他に書く人間もいないし、逆にこの忖度ぶりが筆者をよく表している。

 ULを「ぶっ壊す」と宣言したのはいくつか意味があった。当然、物理的に私一人の力で解体などはできない。人は現状維持をしたがるもの。15人くらいいるUL常連メンバーたちの意識を変えようなどとは思っていないし、彼らが体制側につくことは最初からわかっている(幹部の一人が「ULとして」公開ツイートで謝罪したことは評価したい)。
 この件を公にしたのは、「ULにまだ参加はしてないが興味があった人、これから参加予定だった人」たちのためだ。対外的なULの信用は地に落ちたと思うので、それで十分。今残っているメンバーだけのサロンが細々と続く分には、社会的な害は小さい。想定以上に外野の人にも読まれたようで、「低次元な喧嘩でどっちもどっち」と笑われたかもしれないし、ゴタゴタぶりに引かれたかもしれないがそれで結構、そういう団体だと知ってもらえれば。
 今回私は損しかしていない。「仲違いするとブログでキレ散らかす危険人物」という評価は免れないだろう。全て承知の上で、刺し違える覚悟でULを壊した。ULにはそれだけ思い入れがあったし、1年半前に書いた記事をはじめ、これまで支持・拡散してしまった責任もあったからだ。
 社会性のない人間が、社会性のない団体をやる自由は、この国にある。ULが間違っても大きなメンズリブ運動の看板にならないよう、潰した。そういう意味での「将来」を、社会的信用を壊したのである。過去の自分も壊した。なかなかの自傷行為でもあったが、後悔はしていない。
 改めて、ULは死んだ。壊れた。この先どんな活動をしようとも、ゾンビたちの宴に過ぎない。

ツイキャスは危険なネット人間関係加速装置—依存から恐怖症へ

f:id:maoukpp:20190819034711p:plain (ツイキャスの画像がありませんでした)
 まず、ツイキャスについてよく知らない人向けに(ツイキャスには動画もあるが、今回触れるのはラジオ配信のみ)。
ninoya.co.jp
 上記記事では綺麗なことしか書いてないが、負の側面を語りたい。タイトルの通り、依存者だった私が個人的いざこざから、ツイキャス恐怖症になってしまった。。
 どちらかというと、増田で書くようなネタかもしれない。恐怖症になったきっかけだが、2週間くらい前にDMの内容をキャス上で喋られ、さらにコラボキャスに呼び出された(その時点で他の仲間とコラボもしていて、実質的吊るし上げ)。これだけだと私がいきなり被害に遭ったようだが、そこまでの対立もあった(次回の記事で詳しく書く)。
 当然そんなコラボには応じず、それを機にその人・界隈とは断絶した。事実としては、それだけの話。ツイキャスで盛り上がり(中にはコメント欄で知り合った人もいる)、ツイキャスで終わった関係だった。

 ツイキャスの依存性の高さ、セキュリティの甘さについては細かい話は#24 8/4の定例キャスでした(PWは聞かれればだいたい教える)。
 ざっと要約すると、「セキュリティの甘さ」というのは一足飛びに仲良くなれてしまう。ネット、Twitterで普通にからむよりも何倍も早く好感度を稼げてしまう。これが危うい。
 ツイキャスをリアルタイムで聴いてもらえ、コメントをもらえるととても嬉しい。嬉しい、楽しいから依存性も高い。依存関係はコメンター含む相互で、多くて20人くらいの小集団=界隈。ある程度フォロワーがいれば突発でも20人くらいは集まるし、コラボの相乗効果もある。時間を前もって決め告知しておけば、弱小垢でもそこまで動員困難な人数でもない。この、サロン的な小集団がヤバい。
 私は主に聴く側だったが、間違いなくコメント依存者だった(20人いたらキャスを普段やる側は5-10人くらいだろう)。毎日のように界隈誰かのキャスに「参加」するのは、麻薬的楽しさがあった。喋って、聴いて、書いて。喋って、聴いて、書いて。丸1年くらい依存症生活だった。
 依存対象となるのはツイキャスの中でも、不定期・高頻度の雑談系コラボキャスや、ソロでも常連との雑談コメントがらみキャスのことである。純粋な一人喋りだったり、コラボでもテーマがちゃんとあって対談ラジオ的なキャスは含まない。またアルファツイッタラーなどの有名人でリスナーが多ければ物理的にコメントは全ては読めず「拾う」形になり距離感があるので、これもラジオに近い。
 とりあえずの結論。

