うたうポリゴン

魔王K++(ケープラ)のポータル兼個人ブログ

リバタリアンはボクシングがお好き?


 一体なんの関係が、と思うかもしれない。厳密には「リング禍」と呼ばれる死亡(または深刻な後遺症)事故が起きる「KOを目的とする格闘技全般」なのだが、ここでは(プロ)ボクシングのみとする。
 まずこちらを読んでほしい。
リバタリアニズム
 これによると、ギャンブル、麻薬、拳銃、売春、ボクシングすべてOKとするのがリバタリアニズムだというのだ。当然人によって程度が違うが、リバタリアンを定義する時にとてもわかりやすい。
 なぜボクシングが問題なのかについては、
ボクシング存廃論
 ここで詳細は触れないが、野球の投手の球数制限のように、安全面でのスポーツのルール改正論はいつだってリベラル(人権尊重)の観点から起きるものだ。私は『はじめの一歩』が大好きだが、たしかにこの批判には一理ある。リベラルで格闘技の大ファンってあまりいない気がするし、逆に大ファンはネトウヨが多そう(偏見)。

 タイトルの内容は実はこれで終わりで、ここからが本題。以前NMRという概念を書いたが、これに関連する話をしたい。
maoukpp.hatenablog.jp
 ネットに比較的多い「自称リバタリアン」「なんちゃってリバタリアン」について考察する。インターネットアンチフェミ(弱者男性論表現の自由戦士ネトウヨ)批判シリーズの続きで、特に表現の自由戦士に多く見られる。
 なぜか。

  • 文系の中で経済学部は一番人気であり、人数が多い(専門の大学も多い)
  • 経済学や政治思想の知識がなくても(一見)わかりやすく、誰でも飛びつきやすい
  • 論理的・合理的な新しい思想っぽいものになっている
  • 増税社会保障負担増反対と結びつきやすい

 あたりだろうが、端的に言うとバカがカッコつけるための思想もどきになっている。どうもここ10年くらいのトレンドらしい。単なる情弱バカか、「俺は経済学んだんだぞ!」のイキリ経済学部卒(レジャーランド時代の大学)バカの二つに大別される。
 彼らの理想はこれ。


 繰り返すが彼らは全くリバタリアンではなく、無覚悟・無責任な自由主義者、エゴイスト、端的に言うとただのクズである。リバタリアニズムを方便・隠れ蓑にしているだけ。
 フェミニズムのイメージが一部のフェミニストのせいで毀損されているという声はよく聞くし実際そうなのだろうが、リバタリアンもそれに負けず劣らずである。でもなぜか「指導者・上層部はしっかりしろ」みたいな批判は見られない。
政治的スペクトル - Wikipedia
 このノーラン・チャートで言う「ポピュリズム全体主義」で真逆の思想なのだが、よくもまあ恥ずかしくないなと。

 私の主張はほぼこれで終わりなのだが、補強のため「日本の自称リバタリアン」についての記事をいくつか紹介する。
blogos.com
 イケハヤやホリエモンなどのネットの有名人はリバタリアンと言われており、この辺の影響も大きそう。ある程度の地位・名誉を築いた人なら社会基盤がなくなってもやっていけるし、その方がライバルも減って都合がいい。
 さらに新しいことをやるのに余計な規制はない方がいいし、批判されたくない。税金たくさん払うのも嫌だ。「強者」に都合がよく、実に自分勝手・無責任な考え方をする人たちである。
blog.goo.ne.jp
dr-seton.hatenablog.com


 田川さんの言う通り都合のいいところだけをつまみ食いしているので、キメラ・リバタリアンと呼んでもいいかもしれない。 
blog.tatsuru.com
 愛国的リバタリアンという矛盾するワードはとても秀逸。
 ネットで暴れているインターネットアンチフェミは前々から「公共の福祉」「公と私」概念がないなと思っていたが、なるほど「国家と私」だけがあってその中間がないのだ、と考えれば腑に落ちる。
 要は自分とその所属する界隈がすべてであり、「俺の人権は俺のもの、お前(他者)の人権は俺が認める範囲だけ。現行以上の拡大は認めない」という人権ジャイアニズムなのだ。
 だいたい、表現イベントなどにフェミニストが抗議する自由もリバタリアンなら認めなければいけないし、その結果自粛したとしても個人や企業の自由ではないか。「女に文句を言われたくない思想」なるものは女性蔑視、ミソジニーって言うんじゃなかったっけ。

