うたうポリゴン

魔王K++(ケープラ)のポータル兼個人ブログ

今こそ、喪女やBKOの話をしよう-女性向け非モテコンテンツ不足

インセルの衝撃

 まずはこの魂の叫びを聞いてほしい。
note.mu 
 誰も語らなかった「インセル女」という存在、そしてフェミニズムへの不信…衝撃的な内容である。ネットでも本当にこういう言説は少ない。あっても発信力がない。Twitterの女性アルファは絶対こんなこと言わない。
 同じ「非モテ」でも、男女で圧倒的に違う。ネットの(男の)非モテ論がなぜ「女をあてがえ」のようなイカれた方向に行くのかはたしかに謎。男性性による攻撃性だろうか。

 ネットでも圧倒的マイノリティの非モテ女性、5chには「もてない女」板というのが昔からあり、喪女と呼ばれる女性がここには生息している。代表的なスレッドを紹介する。
medaka.5ch.net
 喪女の定義は諸説あろうがこのスレの152に

15~25歳のボーナスステージに誰からも愛されなかった女だけが喪女を名乗れ

 とあったように、このあたりが有力と思われる。タイトルにもしたBKOとつながるというか、ほぼ同義だ。BKO(ブスでカネのないオバサン)とは、KKO論争の時に私が編み出したワード(キモカネに対するブスカネ)で真の弱者だと主張したが、さっぱり流行っていない。

 このツイでも述べたように、男にとって女性の非モテ層はインビジブルである。「女の人生はイージーモード」的言説がいかに偏った視野でしか語っていないかわかろうというもの。それ、美人限定の話ですから!残念!(ネタが古い)。
 逆に「男の非モテはイージーモード」と言えよう。リアルの友達と共有できるし、友達がいなくてもネットで女を叩けば簡単に仲間が見つかるコンビニエントな時代である。

女社会のルッキズム

 なぜ、女性の非モテは可視化されにくいのか。

  • 絶対数が少ない(男の非モテは学校のクラスに数人程度いるのに対し、女性は学年に1人程度)
  • 非モテ女性は男性にくらべリアルで語ることがなく連帯もしないし、ネットでもあまり発信しない
  • 上記の理由として、ルッキズムによるヒエラルキーが女子には存在し、同性間でも生きづらい(男の場合は足の速さ、喧嘩の強さが重要で容姿はほぼ関係ない)。
  • 一般社会でもネットでも影響力のある女性は、すべてモテる側(例外は一部の女芸人くらい)。仮に喪女が発信したところでウケない

 さて、4月にうちゅうリブで本田透電波男』読書会を私の主催でやったが、
uchu-lib.hatenablog.com
 実はこれとも大きく関係する話なのだ。男性向けの非モテコンテンツに女性の愛好家がいることに、以前から私は興味があった。この歪んだ、ねじれたファンは一体なんだろう。
 あえて名指しするが、『現代思想』2月号男性学特集の「生きづらい女性と非モテ男性をつなぐ —小説『軽薄』(金原ひとみ)から」を書いた貴戸理恵さんのような。ちなみにこれもうちゅうリブ読書会があった(第9回「うちゅうリブ」実施報告 —『現代思想』男性学特集読書会— - うちゅうリブ)。貴戸さんの記事は、男性非モテ論と生きづらい女性(金原ひとみさんの小説)との接点を語るエッセイだが、正直内容はどうでもいい。「男性非モテ論の女性ファン」という属性が重要なのだ。

 彼女のような非モテ論ファンは喪女なのだろうか。違う。私が非モテ男だからわかるが、当事者が異性の非モテコンテンツに共感する道理はない。
 本気で非モテコンテンツの著者や登場人物に同情したり、向き合う気もない。要は「ポメラニアンが吠えていて可愛い」的な、高みの見物をしているのだ。自分の生きづらさを部分的に非モテ男に重ねて楽しんでいるだけで、全く的外れな相似というほかない。非モテ男性の対になり得るのは、非モテ女性である。
 私はミソジニー全開なネット論客を支持している女性を「あてがわれガールズ」と揶揄しているが、これとかなり近いメンタルである。なぜ彼女たちは女叩きが平気なのかというと、叩かれているのは「主流派の女」であり、生きづらい系の自分は「反主流派の女」、そこから「敵の敵は味方」論理が働くのだと思われる。

 話を戻すと、金原ひとみさんの小説に限らず、生きづらい系女性を描いた小説や漫画はあるが、その登場人物は別に男に困っているわけではない。「男向けフィクションでは女性は美女しか出てこない」とよく言われるが、実は別の意味で女性向けもそうなのだ。小説の場合はメンタルは色々だが、多くの少女漫画がそうであるように特に外見は美女しかいない。
 なんという残酷な、ナチュラルなルッキズムであろうか。「だめんず」的な自虐・愚痴コンテンツは多いが、これも結局恋愛経験ありきである。喪女にとってはそれすら自慢でしかない。(フィクション、恋愛以外の)ダメ人間系コンテンツも、女性向けは圧倒的に少ない。
 酒井順子『負け犬の遠吠え』もダメ人間コンテンツではあるが非モテ女性を無視しており、女性向け非モテコンテンツでは決してない(こちらの記事に詳しい。-憂鬱なプログラマによるオブジェクト指向日記 過去ログ-)。

女性向け非モテコンテンツが売れ筋になれば救いがある

 ブスは(フィクションですら)存在を許されない。だから生きづらい。それは男の不細工の比ではない。圧倒的な社会的弱者であるのに、語られない。真のマイノリティの過酷さ-といったことが今回この記事で私が一番言いたいことで、これは今まで書いてきた弱者男性論に対する批判の続きでもある。やや女叩きみたいになってしまったが、それは本意ではない。

 男性向け非モテコンテンツの女性ファンに対し、私はひじょうに嫌悪感が強かった(男性フェミニスト嫌う女性フェミニストのようなものかもしれない)。とはいえ、彼女たちがなぜ愛好者になるのかというと、女性向け非モテコンテンツが不足しているからだ(もっとも彼女たちは非モテではないのだが…)。
 本来はもちろん、喪女のため。最近は少し増えつつある。
honcierge.jp
ddnavi.com
pro.bookoffonline.co.jp
 他にも、能町みね子さんのエッセイ・漫画もここ10年くらいなので最近と言っていいだろう。時代の流れなのか、女性の非モテが盛り上がるのはいいことである。

 長々と書いてきたが、最後に触れねばならないことがある。男が喪女を語る上で最大の弱点である「じゃあお前は喪女、BKOを選んで付き合うのか」という問いが存在する。
 これについては、「選びません」と正直に告白しておく。「研究対象として光を当て向き合うことと、個人的に付き合うかは全く別である」という無残なオチで終わる。そこは女性の皆さんが連帯してください。フェミニズムの管轄なのかは知らないが。