  • チート技を使って仲良くなっただけの関係は、壊れるのも早い。さらに周囲を巻き込む
  • コメントは挨拶程度の最低限にとどめ、基本的に黙って聴くのが無難
  • ツイキャス依存者は、ツイキャスをプライベートな空間だと思っている


 一つ昔話を。まだ個人HPの時代、よく見に行くページがあった。そこの掲示板はファンで賑わっていた。HP主がお題を出してそれに答えるようなのがメインで、ラジオパーソナリティハガキ職人たちのような関係だった(私はROM専だった)。
 掲示板は当然、雑談もあるしファン同士のからみもある。そのうち、常連同士が喧嘩をし出した。二派に分かれた戦いだった。ほとんど常駐している常連は嫌でも目につくし、アンチも多かったのだ。また主とのからみが多ければそれだけ「嫉妬」も買いやすかった。
 HP主も仲裁したりしたが収拾がつかず、結局掲示板のログ全削除という結末を迎えたのだが、今回私に起きたこともこれに近い。

  • ファン間で、うざいと思っている常連がいる
  • 主を巡って、常連同士がガチの喧嘩を始める

 幸いなことに今回私にさほど影響力もなく、界隈自体もそこまでメジャーではないので大きな騒動にはならないだろう(次の記事では好き勝手書くが)。仲違いだけならネットに限らず、よくあることだ。

 しかしこのツイの通り、今はコメントするのも怖くなった。他人の庭にお邪魔するので、誰かに嫌われるリスクがツイキャスは高い。録音(録画)でリアルタイムじゃなくても聴けるのはとても便利だが、コメントが常に残る仕様なのも時に不便。
 ツイキャスにはブロック機能もあるが、これも運用が難しい。ブロック相手が自分のキャスにコメントできなくなるのはいいとして、他人のキャスだと「見えなくなる」だけなので、うっかり大嫌いな相手がいると気付かずにコメント参加してしまいかねない(気にしないならそれはそれだが)。
 逆に嫌われてブロックされても、相手からすれば「場」の空気を乱されるのは不快だろう。嫌いな相手がコメント欄にいたら、ブラウザそっ閉じするくらいしか自衛策がない。

 ……なんという恐ろしいことをやっていたんだろう。あのツイキャスへの熱狂ぶりは一体なんだったのか。今でもまだ整理がついていない。
 これまで経験した中ではネトゲのチャット依存に近い(今回のケースでは仲違いをして、ゲームごとやめてしまった格好)が、ツイキャスはクローズドなものではなく基本的に全公開、「公開された密室」だ。さらには声、喋りの効果もありさらに依存性が高い。凶悪だ。冒頭で紹介した記事にも【リアルタイムゆえに可能な“濃い”コミュニケーション】とある。この「濃さ」やスピード感こそが中毒性の根源だ。
 私がいた界隈の主要メンバーは、皆重度の依存症である。一種の精神疾患と言っていい。程度の差はあれ、もちろん私もだったが。いざこざによる恐怖症も、自業自得と言われればそれまで。これもまた別の精神疾患かもしれず、いわば精神疾患のハシゴ状態。
 とにかくこの、「依存から恐怖症」というギャップに戸惑っている。あんなに依存症だったのに。一人喋りの定例キャスは続けているので、完全に縁を切れていないところもよくないのかもしれない。ただ一人喋りは当面やりたい。

 今わかっていることは、今後自分のツイキャスがもし盛り上がったらとても嬉しいが、もう昔のようには楽しめないということだ。まさにトラウマ。他人への影響と、自分の依存と。ツイキャスは二つの意味で恐ろしい。
 キャスは、自分のためにやらねばならない。いま、目の前には、アイスのようによく冷えた現実だけが広がっている。