 余談ながら、リバタリアニズムにそのものに詳しくはないが見解を述べておくと、一見合理的で公平に見える最小政府国家だが、共産主義に似た危うさ、人類の不向きさがあると思う。刑事罰の凶悪犯罪しか取り締まられず、民事とか何それってなりそう。結果的に人権軽視社会になるだろう。その点では自称リバタリアンの理想通りなのかもしれないが。結局はその人が目指す国家モデルを聞いてみないとなんとも言えない。日本人の場合、皇室についてどう考えるのかも興味深い(ただの皇室ファン存続派は論外)。

 改めて繰り返すが、ネットに多い愛国的リバタリアン、キメラ・リバタリアンは思想と呼べたものではなく、論外のクズである。これはリバタリアニズムの名誉のためにも、強調しておきたい。思想はクズの箔付けのためにあるのではない。

今こそ、喪女やBKOの話をしよう-女性向け非モテコンテンツ不足

インセルの衝撃

 まずはこの魂の叫びを聞いてほしい。
note.mu 
 誰も語らなかった「インセル女」という存在、そしてフェミニズムへの不信…衝撃的な内容である。ネットでも本当にこういう言説は少ない。あっても発信力がない。Twitterの女性アルファは絶対こんなこと言わない。
 同じ「非モテ」でも、男女で圧倒的に違う。ネットの(男の)非モテ論がなぜ「女をあてがえ」のようなイカれた方向に行くのかはたしかに謎。男性性による攻撃性だろうか。

 ネットでも圧倒的マイノリティの非モテ女性、5chには「もてない女」板というのが昔からあり、喪女と呼ばれる女性がここには生息している。代表的なスレッドを紹介する。
medaka.5ch.net
 喪女の定義は諸説あろうがこのスレの152に

15~25歳のボーナスステージに誰からも愛されなかった女だけが喪女を名乗れ

 とあったように、このあたりが有力と思われる。タイトルにもしたBKOとつながるというか、ほぼ同義だ。BKO(ブスでカネのないオバサン)とは、KKO論争の時に私が編み出したワード(キモカネに対するブスカネ)で真の弱者だと主張したが、さっぱり流行っていない。

 このツイでも述べたように、男にとって女性の非モテ層はインビジブルである。「女の人生はイージーモード」的言説がいかに偏った視野でしか語っていないかわかろうというもの。それ、美人限定の話ですから!残念!(ネタが古い)。
 逆に「男の非モテはイージーモード」と言えよう。リアルの友達と共有できるし、友達がいなくてもネットで女を叩けば簡単に仲間が見つかるコンビニエントな時代である。

女社会のルッキズム

 なぜ、女性の非モテは可視化されにくいのか。

  • 絶対数が少ない(男の非モテは学校のクラスに数人程度いるのに対し、女性は学年に1人程度)
  • 非モテ女性は男性にくらべリアルで語ることがなく連帯もしないし、ネットでもあまり発信しない
  • 上記の理由として、ルッキズムによるヒエラルキーが女子には存在し、同性間でも生きづらい(男の場合は足の速さ、喧嘩の強さが重要で容姿はほぼ関係ない)。
  • 一般社会でもネットでも影響力のある女性は、すべてモテる側(例外は一部の女芸人くらい)。仮に喪女が発信したところでウケない

 さて、4月にうちゅうリブで本田透電波男』読書会を私の主催でやったが、
uchu-lib.hatenablog.com
 実はこれとも大きく関係する話なのだ。男性向けの非モテコンテンツに女性の愛好家がいることに、以前から私は興味があった。この歪んだ、ねじれたファンは一体なんだろう。
 あえて名指しするが、『現代思想』2月号男性学特集の「生きづらい女性と非モテ男性をつなぐ —小説『軽薄』(金原ひとみ)から」を書いた貴戸理恵さんのような。ちなみにこれもうちゅうリブ読書会があった(第9回「うちゅうリブ」実施報告 —『現代思想』男性学特集読書会— - うちゅうリブ)。貴戸さんの記事は、男性非モテ論と生きづらい女性(金原ひとみさんの小説)との接点を語るエッセイだが、正直内容はどうでもいい。「男性非モテ論の女性ファン」という属性が重要なのだ。

