今回の言いたいことはほぼこれだけなんですが。
弱者男性論も表現の自由もオタク差別反対もすべてお気持ちに過ぎないのだが、お気持ちバスターズにはその自覚があるんだろうか。
— ケープラ K++ (@maoukpp) June 4, 2018
なんでもかんでも「お気持ち」と言っておけば勝ったつもりになれるこの風潮、ダサくないですか。自分が気に入らない主張や著作を雑な一言で斬る、魔法の言葉です。使用者の底が知れて、全然魔法じゃないんでけど。
フェミニズム叩きにしろ、「セクハラはお気持ち」「公共の福祉もお気持ち」というのがTwitterのオタクにありがちな主張ですが、それは冒頭のツイの通りそっくり自分に返ってくる。
トーンポリシングの変形で、喜怒哀楽を出さないほうがインテリに見えるというTwitter論客しぐさがあります。そこと過剰にマッチしてしまった。社会学をはじめ人文科学軽視、科学的な論理・エビデンスがすべてだという思考はオタクウケがいい。
なんであれ強い想いが人を動かすし、道徳はもちろん法律や制度だって「お気持ち」の積み重ねでできたもの。人類がお気持ちと完全に無縁になるのは1万年早い。「ターミネーター」のように、AIが支配する世の中じゃないんだから。
この「お気持ち」マウンティング、要は自分と敵対する主義思想や属性・思考を叩いているだけで多くは中身がない。いや「そうなってしまった」というべきで、ネットで流行ったワードは、まれに広辞苑に載ったりする本物を除けば以下のパターン。
- 発信力のあるアルファが使い出す
- 取り巻き・界隈で流行る
- 外部にも広がっていく
- 頭の悪い人に安易な使われ方、乱用をされる
- 廃れる
初出が誰だったか記憶がないし、あまりにも汎用的なワードのため検索もしづらく不明です。「論理的であるべきところを感情論」みたいな当初の意図まで否定しません。maoukpp.hatenablog.jp
以前、この記事で「実家が太い」というワードを批判しましたが、最近はあまり聞かなくなりました。「お気持ち」も既にフェーズ4まで来てしまった、というだけの話です。
過去の発言を掘るまでもなく、私も前回の記事でも私も使用していますしたしかに使い勝手がいい。文脈の中で使うことは否定しません。ただ、使い方によってはものすごくバカに見えてしまうので、要注意ですね。
以下、オチというかおまけ。
問. 本文を5字以内で揶揄・要約せよ(2018年・優羅志亜大)