終戦記念日のシーズンこそ、ドラえもん映画を

はじめに

 お盆休みそして終戦記念日のシーズンである。だからこそ、ドラえもん映画である。なにせ、一歩間違えば地球はメカトピア星の鉄人兵団に侵攻され、人類は奴隷にされていたのだ。
 我々が今こうしてのんきにインターネッツなんてやっていられるのも、全てのび太たちのおかげなのだ。「それはフィクションの話だろう」と言われればそれまでなのだが。

 話がいきなり飛んだが、今年になって『新・鉄人兵団』(2011年)を観たのをきっかけにドラえもん映画にハマり、2期(2006年以降)劇場版を消化している。全部観たら記事にしようと思っていたが14本の一気レビューは無謀すぎる。なので今回は概論とイチオシの『新・鉄人兵団』のレビューにしたい。
 ドラえもん映画の魅力とは何か。よく言われるように冒険物としての面白さと、のび太ドラえもんをはじめ仲間たちとの友情・絆である。そしてゲストキャラとの出会いと別れがあり、また日常に戻っていく流れが一本の映画としてまとまりをよくしている。

導入部(ここまでは1話完結テレビシリーズと同じ)→スケールの大きい冒険へ乗り出す(巻き込まれる)→終結と別れ、また日常へ

 という構成がスムーズかどうかも、ドラえもん映画の評価のポイントである。

ドラえもんという「便利キャラ=舞台装置」が主演も兼ねるシンプルさ

 ドラえもんは「便利キャラ」というモデルを集約した存在である。たいていのフィクションは『名探偵コナン』の鈴木園子のようなお金持ちキャラがこの役を担う。あるいは主人公が大物政治家と仲良くなったりして「特別に」どこかに入れたり活動できることが多い。普通のフィクションの場合、これらの「便利キャラ」にさした意味はなく、単なる舞台装置である。主人公・ヒロインやメインキャラとはあまり関係ない場合が多い。
 ところが、ドラえもんは主演どころか定義上は主人公である。劇場版はタイトルに「のび太の(と)」とあるように実質的主人公はのび太で、そのパートナー的存在(厳密には「量産型の子守用ネコ型ロボット(友達タイプ)」らしい)ではあるが。
 ともあれ、この「便利キャラ=主演」の構造が、話の展開をシンプルかつ感動的にしている。

のび太が小学生なので、無駄に恋愛要素をからめないで済む

 しずかはあくまで「仲間」であり、ゲスト女性キャラともラブコメ要素はないことが脚本の自由度を上げている。子供向けなようでいて、少年漫画やラノベにありがちなラブコメに辟易している大人向けでもあるのだ。当然、無用なお色気シーンもないので女性向けでもある(しずかの例の風呂くだりは劇場版でもあるが、抑えめ)。

 以上から藤子・F・不二雄先生のプラットフォーム構築力は素晴らしいし、自ら旧劇場版の「大長編」を描いていたので実践力がすごい。

否定派への反論

 次にガチなアンチもそういないと思うが、ドラえもん映画が嫌いな人のよくある意見に反論したい。というか、私も最近までこうで遠ざかっていたのだ。

ジャイアンスネ夫がいい奴すぎるし、のび太がカッコよすぎる。原作通りでない

 これについては映画を自分で観たことがないか、「原作理解が浅い人」と言ってしまおう。表面だけを見ればたしかにそう見える。
 まず、状況が違う。原作・テレビシリーズと劇場版は、日常と非常事態の違いである。そしてジャイアンスネ夫は真の悪人ではない。本当に仲が悪いならテレビシリーズでも旅行など、一緒に行動したりはしない。もちろん探せば原作やテレビでガチクズムーブはあると思うが、全て「子供のやったこと」で水に流せるのである。
 もちろん、脚本の都合もある。ジャイアンスネ夫が「協力しない、参加しない」で話が成立するか、一度書いてみろと言いたい。ちなみにスネ夫は劇場版では出木杉の「物知りキャラ」ポジションも担っている。劇場版のジャイアンあるあるとして、終盤で「ここは俺たち(ジャイアンスネ夫)に任せて先に行け」と敵の足止め役を買って出ることが多い。