 彼女のような非モテ論ファンは喪女なのだろうか。違う。私が非モテ男だからわかるが、当事者が異性の非モテコンテンツに共感する道理はない。
 本気で非モテコンテンツの著者や登場人物に同情したり、向き合う気もない。要は「ポメラニアンが吠えていて可愛い」的な、高みの見物をしているのだ。自分の生きづらさを部分的に非モテ男に重ねて楽しんでいるだけで、全く的外れな相似というほかない。非モテ男性の対になり得るのは、非モテ女性である。
 私はミソジニー全開なネット論客を支持している女性を「あてがわれガールズ」と揶揄しているが、これとかなり近いメンタルである。なぜ彼女たちは女叩きが平気なのかというと、叩かれているのは「主流派の女」であり、生きづらい系の自分は「反主流派の女」、そこから「敵の敵は味方」論理が働くのだと思われる。

 話を戻すと、金原ひとみさんの小説に限らず、生きづらい系女性を描いた小説や漫画はあるが、その登場人物は別に男に困っているわけではない。「男向けフィクションでは女性は美女しか出てこない」とよく言われるが、実は別の意味で女性向けもそうなのだ。小説の場合はメンタルは色々だが、多くの少女漫画がそうであるように特に外見は美女しかいない。
 なんという残酷な、ナチュラルなルッキズムであろうか。「だめんず」的な自虐・愚痴コンテンツは多いが、これも結局恋愛経験ありきである。喪女にとってはそれすら自慢でしかない。(フィクション、恋愛以外の)ダメ人間系コンテンツも、女性向けは圧倒的に少ない。
 酒井順子『負け犬の遠吠え』もダメ人間コンテンツではあるが非モテ女性を無視しており、女性向け非モテコンテンツでは決してない(こちらの記事に詳しい。-憂鬱なプログラマによるオブジェクト指向日記 過去ログ-)。

女性向け非モテコンテンツが売れ筋になれば救いがある

 ブスは(フィクションですら)存在を許されない。だから生きづらい。それは男の不細工の比ではない。圧倒的な社会的弱者であるのに、語られない。真のマイノリティの過酷さ-といったことが今回この記事で私が一番言いたいことで、これは今まで書いてきた弱者男性論に対する批判の続きでもある。やや女叩きみたいになってしまったが、それは本意ではない。

 男性向け非モテコンテンツの女性ファンに対し、私はひじょうに嫌悪感が強かった(男性フェミニスト嫌う女性フェミニストのようなものかもしれない)。とはいえ、彼女たちがなぜ愛好者になるのかというと、女性向け非モテコンテンツが不足しているからだ(もっとも彼女たちは非モテではないのだが…)。
 本来はもちろん、喪女のため。最近は少し増えつつある。
honcierge.jp
ddnavi.com
pro.bookoffonline.co.jp
 他にも、能町みね子さんのエッセイ・漫画もここ10年くらいなので最近と言っていいだろう。時代の流れなのか、女性の非モテが盛り上がるのはいいことである。

 長々と書いてきたが、最後に触れねばならないことがある。男が喪女を語る上で最大の弱点である「じゃあお前は喪女、BKOを選んで付き合うのか」という問いが存在する。
 これについては、「選びません」と正直に告白しておく。「研究対象として光を当て向き合うことと、個人的に付き合うかは全く別である」という無残なオチで終わる。そこは女性の皆さんが連帯してください。フェミニズムの管轄なのかは知らないが。

ネットのマジョリティ、自称・ノンポリで中道なリアリスト(NMR)研究

 没タイトルは「ツイッターでアルファになる方法」だったのですが、インターネットのマジョリティについて考察してみます。
maoukpp.hatenablog.jpmaoukpp.hatenablog.jp

ノンポリ、中道、リアリスト

 今までネット論客(とその支持層)を批判してきたが、今回はそれより広域な、ネット世論の空気について。大衆と言ってもいい。ネット論客たちの支持層にも含まれるが、コアなファン・信者ではない層。自分が投影できる弱者コンテンツが好きで、積極的に政治的発言はしないが一定の傾向がある層。
 政治的な中道、穏健派を意味する英単語にmoderateがある。無党派層はindependentだが、彼らはそこまで無党派層を自称しない。「リアリスト」も好き好んで彼らは自称する。理想主義的なリベラルを冷笑し、自分は頭がいいと思いたいからだ。ノンポリの説明は不要だろう。
 インターネットの大衆——それがタイトルにもした「自称・ノンポリで中道なリアリスト(NMR)」なのである。MMRみたいになってしまった。。

