兵庫県知事選挙で斎藤元彦が当選した。今回の選挙は一言で言うと、立花孝志という扇動家による勝利である。まさにパブリック・エネミーであり、国家や警察が今後彼のような存在とどう向き合うかが問われる。しかしそのことは本題ではないので深入りしない(マストドンや記事時点最新のツイキャスでは触れている)。
この動画を見て、色々考えさせられたのであった(長谷川さんは音楽教育学者であり、あくまで雑談動画)。
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「自分も他人も全体として国民や県民であり、『バカ』を排除することもできない」、「投票まで議論でやり合うのはいいが、結果特に他人に文句を言うべきではない」という長谷川さんの言うことは、客観主義や素朴な道徳論として全く正しい。
選挙があると、「○○県民はバカ」、「○○支持者はバカ」といった反応は魔界(Twitter)でおなじみの光景である*1。八王子市の萩生田など。その最たるものがトランプ当選だった。トランプ1回目の当選の時から「民主主義の終わり」などと言われて既に久しい。以下のように、「トランプ支持者はバカ」と誰かが言うとよく「リベラルが差別している」みたいな反感を買う。
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「○○支持者からは選挙権を取り上げろ」なんて意見も出たりする。逆に、「○○県民として恥ずかしい」という自虐もある。ともかく、選挙結果に対して熱量のあった人ほど怒りのコメントを出すことは多い。怒り=負けたことであり、その原因は自分の支持者の票が伸びなかったこと、対立候補に投票した人間が多かったことである。怒り「だけ」を表明することは問題ないのかもしれない、しかし「残念です」や「絶望しています」と「○○投票者はバカ」とは地続きであり、区別はできないと考える。もちろん、候補者陣営の当事者がそんなことを言うべきではないし、ニュースキャスターなど公平さが要求される立場の人も言うべきではないだろう。
まず法的にどうなのかを考えてみる。「○○支持者はバカ」はヘイトや差別にあたるのか。当たらない。投票行動は生来の、不変の属性ではないし、見た目では誰が誰に投票したかなどわからないからだ。魔界(Twitter)でよくある「ネトウヨ呼びは差別」とかいう開き直りが無効なのと同様だ。個人名を出さない限り、名誉棄損や誹謗中傷には当たらない。
次に、道徳的・道義的だが、これは既に述べた通り。他人を罵ることは基本的にはよくない。リアル、居酒屋などで大声で言うとトラブルになりかねないので、控えた方がいいだろう。
最後に正義の話だ。これは一種の「正義の暴走」なのだと考えてみてわかった。社会において許容されるべきか、どの程度有害なのか。より分断を煽る形になってしまうという点では、害があるかもしれない。しかし、多くの場合それ以外に表現のしようがないのだから、ある意味苦渋の選択である(たとえば家族や親しい人間が陰謀論にハマったら一生懸命説得するだろうが、マクロな発信レベルでそこまで丁寧にする義務もない。テレビなどのコメントの場合、尺もない)。
もちろん、程度問題ではある。毎回すべての選挙区や選挙に怒りまくっている人は危ない。しかし、明らかにこれは……という人が当選してしまった時、怒りもまた人間の自然な感情である。それがトランプであり、萩生田であり、斎藤であった(未遂では都知事選挙の石丸や暇空茜)。要は相手次第というか、「ライバルたりえない」相手に負けたら腹は立つ。しかしそのライバル認定もまた、政治的思想や正義によるところが大きい。数値化できるものでもない。これといった落ち度はなくてもタレント候補が当選したり、あるいはその後政務官になったりして怒る人もいる。
政治的正義を持つかどうかは個人の自由である。なので私は長谷川さんの意見は尊重したい。客観主義を貫く、あるいはノンポリであり続けたいのならこのスタンスでいいというか、中途半端な言及はやめるべきだ。たとえば「ノンポリ」を自称しながら「トランプ支持者はバカ」と言うのは矛盾している。
ありがたいことに、民主主義の選挙結果というのは永遠ではない。任期があるし、不祥事や不信任案などで辞任することがある。選挙が終わっても、その瞬間に次の選挙戦がもう始まっていると言ってもいい。なので文句は言っていい、というのが私の主張である。そう、「○○支持者はバカ」は、「○○は今後も支持しない」という政治的主張・意見表明なのだった。ではその意見表明はしていいのか。それは当然、言論・表現の自由である。「勝者=権力者」の悪口が自由に言える社会であるべきであり、言えなくなったらオシマイである。魔界(Twitter)の議論が全く不毛なのかというと、そうでもない。「ネットの声」もまた世論の一部であるし、○○本人にとっても、自分のアンチがどれくらいいるのか可視化できるのはメリットでもあるはずだ。
なので、こう言ったらいい。「私は民主主義や個人の自由を尊重するし、選挙結果である民意には従う。しかしそれでもやはり○○は支持しないし、○○支持者はバカだと思っている。それが私の正義・信念であり、次の選挙や今後の政治に対する意見表明である」。私もこれまで同様、全力で「愚民がバカ」(重複)と発言していきたい。