 のび太の活躍についてはたしかにご都合主義かもしれない。
 一応擁護すると、射撃だけは得意なので道具や銃を使った戦闘で活躍する整合性はある。またコミュ力は意外とあるので、映画のような非常事態・乱世向きの人材かもしれない。
 そもそもエンタメ映画で主人公が活躍しないでどうするという話。また、のび太の両親をはじめ一切の大人が介入せず「自分たちだけで解決する」ところも「お約束」として楽しむべきだろう。

ドラえもんの道具=チートで問題解決、活躍しているだけ

 それを言うなら「能力バトルもの」の能力だって同じだし、フィクションの登場人物は才能、コネなど何かしらのチートに守られている。決して道具頼みでなく、与えられた状況でどう頑張るか、機転や駆け引きなどが存在するから面白いのである(ただの道具無双では面白くないから、なんらかのアクシデントで使えない局面も多い)。


 さて、ここからは個々の作品のレビュー。ドラえもん映画を比較評価する上で、評価ポイントは三つにした。「ドラえもん映画らしさ、子供向け、大人向け」である。
 一覧は以下を参照。
ドラえもん映画作品 - Wikipedia

新・のび太と鉄人兵団 〜はばたけ 天使たち〜(2011年)

ドラえもん映画らしさ:B 子供向け:S 大人向け:S

 一言で言えば、「全ての要素を満たしている。エンタメ映画として完璧な仕上がり」という評になる。全体のストーリーはシリアスだが、子供向けでもある。まず「ロボットもの」の時点で男の子ウケはいいし、しずかの出番の多さ、ラストの大活躍ぶりから女の子が見ても満足度が高い作品になっている。リルルに対して激昂した時の「あんた」呼びはたいへん珍しく、歴代でも貴重なシーン。
 全体のテーマも素晴らしい。人類の歴史を振り返り、なぜ現代では反差別や平等が大切なのか、改めて知ることができる。そして、単なる反戦平和ではなく人間には戦わなければいけない時もあるという現実も描いている。

 ドラえもん映画の中では異色作ではある。まず異世界(タイムマシン、どこでもドアでの旅行や異星)での冒険がない。(基本的に)すべて現代日本で話が進行する(異星「メカトピア」も出てくるが回想シーンのみ)。なので「ドラえもん映画らしさ」はBとした。
 違和感があるとすれば、いつものキャラクターたちの頭が良すぎる。特にドジキャラのはずのドラえもんが賢すぎる。鉄人兵団相手にゲリラ戦をやるくだりなど、「お前はヤン・ウェンリーか」とツッコミたくはなるが全体を見れば些細なこと。
 リメイク作品としてのアレンジぶりも秀逸。旧作では存在感のなかった(あっさり改造される)ジュドという存在に「ピッポ」という新たな命を吹き込み、のび太-ピッポ、しずか-リルルという二つの軸ができ、物語を厚みを持たせている。
 旧作を熟知していたBUMP OF CHICKENの主題歌『友達の唄』も神がかっている(ただし、リメイク要素は含まれていない)。カラオケDAMでは映画の映像付きなので、ネタバレはあるが未見の人もダイジェストとしてオススメ(尺の長さもあり、記事末尾の予告編よりも内容が濃い)。

 スネ夫に自慢されロボットがほしい(もう持ってるだろ→ドラえもんじゃ嫌だのくだりは笑える)、からの無邪気にロボット(ザンダクロス)を組み立て、遊ぶ導入部からシリアスな展開への流れも見事であり、構成は完璧。この映画では特に「別れ」の重さがすごく、そこがまた泣けるのだが。
 例によって大人たちは介入しないが、これについては鉄人兵団侵攻についてのび太ママは「漫画の読みすぎ」と信用しないし「あちこちに電話をかけるが相手にされない」という流れをちゃんと入れているため無理がない。
 たった5人の子供が、地球を守るために戦うという戦争映画でもある。ぜひとも『スーパーロボット大戦』に参戦…できるわけないだろ(ちなみにザンダクロスは「百式」をモチーフにしたらしい)。