NMRアルファを警戒せよ


 アルファで言うとこの手の、ヒットアンドアウェイ的にたまに政治的ネタをツイートしてファボRT稼ぐ人たち。彼らにとって、NMRはお得意様なのだ。NMRアルファと呼ぶ。やってることは冷笑だが、「冷笑系」というとネット論客を指すことが多いので。
 政治的イシューには深入りせず、敵を作らない。自分の主張が間違っていたらカッコ悪いし、訂正や謝罪などはしたくない。常に安全なところにいたい。前線に立つネット論客よりも、実に賢い立ち回りと言える。

 政治家や経営者、芸能人などが何か不祥事や犯罪などした時のバッシングというのは、昔から週刊誌の定番ネタであるように大衆娯楽である(その是非は今回は置く)。それに加え、ネットには特有のバッシングネタがある。いや、バッシングまでいかない。本気を出さず、スマートに冷笑するのがカッコいいのだ。
 彼らが冷笑・嘲笑する対象はいつも決まっている。それも底辺層というか、常にセレクティブ・エネミーをしている。もっとも最初に火を付けるのはネット論客で、NMRアルファはトレンドになったらそれに乗っかるスタンス。

NMRのモデルはこんな人

 そしてフェミニズム叩きがわかりやすいが、NMRは男女共通。というかネットの女性は概して男性的な思想の持ち主であり、「インターネット男性性」集団なのである。
 政治的には、だいたい以下のような立場が多い。Twitterももう10年、インターネット全体も高齢化というか30-40代がボリュームゾーン。今時の若者はあまりTwitterをこういう風(他人叩き)には使わず、専用垢運用が多い。なのでここでモデルとなるのは30-40代男性(性)。

  • 旧民主党政権やそれ系の政治家が大嫌い。維新も嫌い
  • なんとなく自民党を支持している
  • 増税社会保障負担増には反対
  • 累進課税強化に賛成
  • 小泉改革を恨んでいる
  • 社会的な運動や活動をしたことがない
  • 外交・国防についてはさほど意見がないか、あっても発信しない

 全くもってノンポリではないのだが、なぜかノンポリであろうとする。他者のことを「過激な〇〇」と冷笑するが、自分は絶対にそうならないという信念を持っている。自分は偏りがなく党派性もなく中道で、バランスが取れていると思い込んでいる。社会に対して熱いを想い持ったり、運動を頑張る人が生理的に嫌い。選挙や住民投票などでは常に勝ち馬に乗り、「どちらが勝っても自分は損をしない、傷付かない」という高みの見物、その実ナイーブなスタンス。
 ネトウヨのbioに多い「普通の日本人」「右でも左でもない」はたしかに大嘘だが、それと同じくらい「ノンポリ」も嘘なので大笑いしてあげよう。この、普通や中道でありたいという人の願望は一体なんだろう。食事のメニューなどで「大中小」があったら真ん中を選びやすい人間心理だろうか。
 広い意味で政治的な発言をしているのにNMRを気取りたがる幼児性は、日本人特有なのかもしれない。最高にダサいですね。
 

萌え絵は一定層からは受け入れられないコードである(2019年現在)

表現の自由戦士さんと揉めた

togetter.com


 この件。そして関連した私のツイが炎上とまではいかないが、ボヤを起こした(FF以外の通知は切ったので今後応答はしない)。Twitterではおなじみの光景。萌え絵がそんなに好きじゃない30代男性として、今回は筆を取る。
 表現の自由戦士とは何か。
 今回の件でも同意できるかは別として、相手の言う事を全く理解しない狂信者たちだと言える。同意できるかは別として。同意できるかは別として。大事なことなので3回言いました。
 このツイの通りTwitterは議論に向かないし「説明しろ」という煽りに対してはどうせ徒労に終わるし「ggrks」で済ませたが、いざ自分がやってみると意外とムズかった。すまん。その一点だけは謝る。
 なぜならインターネット全体が男社会で、SEOもオタク寄りになっているからだ。Twitterはお察しとしてもググればもっとまともだろう、というのは甘かった。ここにも男女の非対称性が存在する。たとえば「萌え絵 気持ち悪い」で検索しても、「萌え絵叩きする人を叩く」記事が上がってくる。
 というわけで思ったよりは時間がかかったが、まあ小一時間調べれば普通にわかることなので、やはりググればなんとかなった。

