うたうポリゴン

魔王K++(ケープラ)のポータル兼個人ブログ

少年ジャンプ編集部のジェンダー観が終わっている件

 性的表現の世間への影響と言えば、「ハレンチ学園」のスカートめくりが有名。
jin115.com
スカートめくり - Wikipedia
 別にセクハラや性犯罪のすべてが漫画のせいなどと言うつもりはないし、今、過去の作品を断罪する気もない。広義の男尊女卑、具体的にはセクハラ文化という世相があり、それが通る時代だった。
 時代は変わった。昔のままでいいわけがない。少年漫画などの「全年齢向けエロ」表現は女性蔑視の拡大再生産の役割を果たしており、その影響力は軽視できない。今の子供の教育うんぬんより、既得権益を守ろうとするオタクたちこそが、これらの悪影響を受けまくった成果物と言っていい。
jumpmatome2ch.net
 これはあまりにも悪ノリがひどいし、無用のヘイトを集めているだけで商売上も無益である。少年ジャンプ編集部は90年代で時空が止まっているのではないか。連載作品云々よりも、2017年の女子トイレマーク事件にしろ、場外で炎上している。まずは作品・漫画家よりも、この編集者たちを批判したい。
maoukpp.hatenablog.jp
 お笑いの世界は、徐々にではあるが変わってきている。テレビなどは大勢が関わるし、世代交代も起こるからだろう。出版社は社員は少ないし、一つの雑誌の編集はせいぜい20人くらいの集団でしかないからサークルのようなノリでやっているのだろう。社会的影響力の強いマスメディアの人間として、あまりに無自覚。
 新聞・テレビなど報道系メディアのヤバさはネットでもよく叩かれるが、ライター、作家デビューしたいという下心がある人間が多いため出版社など表現系メディアはあまり叩かれない傾向にある。この風潮は本当にダサい。
 少年誌・青年誌という区分けは「作風がダークか、大人向けか」で分けられているだけで、性的表現はほぼ考慮されていない。要するにゾーニングが機能していないのでまずここを見直す必要がある。そして編集長一人の責任にしないためコンプラの部署を作り、社内監査もやったほうがいい。

 今回直接の炎上は展示イベントだが、連載作品という土台があってこそ。
maoukpp.hatenablog.jp
 この記事の続きでもある。以前は「表紙でゾーニングを」と主張したが、今回は内容にも踏み込む。
 フェミニズムというか性的問題は、ネット特にTwiterでは上澄みだけをすくった「論破厨」のための議論になりがち。いや、そもそも議論ではないのだ。あるべき理想社会を語っているだけで、論破するしないの話ではない。法的・歴史的根拠を持ち出すこともできるが、所詮は価値観の違い、論破厨の言う「お気持ち」である。


 今回の件ではこのツイに反応が多かった。「許されない」というワードが刺さったのだろう。もちろんこれは社会通念上という意味であり、法制度的にどうこうではない。
 一番多かったのは「許すかどうかお前が決めるな」「お気持ち」という反応。これについては「オタクのお気持ちなぞ知らん」で終了。「お気持ち論法」は、すべて自分に返ってくる。

反応1:「ゆらぎ荘は熾烈な読者アンケートで生き残った作品!」

 何もかもズレている。そんな話はしていないし、今回怒っている人たちはアンケートとは無縁である。

反応2:「エロい少女漫画もある!」

 比較にならない。単純に部数だけでも「りぼん」の例で言えば90年代の全盛期は100万部超えだがジャンプは600万超え、近年は1桁違う。さらに、逆ハーレムやBLなど対男性性消費型でなければ対抗馬として成立しない。女性がBLなどの影響で男性にセクハラする例はきわめて稀。
 もちろんゾーニングの観点から言えば、女性向け男体エロも同様に規制すべきだと考える。ただし、まずは影響力のでかいところから、そして社会のマジョリティを占める強者(男性)側から行うべきだ。
 この反応2の混ぜ返しは「女性専用車両男性差別だ!」という屁理屈に似ている。実際法的根拠はないし、鉄道会社のルールでしかない。一見すると正しいが、社会状況を総合的に判断すればそうではない。痴漢被害があまりにも多い=女性の人権侵害がひどいからこうなっているし、世間の理解も得られている。だから表現も、法的規制は慎重にならねばならない。

反応3:「ジャンプは昔からエロかった」

 ツイで書いた通りだが、昔からあったんだからセクハラやパワハラが許されるという道理はない。オタクは老害そのものの主張をしている自覚があるのか。
 むろん男向けのエロい作品はあっていいが、既に書いたように漫画界における少年誌というメインストリームに堂々と載っていることが問題なのだ。


 さて、最後に余談。漫画に限らず性的表現がなくても、男性作家による女性蔑視が表現に出てしまうことは往往にしてある(それが原因で創作物が楽しめなくなってしまう女性もいる)。どうしても女性キャラクターを物のように扱ってしまうのだ。そこに人格はなく、作中の男性キャラ・男性読者にとって都合のいい記号でしかない。
 長期連載で絵柄が変わることは珍しくないが、このような「モデルチェンジ」まで起きてしまう。
oreno-yuigon.hatenablog.com
 ワンピースという大メジャー作品でさえこうなのだから「表現の男社会」は深刻である。作家も編集者も、変わらねばならない。