うたうポリゴン

魔王K++(ケープラ)のポータル兼個人ブログ

能力主義へのスタンスはその人間の素性を丸裸にする

 サンデルの新著で、能力主義が話題である。レビューは以下に詳しい。
davitrice.hatenadiary.jp
『これから「正義」の話をしよう』でも能力主義は批判していたし、10年たってサンデルがこの方向に行ったのは自然に思える。たしかに結論部分があっさりしすぎで(書店で確認して驚いた)、このレビューに限らずよく耳にする「問題提起・批判で終わっている」という指摘は妥当なものだろう。とはいえ買って全部読んだわけではないので、本書については深入りしない。自分で考えてみる。

 いわゆる勝ち組、高年収の人間ほど能力主義を肯定する。そして逆なら否定、敗者に同情的になる。サンデルのような社会的には十分勝ち組の学者が否定できるところに、尊さがある。凡人はこうはいかない。ただのポジショントークにしかならない。
 ここまでは当たり前だが、年齢・将来性も大きく関わる。10代、20代の人間はまだまだ尖っているし、野心・夢があるので肯定しやすいだろう。上野千鶴子の東大スピーチは多くの学生がムッとしたに違いない。若いうちに最大限努力して、成功を目指すことはいいことだ。
 だが一方、枯れてくるというか自分の限界が見えてくる40代以降になると、諦めが出てくる。多くの人間は中年になり「敗者が確定」する。その際に大切なのは、ルサンチマンをこじらせずに、折り合いをつけていくことだ。自分が惨めな思いをしないためにも、上を見ることは諦め、能力主義からは距離を置く必要が出てくる。

 私はというと、本業(IT技術者)でもネットの言論でも、たいした結果を残せていない。完全に負け組である。一方で、それなりの年収は得ているし、ありがたいことにコロナ不況下でも仕事を続けられている。平々凡々、という立場だ。だから「勝者は傲慢に、敗者は憎悪を」と否定的になるサンデルの主張もわかるし、今自分が仕事できているのも、運・環境が大きいという自覚もある。
 もうだいぶ前だが、ネットで知り合ったある若手の同業者に、こんなことを言われたことがある。

「ケープラさんって、『すごい技術者』ではないじゃないですか」

「お前、10年以上やってる先輩に…」と私はその時ムッとしたのだった。彼と一緒に仕事をしたわけでもないし、単純にナメられていただけだったと思う。どちらにしろ悪意はなかっただろうし、この時の文脈は「本とか出してるような、すごいIT業界の有名人」という意味だった。その点ではたしかに、間違っていない。
 しかし私は、この一言が今でも忘れられない。この先もずっと「すごい人」にはなれないんだろうという敗北感がある。
 恋愛も能力主義である。「すごい人」になれないままただ老けていくオッサンなど、モテないままだ。それを受け入れて、引き受けてこの先の人生をやっていくしかない。
 だから、今回のサンデル本に否定的な人は、勝ち組か、まだ若い=勝てると思ってるかなのである。そうでない人は、たしかになあと唸ってしまう。ネットは基本的に匿名だが、今回のような能力主義への言及で、そいつの価値観と人生がある程度わかってしまう。勝ち組であっても落ちこぼれた経験や、挫折経験があるかも大きい。単純に謙虚か、他者へのやさしさがあるかも。既婚か、恋人がいるかも関係するだろう。

 このレビューでは直接触れていないが、『鉄人兵団』もそういう映画だった。競争社会が行きすぎた結果、恐ろしい集団になってしまったメカトピア星のロボットたち。
maoukpp.hatenablog.jp
 前回記事で酷評した『新恐竜』も、ネオリベ能力主義まっしぐらの映画だった。
 じゃあ共産主義ならいいのかというと、もちろんそんなこともない。人間はその時々、年齢や立場で、能力主義へのスタンスを変えながら生きていくしかないのだろう。若い時から能力主義を否定していたら何も頑張れない人間になってしまうが、いい歳になってそのままだとしんどいことが増えてくる。後進の指導もシバキ一辺倒になってしまう。

 まとめは特にないが、「能力主義に不用意に言及すると身バレするので気を付けよう」となる。

追記:続編のようなもの
maoukpp.hatenablog.jp