本題・萌え絵の特徴と問題点

 2016年の記事だが、この頃からネットのオタクは「まるで成長していない……(AA略)」。
nomolk.hatenablog.com
 こちらも2016年、まさに今回言いたかったコードと炎上について。ツリーになっているので、全文はリンクをクリックして読んでほしい。

 作画の観点から。
yopinco.com
 こちらも作画。「萌え絵は赤ちゃんの頭蓋骨」というワードが印象に残る。
yamato-tsukasa.hatenablog.jp
 この記事と私の主張は同じ。
blog.c71.jp
 ブコメでもさんざん燃えたらしいので、これだけ丁寧に説明しても結局、発狂再生産でしかない。つまり、この記事もまったくの無駄の可能性が高い。どうか「まるで成長していない……(AA略)」にならないでほしい。

 改めて萌え絵について述べると、純粋な男向けコンテンツの閉じた世界なら好きにやってくれればいい。だがよく炎上するように広告、そして公共・教育といったステージに上がった時、そりゃ嫌悪する人からは抵抗されるよねっていうだけの話である。仮に「性的搾取」「環境型セクハラ」という主張が妥当でないとしても、一定層が嫌いなものは嫌い、キモいものはキモいのである。50年くらいして時代が変われば可能かもしれないが。
【2021.1追記】フェミニズム見地からの批判はこれが決定版だろう。どうも相手の主張を理解すらしていない人が本当に多いようなので、改めて追記しておく。
gendai.ismedia.jp

 絵柄の話ではないが、全年齢向けエロ=ソフトポルノという概念が根底であり、萌え絵がスタンダードと思っているオタクには全く理解されていないので過去記事を貼っておく。
maoukpp.hatenablog.jp

まとめと余談

 リンク集のような記事になったが、別に新しい意見もないので仕方がない。今回は完全にボランティアの気持ちで書いた。
 私からオタク(表現の自由戦士)に言いたいのは、常識レベルのリベラル的教養がなさすぎる。敵に勝つには敵を知れ。表現業界は言うに及ばず今や資本主義の論理でも圧倒的マジョリティのくせに、リベラルやフェミニズムを悪魔化して被害者ぶってるんじゃない。無責任なインターネットアンチフェミ野郎の狂信者やってるんじゃないよ。情けなくないのか。


 本当に肩身が狭かった90年代のオタクの主張なんて、「お気持ち」だったんだぞ。ちなみに90年代で時空が止まっている被害者思想を私は「(オタク)宮崎史観」と呼んでいる。今後使っていきたい。
 思ったより長くなったが、言いたいことは言った。あまり期待はしていないが、この記事が何かの気づきのきっかけになれば幸いである。

Twitterのすごいブロック術2019

 Twitterのブロックについては、以下の記事のような意見が主流です。たしかにブロックは相手を刺激するし、勝利宣言されるし、サブ垢を使えば意味がない。
oreno-yuigon.hatenablog.com
 が、しかし。去年あたりからブロックの仕様が変わりました。アルファツイッタラーなどは既に対応しており、最近はブロックを多用するようになっています。
appllio.com
 ブロックされた人は、した人のツイが

  • 検索で非表示になる(以前は設定を変えれば表示できた)
  • 三者のRT(記事には書かれていないがメンションも同様のよう)が流れなくなる

 概要はこの二つです。QTに関しては引用部分が非表示になりURLで誰かはわかってしまうものの、「相手の界隈に自分のツイがほぼ流れなくなる」という効果は大きい。
 以下のツイのように、Togeのクソまとめ主だけは以前から私も積極的にブロックしていました。


 で、最近新たに数人ブロックしたのですが、いくつか理由があります。まずはだいぶ長いヲチフォロー。INPUTとして意見の合わない人もフォローし、多様なTLを構築することはありますが、議論ですらない一言悪口QTなどを延々言ってくる相手には、相手のためにも自分へのフォローを切ってやったほうがいい。
 私は弱小垢である。普段のツイートはほぼ反応はない。ファボRTゼロにも関わらず、反応されるケースがあった。古いツイートならまだどこかに貼られたのかなとも思うが、最新のツイで。どうも特定のワードが含まれるツイだけ。つまり、その相手は検索して上に出てくる最新のツイに対して悪口QTをする、検索アタッカーだったのだ。
 まとめると、

