うたうポリゴン

魔王K++(ケープラ)のポータル兼個人ブログ

謝ったら死ぬ教団と若年性老害、そして「会って話そう」問題

 ありがとう32000PV(記事執筆現在)。togetter.com
 これ以降も面白いツイートはたくさんありましたが、まとめとしては完結しているし長くなりすぎるのであえて更新はしませんでした。元々ほぼ自分のTLだけでまとめているので、続きが読みたい方はこちらをどうぞ。
ケープラ K++(@maoukpp)/2018年11月25日 - Twilog
 今回は「謝ったら死ぬ病」というワードでおなじみの、謝れない問題について考えてみます。カリスマ・無謬の人として教祖に謝ってほしくない信者、そういう信者の手前余計に謝れない教祖、もし教祖が謝ったら絶望発狂する信者—これらの相互依存関係を「謝ったら死ぬ教団」と今回私は名付けました。鶏が教祖で卵が信者、みたいな。
 昔はそうじゃなかったのに、「謝ったら死ぬ病」を批判し、バカにしてきた人間までもがそうなってしまう。実年齢が若くてもネットなどで取り巻きができて偉くなったと勘違い、増長し老害化することを「若年性老害」と以前から私は呼んでいます。今回の謝れない人(教祖)は、この合併症でした。

 その件の続きですが、一応一般論のつもりで書いたツイートに想定以上の反応がありました。


 特に加害者サイドが「会って話そう」と言ってきた場合は危ない。泣き落とし・土下座戦法でくるか、逆に恫喝してくるか。いずれも和解条件を値切ったり踏み倒す目的です。
 件の人がどうだったかはともかく、リアルかつ1:1(または相手が一人)なら謝れるという人はいる。録音でもしない限り、記録が残らないから。会議みたいな公の場所では絶対に謝れない人、会社組織で働いていてもたしかにいる。メールやLINEでしか謝れないとか。
 どうも「謝りにくいランキング」のようなものが人それぞれあって、得意な方法で謝ろうとする傲慢さが人としての信用を落とすことになるのだなあと。謝る側が何条件つけてんだっていう。プライベートな個人間の喧嘩ならそれでもいいでしょうが、TPOをわきまえないといけない。
 ネットでは「公」という概念がない人がけっこういるが、営利・ビジネスがからんでなくても公になってる案件で自分に非があった場合は素直に認め、謝罪するのが大人というものだ。その相手は一生許してくれないかもしれないが、それが自分の信用を守ることになる。情けは人の為ならず。
「学級会で形式的に謝れば全て水に流す」という学校教育もよろしくないが、それすらできないのは最悪。今こそ、謝り方のマナー講習が必要だ。こんな能力を、持って生まれた資質とか才能にしてくれるな。教育・更正の力を信じたい。現代のインターネットにこそ、金八先生が必要だ。

なぜゲームの主人公はモテモテなのか、ヤリチン放題でも許されるのか

 今回は元ゲーマー・元オタクとして、ゲーム社会学をやってみる。今やJRPGと呼ばれるギャルゲー化したRPG全般がそうだし、特に18禁のエロゲー・エロソシャゲなどに顕著。物語性のあるゲームすべてと言っていい。なぜ、ゲームの主人公はたいしたことをやっていないのにモテまくるのか。我々はその謎を解き明かすべくジャングルの奥地…ではなく室内で改めてゲームをやってみた。
 本稿では「商売主義で男性プレーヤーに媚びている」なんていう正当な主張はしない。そんな浅ましい、俗物が喧伝する社会評論は聞き飽きた。これだけ多くの「世界」で共通する事象なのだから、似た社会モデルが採用…いや報告されている。そしてそれには、何か根源的な理由があるはずだ。何か。
 改めて、ゲーム世界における主人公の特徴をまとめてみる。

  1. たいしてハイスペでもない主人公が
  2. (ゲーム上)当たり前の指示を出しているだけで
  3. 神リーダーとして崇められ、モテまくる
  4. さらには部下(仲間)に手を出しまくるヤリチンぶりでも組織が破綻するどころか、むしろ絆が深まっている

 18禁もので4番目が加わるかどうかが違うだけで、これは現代ほぼすべてのゲームに言えることである。しかも驚くべきことに、作中では世界を救うくらいの有能な人材が集まっているのに、そのエリート集団の中でモテまくるということ。恋愛経験が多そうなセクシーなキャラでさえもそう。我々の現実社会と乖離しすぎていて、気味が悪いくらいだ。なぜこうもチョロいのか。