「映画ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団 ~はばたけ 天使たち~」公式サイト
 公式サイトの予告編はFLASHだが、youtube版もあった。
www.youtube.com
 原作(大長編)漫画、旧作との比較も解説されていて素晴らしいまとめ(ネタバレあり)!
togetter.com

 というわけで、お盆休みはドラえもん映画を観るべくレンタル屋に走ろう。残りの13作品についてはまた改めてレビューを書く。

追記:書きました。
maoukpp.hatenablog.jp

絶対に入ってはいけない!IT技術者が避けるべきヤバい会社・職場8選

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 なんやかんやで10年以上外注型IT技術者をやっているので、一番実用的なネタをと考えた結果がこれである。

朝礼・昼礼、部門の全体会議がある現場はヤバい

 旧態依然とした、古臭い企業の象徴。当然パワハラブラック企業・部署の可能性が高い。社会人に校長先生のお話はいらない。

低スペックPC環境の現場はヤバい

 単にストレスがたまるだけでなく、人件費>PC経費という生産性をわかってないのがヤバい。実務作業をしたことのない人間が上にいる可能性が高い。

座席スペースが60cmの現場はヤバい

 人を人と思ってない奴隷工場で論外。

タスクをエクセルで管理している現場はヤバい

 JIRAなどを使わず職場のIT化が進んでいない会社は、これも古臭い企業の象徴。そのマクロエクセルは不満点や不具合が多々あるが、誰もメンテできない・してはいけないことが多い。

SkypeなどチャットツールがNGの現場はヤバい

 これも上と同じ。使用自体は可能でも怒られる雰囲気があったり、偉い人は読まないのでどうせメールと二度手間だからと廃れているケースもある。mixiかよ。

マウスやキーボード持ち込み禁止の現場はヤバい

 こだわりがない人でも、他にも官僚的でうるさいルールが多く、ストレスがたまること必至。

エアコンの温度調整ができない現場はヤバい

 大きなオフィスビルにありがち、地獄のエアコン集中コントロール。寒いのならまだ着込めばいいが、暑いと詰む。

やたら電話が鳴り、電話を外注に取らせる現場はヤバい

 単純に作業に集中できない。電話を多用する会社はほぼ例外なく生産性が低いが、さらにひどいのが正社員が忙しくて不在なことが多く、外注が電話を取る羽目になる現場。事務系かよ。

 IT技術者が現場に入る前にやる面談は、選考してもらう場ではない。こちらがその現場を吟味する場なのだ。なので質問攻めにしよう。細かい業務知識や技術のことなんかどうでもいい。なかなかプロジェクトが炎上しているとか内部事情まではわからないが、環境面なら簡単に知ることができる。

 もちろん使用言語やフレームワークのスキルがマッチするかも大事だが、現場環境(物理)がとっても大事なのだ。これはIT業界限らず、転職全般にも言えることだ。
 最終的には人間関係が全てだが、面談する相手1,2人だけではわからないし、外面のいいサイコパスタイプだと30分程度喋っただけではわからないというか、絶対騙される。人間を見るのは諦めよう。

 もちろん対策したつもりでも職場ガチャ、現場ガチャは運次第。ハズレを引いてしまったら、以下の記事の通りさっさと逃げよう。
maoukpp.hatenablog.jp

【悲報】議会制民主主義さん、日本国民から支持されていない【今こそ幕府を】

総務省は、今回の参院選の選挙区の投票率は48.80%だったと発表した。国政選挙では1995年の参院選の44.52%に次いで戦後2番目の低い投票率となった。
https://news.livedoor.com/article/detail/16810907/

 今に始まったことじゃないが、嘆かわしい…。ネットでも毎度毎度「選挙に行け」vs「啓蒙ウザい」のバトルがあり、辟易としている。だから私も今までうるさく言わなかった。が、今回は違う。
 選挙なんか、行くのが当たり前だろ。合理性、生産性とかガタガタ抜かすな。国民主権放棄って、江戸時代の町民かお前らは。いや、江戸時代なら仕方ないが、存在自体が憲法違反という自覚があるのか。