  • Togeのクソまとめ主
  • ヲチフォロワー・リスト作成者
  • 検索アタッカー

 はブロックしていいんじゃないかと考えを変えました。敵対的な界隈に自分のツイートが流れることは、大量通報のリスクもあります。ちなみにブロックされていても、自分へのメンションだけは通報時に見ることができるようです。
 サブ垢に対してはたしかに無防備だが、最近はアカウント自体が作りづらくなっているのでそこも追い風。以前のように大量に無制限には作れないので、似たような垢が来たら2、3ブロックすれば完結する。

 これは私もたまにやるのでよくわかるのですが、「サブ垢ないしはログインせずに相手のツイのURLかスクショを取り、メイン垢でそれを貼る」のはけっこうな手間。そこまでのアンチはそうそういない(よほど個人間の因縁がなければ、似たような相手へ怒りが行く)ので、ガンガンブロックしていいでしょう。

 ただ、Twitterの仕様はコロコロ変わるのでまたいつどうなるかわからず信用できない。
 という点は忘れずにおきたい。実はこれこそツイッターライフの基本だったりする。

ネット論客の床屋政談より、新書でいいから本を読もう


 言いたいことはこのツリーでほぼ終わっているが、20年くらい前の知識で止まってるしょうもないネット論客の発言をありがたがってないでさあ。
 まずは高校レベルの教科書から勉強しようよ。マイナーな分野ならいきなり専門書だが新書なら安いし、専門誌、あるいは特集組んだ雑誌でもいい。ブックオフなら100円だし、さらに言えば買わなくても図書館で読めるよね。
 たしかにトンデモ本もあるし、ネット論客が出版までしてしまうご時世だから、本なら正しいってわけでもない。そしてこの文章もブログだけどさ。。
 それでも「学者はバカ」とかよく知りもしないまま怨念振りまいてないで、まずは有名どころの著者の本を読んでみようよ。すべてはそれから。
 こういうのを「反知性主義」って言うんだよ。なんでこうなったんだろうね。ネットが悪いのか、いや、たぶん易きに付く人間の性なんだろう。このままだと「マトリックス」の世界のように人間はコンピュータに敗北し、家畜になる運命なのかもしれない。

それでも僕は泣き寝入りする-君はシングルマザーの恋人のために400万援助できるか

inotoru.blog.fc2.com
 一般論としては猪野さんの言うことは全く正しい。さすが、ろくなのがいないTwitter弁護士(=法クラ)の中にあって、私の中で「抱かれたい弁護士ランキング」首位なだけのことはある。
 ただ、私の個人的な感情は別にある。この騒動、他人事だと思ってたが、よく考えたら30代独身男性としてはわりと近いところにあった。
 なぜなら、同年代の女性と付き合うとなったら中高生の子供がいる可能性もあり、その場合学費の話は出てくるからだ。
「元カノのために一括で400万出せるか」となるとだいぶハードルは上がるが、そうではない。年払いの学費であれば、一括で400万ということはない。積み重ね、数年間で400万なわけで、その間は義理の息子のようなものだっただろう。実際、当事者の彼も「今でも感謝している」とニュース記事の中でコメントしていた。
 当事者の女性(母親)は詐欺師とか援助交際などと報道で言われているが、あまりにひどい。詐欺というのは、子供がいないのに嘘をついて学費を取ったりすることを言うのだ。使途に嘘はない、純粋な援助だ。奨学金のブラックさも最近問題になっている。仮に奨学金が利用できても、若者に借金を背負わせて社会に出すのは可哀想だ。
 この件、非モテゆえにさらに身近になってしまう部分がある。フラれるのはキツいし、騙されたという気分になるのもわかる。400万はたしかにキツい。だが私は、猪野さんの記事にも引用されていた小林よしのりさんの意見に近い。
 今はもう縁もゆかりもない存在になってしまったが、一人の若者を世に出したのだ。それもしょうもないFラン大学ではなく、一流大学。胸を張っていい。いい意味で、「ワシが育てた」と言える関係性だ。
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 ツイートは冗談っぽく書いたが、結論は同じ。それでも僕は、泣き寝入りする。もちろん懐事情にもよるが、男たるもの、そうあるべきだ。くだらんマッチョイズムという自覚はあるが、そう思っている。