 主人公の容姿・外見描写がない作品も多いが、あっても作中で異次元なイケメンということはまずない。明らかに「人格」でモテているのだ。
 少年ジャンプのエロ漫画(不可解な日本語)「終末のハーレム」のような、男性が極端に少ない世界でもない。エロゲー・エロソシャゲでは男性登場人物が少ないが、モブキャラ・人口レベルで男性が少ないというわけではないからだ。
 では、(多くのキャラが)清楚なテイで実は皆ビッチなのだろうか? それはない。あんな性格のいい子たちがそんなわけはない! ……ついオタクとして熱くなってしまったが、仮にそうならもっと寝取られも発生していなければ説明がつかない。前述の通り、男性が主人公以外存在しない世界ではないのだ。貞操観念は普通にある世界だと見ていい。

 紙幅の都合でエビデンスは省略するが私の考察をまとめると、現代日本とくらべて、ゲームの世界は以下のような文化的背景がある。これは仮説ではなく、圧倒的真実であり統計的真実なのである。

  • 男女問わず、コミュニケーション力、特にマネージメント能力が絶望的に低い。よって、当たり前の気配りや指示をするだけで神リーダーになれる
  • 恋愛市場において、男の(人格)レベルが壊滅的。したがってごく普通の主人公が、超絶やさしくていい男となる
  • 上記の理由として、不倫が異常に厳しく断罪される。まともな男性もいるがすぐ既婚者になってしまい、手が出ない
  • やけに恋愛経験が少ない子が多いのは、それをよしとするカフチョーセーが異常に強い社会だから。なぜか作中には登場しないだけで、フェミニスト運動が盛んという裏設定が実はある
  • 女性たちに「一流の男の2番手3番手>>>>(超えられない壁)>>>>しょぼい男の正妻」という意識=闇の一夫多妻制がある。作中の家族設定などから表向きは一夫一婦制だが、その裏には一夫多妻制が横行している。あるいは恋愛状態においては一夫多妻状態が許される慣習がある。どんなモテ男でもあんなヤリチンぶりでは、仲間の嫉妬を買って組織が崩壊するはず。それがないのは、女性たちが許容しているから。主人公は単なる浮気ではなく、組織内の女性を「平等に愛する」という擬似的な一夫多妻制を体現しているため問題にならない

 ゲームの世界は現代日本とは大きく違う。さあ今日も、我々の常識が通用しない異文化コミュニケーションを楽しもう。ゲームをやると文化人類学社会学の勉強になるので若い人は覚えておくように。

 おっと、イベント周回の時間だ。狙ったキャラを当てるまで、課金ガチャも厭わない。それが私の信念だ。そして好きなキャラは無意味な上限強化をしないと気が済まない。廃人・依存症だと笑いたければ笑え。賎民に私の高潔な理想などわかるものか。
 二次元(+声優)こそが至高の美であり、それ以外はすべてまがい物なのだ。それがオタクの真実。二次元よ来たれ、三次元よ去れ。

お笑いリベラリズムの台頭

 珍しくテレビ、お笑いの話。ライブに行くほどではないが私は昔からお笑いが好きである。昔はテレビ、漫画、ゲームしか娯楽がなかったので、ナチュラル・テレビっ子。
 とんねるずダウンタウンを見て育ち、おそらく一番お笑い芸人に憧れた世代と言えよう。私がボイトレ評論家としてものまね特番が好きなのも、その延長である(なので、ボイトレ系若い世代の無関心に驚いている)。
 今年はとんねるず冠番組が終わったり、節目の年でもある。パワハラ、セクハラ・ミソジニーの笑いがウケなくなり、時勢を無視できなくなった。そうは言ってもテレビはアラサー以上世代向けのもの、演者もスタッフも40代が主力なので、そこの価値観が強いのはもちろんある。が、それでも確実に変わりつつある。
 今回の記事のきっかけは、お笑い芸人「三四郎」の記事。
bunshun.jp
 三四郎・相田さんの言う、パワハラ、いじめ的な【「つらいお笑い」の概念がないんだと思います】…素晴らしい考えだ。全否定はしないが、そういう笑いが主力の時代じゃないという考えだろう。
 私はこのようなイマドキの芸人の考えを「お笑いリベラリズム」と名付けたい。全体的に、同世代の芸人でも関西の方が保守的な感じがする。関東芸人でも5歳上になると、まだまだとんねるずチルドレンという感じ。