 今回過半数を割ったということは、国民全体が民主制を望んでいないということだ。むろん例外はあるにしても、逆に投票した人間にも白票だったり「専制政治の方が好きだが仕方なく投票する」人間だっている。
 投票率過半数割れというのは、それだけ象徴的なのである。近代国家として、恥だ。恥ずかしすぎる。投過半数割れまでくると、もはやシンプルに「民意を反映できていない」ことになる。
 組織票や村社会的しがらみ票がますます有利になってしまうのも良くない。だがそれ以上に、今回たまたまではなく毎回選挙に行っていないお前、人として恥ずかしくないのか。

 対策としては、2年前も主張したが罰金を取るしかない。情けない話だが、これが一番効果があるだろう(「義務投票制」という名前で実施している国もある)。


 ここで簡単に歴史の話をしよう。江戸時代から明治時代になって選挙ができたが、最初は男性のみ、かつ富裕層(15円以上納税)というものだった。そこから段階を経て女性でも、誰でも普通選挙ができるようになったのが今。

 自分が入れた候補者が落選したら悔しいし、逆に当選したが期待外れに終わったら無念だ。旧民主党政権に投票して、後悔している人は多いだろう。
 それでいいのだ。戦って負けているのだから。苦しくても、決断をすること。それが、民主主義だ。いきなり18歳で投票するのはたしかに難しい。悔しさや後悔を繰り返し、乗り越えながら成長していく。国家としても歴史を積み重ね、長い目でみればいい政治になっていく。それが近代のあるべき国民国家=議会制民主主義だ。

 義務・責任を放棄して戦わずに負けた人間たち…もはや「国民」と呼べたものではない。二級国民、賎民だ。
投票率 - Wikipedia
 制限選挙時代の方が圧倒的に投票率が高いという。なんの冗談だ、これは。

 そこで、提案がある。


 国民を、政治という重荷から解放してあげようではないか。そのためにはまず憲法を改正し、選挙法を明治時代まで戻す必要がある。普通選挙は凍結だ。廃止ではない。いつか民度が上がったらまたやればいい。
 日本国の国民=江戸時代の町人や農民に、まだ普通選挙は早かったんだよ。普通選挙は凍結して、200年後くらいにまた制限選挙から始めよう。

リセットされる側の「資産」になれなかった悲しみ

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 2年以上になるのか、そこそこ付き合いのあったアカウントが突然垢消しをした。Twitterだけでなくブログもろもろなので、ロックや凍結ではなく意図的なものだろう。
 垢消しにはいくつか要素がある。インターネットから完全に消えてしまう場合、別垢転生する場合。そして衝動的か、計画的か。告知があるかどうか。公開のものと、私的なものと。今回公私ともに告知はなく、一切が不明である(直前の公開告知は見逃す可能性もあるが)。
 事情はどうあれ、「一度リセットしたい」という判断だろう。それに対しては何も言えない。リセットボタンを押せるのは、ネットの便利な点でもある。
 人間関係は資産である。転職する際でも、仲のいい人には事前に告知するものだしその後も関係が続くものだ。すべてを捨ててしまうのはもったいない。
 リアルでもネットでも、この「リセットされる側」に回るのはつらい。その程度の関係だったのか…と打ちのめされる。私は「資産」ではなかった。この片想い感は異性にフラれた時の悲しみに近い。ネットの場合、依存している方がよりダメージはでかい。
 しょせんはネットである。仮に会ったことがあっても、2,3時間程度では深くその人を知ったことにならない。もちろん本名も知らない。仮に警察に事情徴収されても、たいして話すことがない「趣味だけの関係」であった。
 とはいえ、それでもやはり、寂しい。他の知り合いにも聞いて回りたいが、なんだかそれもストーカーみたいで嫌だ。だからこの場に書く。
 つまり今回は、ただの愚痴なのである。
 私が突然垢消ししたら、悲しんでくれる人はいるのだろうか。いないとしても、けじめとして公開告知はしてから消えようと思う。