 レコーダーに残っていた2016年2月4日放送のアメトーーク「オリラジ同期芸人」を改めて見返してみた。この回は11年間の栄枯盛衰、下克上がすごくて単純に面白い回だが、私はこの世代の芸人たちとほぼ同い年なのでより親近感があった。
 面子はオリラジ、はんにゃ、フルポン、トレンディ、ニッチェ、三四郎。私は今回、彼らの共通項に気付いた。それは、「基本的に(目下の)他人を攻撃した笑いを取らない」ということ。「誰も傷つけない」サンドウィッチマンが最近評価を上げているように、時代のトレンドはこちらなのだ。
 番組内でニッチェが、「オリラジと4人でロケの企画があったが、全然笑いが生まれなかった」というエピソードトークをしていた。曰く、まず登場時の衣装でブスいじりをしてほしかったが、オリラジ中田「俺たちは女性にブスとかあまり言わないから、普通にいいねって」。
 私はこのロケの放送を見てないが、どうだったんだろう。派手な笑いはなかったかもしれないが、別に悪いものではなかったのでは。安易なブスいじりの方が、もう、古いのだ。
「女芸人は、ブスであらねばならない。美人は芸人から引かれてしまい、腫れ物扱い」というお笑い業界のミソジニーは昔からひどい。女芸人もその呪縛に苦しみながら、「ビジネスブス」をやっている。最近では、推測だが女性プロデューサーが増えた結果、クソ面白くもない逆セクハラ芸が増えたりしている。だからテレビが若者から見放されるんだよ。
 でも、私と同年代以下の芸人・スタッフがこれから主力になっていけば自然と変わっていくのではないか。絶対的地位を築いたかに見えた老害もいつかは退場し、時代はゆるやかに動いていく。

 アメトーークなどでもちょいちょいパワハラミソジニーが顔を出すし、観覧の若い女の子がそれを笑って受け入れているのを見ると暗澹たる思いになる。が、これは強者に染まってしまうだけで仕方がないことなのだ。
 観覧の女の子も、センスのない女性プロデューサーも男社会の犠牲者。そのうち気づく。地獄のようなインターネット男女沼を見ていると絶望するが、あんなものは世界の一部。リアルの方がはるかにましで、前向きになっていい。三四郎らオリラジ同期芸人たちに、そんな希望を感じた。

コンビニエロ本問題は公共の福祉案件である

 改めて、コンビニのエロ本(成人誌)問題について考えてみます。

 2017年の千葉市ミニストップの件も、私は当時から支持していました。あれは元々「カバーが(コスト的に)不可能なため全面撤去になった」だけで本来の目的はゾーニングでした(下記記事にもあるように大阪堺市ではカバーゾーニングが実施されている)。
www.nippon.com
 ついこの間も ananセックス特集で物議を醸しました(この記事公開後には書店でのラノベ表紙問題…何度目?) ちなみにこのツイはある有名アカウントとの議論がツリーになってます。よければどうぞ。
 この件に関して、ネットで散見される(三流)フェミニスト女性を私は支持しません。敵に回ります。
 曰く、女性の欲望は自制できているだとか、普段抑圧されている側だからいいんだとか、あくまで性の教科書だとか、性暴力・加害コンテンツではないとか…。

(゚Д゚)ハァ? 「きれいな核兵器」かよ!

一般誌の面をかぶったエロ系も含めすべてゾーニングすべき

 明らかにイケメンを性的消費してるだろ。はい、実際に私はあの表紙を見て嫌な気分になりました。イケメンしかセックスできないみたいな圧力を感じる。そんな教科書があるかっ。人権意識のない怨念系フェミニストにありがちだが、自分がやられて嫌なことを男に「倍返し」、半沢直子してる場合かと問い詰めたい。

 たしかに「子供に見せたくないから」「子供の教育に悪い=性消費価値観を再生産する」という理由だけでは弱いというか、子供を盾にしているようで卑怯。性的表現ゾーニングの根拠は、環境型セクハラだから。
 大人でも当然、女性は嫌な気持ちになる。男の私ですら、朝っぱらから見たくない。今回のようなイケメンポルノやBL雑誌がコンビニに並んでいたらと思うとぞっとするし、女性の心痛は察するに余りある。私はフェミニストだ。
 たとえ法的に問題なくても、公衆の面前で全裸になったりセックス始められる人は少数派。それがすべて。屁理屈を抜かすな。
「全年齢向け」少年漫画誌も表紙でたまに物議をかもすが、これらは「表現のチキンレース」と呼ばれている。エスカレートしていく出版業界によるソフトポルノ氾濫は大きな問題。一括したゾーニング対策に国・自治体は踏み切るべきである。ジャンル問わず見出し含めた表紙がすべてで、内容などどうでもいい。週刊文春・新潮のような表紙なら完璧。
 もちろん出版・表現の自由はある。エロ表紙本をコンビニや、書店でも入口付近の目立つところに置くなというのが私の主張。これは完全に小売側の対応次第で、エロ表紙本が陳列されづらくなり「販促に不都合」となれば出版社も自重するしかない。

そもそもコンビニは、誰のものなのか

 私は30代で、東京出身。30年前というと1988年。私の成長と共に、90年くらいからコンビニはどんどん増えていった(東京といっても広く地域差もあろうが)。「夜遅くまで、弁当からパンツまで売っている」ことが独身男性の喝采を得た。当時は酒を置けると有利なので、酒屋さんがFCオーナーになるケースが多かった(その後の規制緩和で酒は当たり前になった)。
 酒もエロ本も、すべて成人男性向けだった。「よくわからない店」なので高齢者は近づかない。子供はアイスやお菓子を買うくらい。昼休みに外出できない中高生は、朝コンビニ飯を買って行くスタイルが広まった。客単価で言えば圧倒的に、成人男性がメインターゲットだった。それもよそのお店が閉まる夜が稼ぎ時。
 では現代は、誰のものなのか。言うまでもなく、全世代の男女向けである。昔にくらべコンビニには女性誌が増えたし、食料も女性向けの健康志向・スイーツが多い。酒でさえほろ酔い系があるほど。

 主婦も高齢者も買い物するし、各種手続きのために訪れるコンビニ…その定義がいま問われている。今回は良識派フェミニストとして、真っ当なことだけを言ったのでオチとかないです。

ツイ廃引退-リアルでもネットでも、広すぎる場所で「政治」を語ってはいけなかった

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 ここ1年くらい、チャットオンリーの、Twitterという名のネトゲ依存者だったなあと。。
maoukpp.hatenablog.jp
 あれから1年2ヶ月、不満というより不毛さはさらに蓄積していた。最近は
TLを見る→腹が立つ→人の悪口を言う
 というパターンが増えてきた。いや、そればかりになってきてよくないなと自覚しつつもやめられない、まさに依存者状態。このままエスカレートすると、いずれ炎上するまでもなく特定層のヘイト集めて凍結まっしぐら。
 ひたすら攻撃的・露悪的に書いた前回記事も私の本音ではあって、人目というかウケるかなど気にせず、とことん暴走して破滅するのもありと思っていた。ストレス解消で言いたいことを言うスタイル。でもこれ「解消」になってないし、私には一応本業というやるべきことがあり凍結は困る…アンガーマネジメント。
 ひとまず対策として増えすぎたフォローを整理したが、根本的解決にはなっていない。1年前、上記記事の直後にも「平日はROM、日曜だけツイート」を試みたことがあるが、恐るべき依存性で見事に挫折。

依存の鎖を断ち切る、すごいライフハック

 そこで、移住。依存を消そうとだけするから無理なのであって、新たな依存先を作ればいい。マストドンの仕様は上記記事のような私の希望をすべて満たすものではないが、それでも、

  • そもそもの人口がまだ少ない(最大手インスタンスのpawooで40万。Twitterはアクティブユーザーで4000万)
  • 分散型が「とっつきにくい」ため、リテラシーのない人はそもそもやらない
  • したがって、イデオロギー中毒者がまだ少ない。著名人や企業公式垢は存在しないので「つながりすぎない」

 あたりが大きい。個人的には既に移住した知り合いがゼロでなかったことも大きいが。

 ネット論客という扇動家が跳梁跋扈する、Twitter衆愚政治には飽き飽きした。当たり前だが、どちらかというとオールドメディア向けのまともなことをTwitterで言ってもウケない。本来アピールしたい層にはリムられ、敵ばかり増える。これ以上続けても本業(ボイトレ評論家)に差し支えるだけでメリットがない。
 これまでも主張してきたように、ネットから生まれた邪悪な集団が選挙やデモ・社会運動など、リアルに出てきた時は迎撃しなければならないでしょう。しかし、ネットでいくら戦っても扇動家を倒すことはできないし、信者の説得も不可能。男女論で怒り狂っている人を止めることも、私にはできなかった。無力。過去の記事を消したり撤回することはないが、今後は関わるのをやめる。

 それでも、フォロワーが3000くらいいてウケがよければ楽しかったのかもしれない。結局のところ、私は負けたのだ。Twitterでブレイクする才能がなかった。それは認める。逆に言うと、Twitterにしがみつく必要もないわけで何をやっていたんだろう。惰性とはこのこと。

敗者の弁と反省

 元々は、ボイトレ界隈だけでは広がりがないので広く一般層にアピールする狙いがあった。有益な出会いもあったが、弊害も大きかった。そもそもTwitterで「政治」にどっぷり浸かってる人は単なるネトゲ依存者(おまいう)で「一般層」でもないよねっていうターゲットの見誤りもあった。ネットでウケようとすると、どうしてもネット依存者に寄っていってしまう。
 これはTwitterでの大きな反省点。対策として、垢分割・転生では不十分。あのマス・バズり体質では結局また黒い波に飲まれてしまうだろうし、何より気分を変えたい。

 インターネットであっても、「政治」を語ってはいけなかった。「政治」というネトゲに依存してしまう。男女論が特にだが、憎悪・分断の波に飲まれそうになる。リアルだけでは出会えない人とのからみは、楽しい面もたしかにあった。だが、もうお腹いっぱいだ。飽きたし、倦んだ。そして詰んだ。実際「エンドレスエイト」のようなループ、同じことの繰り返しで、最近は自分RTだけで事足りるようになってしまった。
 私はmixiは疲れるほどやらなかったが、なるほどSNS疲れとはこういうものか。しがらみ・人間関係というより、TwitterというSNS全体と自分自身に対して疲れが来てしまった。
 3年、という歳月は以前も書いたが恋愛・転職などでも一つの節目。マストドンには著名人や企業の公式垢などは現状いないし、参入する気配もない。実名の政治家などをフォローしていると支持者とみなされ、それだけで角が立ったりする。そんな「政治」にもうんざりだ。
 note・ブログも育ってきたしこれ以上Twitterをメインにする意味はなくなった。垢削除はしないが、今後は基本botと告知のみ。あとはDM用。RTはすると思うが日常的なつぶやきも全てマストドンで。askなどの質問サイト系もTwitterには飛ばさない。音楽的なことは「声の輪」で、それ以外はマストドンという運用の予定。どうしてもTwitterで発言しなきゃいけない場合はTwitterでやりますが、おそらくそんな出番はないでしょう。

 今後はマストドンという名の冥界で余生を送る。あえてここにマストドンのURLなどは貼らないので、興味がある人は自分で探してください(すぐわかると思いますが)。もっともTwitterと同じようにブログ内に埋め込みもできるので、今後はそうするかも。
 課題もある。Twitterでは嫌いな人間が増えすぎた。これからマストドンに人が増えるということは、当然そっちも増える。これまで以上にミュートとブロックを積極活用し、平和な運用を心がけたい。アンガーをマネジメントしていこうじゃないか。

ネットの権威はくだらねぇww ネット論客なんざ恐れることはないし、それこそが自由なネットを殺す

 ここ半年くらいで、俺はいったい何をビビっていたんだろう、何を忖度していたんだろうという思いを新たにした。
 


「ネットでは」「Twitterでは」有名な論客・アルファをdisるのは勇気の要ることだった。なぜなら、フォローしている人はもちろん、相互フォローの人からも賛同的RTが回ってくる。ひいては、直接持ち上げるような発言も回ってくる。包囲されてるような圧力があった。

 仮に反論するとして、真実としての正しさよりも、フォロワーにリムられるとか、今後もフォロワーが増えないようなムーブをするのが怖かった。一応、ネット民として。フォロワーを増やしたかった身として。
 が。慣れてきたのか、飽きてきたのか知らないが。もはや、今となっては。

くだらねぇww

 の一言に尽きる。インターネットの原点はどこへ行ったんだと。SNSで言いたいことを言って、運営に凍結されるならそれはそれ。またよそのサービスで、自前サイトでも好きにやればいい。それこそがインターネットだろ。
 そもそも、たいした奴らじゃないんだよネット論客なんて。歳もせいぜいアラフォーで俺と変わらないし、ほとんどがたいした学識があるわけでもない。
 作家、評論家、ジャーナリスト…どのジャンルにしても一流どころかプロにすらなれなかった奴らでしかない。芸術の世界で言ったらゴミ。本当に実力・才能があるならジャンル問わずとっくにブレイクしてるもんね。ネットという狭い世界で、「なんとなくすごい奴的オーラを出せるゲーム」のうまい奴というだけの、錯覚。大人の雰囲気力DS。まやかしの権威。
 ネットなんて、所詮はリアルの出涸らししかいないわけで、本当に圧倒されるような人間などいない。フィクション・創作系はまだしも、言論系にはろくなのがいない。…というのがTwitterにどっぷりと3年浸かった人間の結論。信じたくない人間は信じなくていいけど、これが真実だからいつかは気づくでしょう。

1割の過激表現から9割の批判をなかったことにする言論封殺 すごい外交術

f:id:maoukpp:20180813224731p:plainmaoukpp.hatenablog.jp
 前回の続きです。

あれから

http://hyogokurumi.hatenablog.com/entry/2018/08/05/112132hyogokurumi.hatenablog.com
 本日、来未さんは反省文を発表しました。私などに対する「問いかけ」だけが宙に浮いていて、来未さんが何を反省しなければいけなかったのかが見えてきません。最初から「自分と同じジャンルのスポーツで」戦ってなどいない強者相手に、何を忖度する必要があるのか?

8/11追記
hyogokurumi.hatenablog.com
「役目は済んだ」と反省文は本人の意志により削除され、謝罪文が公開されました。ツイートと同じ(1ツイートで済む)文章で、時間がかかった割にあまりにあっけない。正直コメントに困るのですが、今後更新される可能性も考えツイートではなくこちらを上げておきます。
「今後、氏には一切言及しない」そうですが、これが自発的なのかそういう要求があったのかは不明です。この先もずっと。(追記ここまで)

 書評→ブロックから始まった喧嘩の中で一部過激な表現もあったと思いますし(暴力団うんぬんではない)、そこを謝罪するのはいいと思います。
 が。
 今回の件だけでなく、メンヘラ.jp・生きづらい界隈系の記事をごそっと削除…。私が前回記事に貼ったリンクも消滅。発端となった書評のTogeも。さらには別の人が作ったこれも。

アーカイブhttp://archive.is/bvB41
 それだけでなく当該期間のツイート削除&フォロー整理。私もフォロー外されましたが、なんとか条例もびっくりの対応。あくまで「自主的に」とはいえ、正直、ここまでさせるとはドン引きです。
 これらが意味するものは、タイトルにもした通り言論封殺です。批判してきた相手に因縁をつけて、言ってもいないことを捏造し、訴訟をチラつかせて圧力をかける。さらに憶測ですが、交友関係にまでケチをつけたりもする。
 すべてをうやむやにし、誹謗中傷・名誉毀損という既成事実だけが残る。来未さんの記事は、借金玉氏本人だけでなく発達障害バブル、生きづらい界隈、そして出版社への不信感や疑念があったからこそ一定の支持を得られたのです。批判の中には見るべき点も多々あったのに、ちゃぶ台を丸ごとひっくり返すパワープレイ。
「批判的な意見は一切許さん」って、全体主義って言うんですよねたしか。私もあれから借金玉氏には昆虫呼ばわりされたり、(私と過去にバトルした)ボイトレ垢だったら100回くらい垢消ししているであろうダメージを負いました。別に訴えたりはしませんが。 出版社パワーすごい。だからネット言論人は皆、本を出したがるんですねw

三者による卑劣な圧力

 私はあまり、人のツイを自分のブログに貼らないのですが。

 嫌がらせ勢is何? 有名人と喧嘩すると、こういうわけのわからん外野が、事情通()が出てきて圧力かけてくるんですよ。
 ええっと、こういうのを虎の威を借る狐って言うんだっけ。法務が出てくるとかなんとか。ええっと、こういうのをスラップ訴訟って言うんだっけ。まさにヤ…(自主規制)。 仮に訴えたとして、素人意見ですがこんな次元でしょう。この事情通とのやり取りが来未さんの判断に影響があったかまではわかりませんが、誰だって裁判は怖いですよね。影響の有無に関係なく、このようないじめリーダーの取り巻きみたいな卑劣な圧力は許せません。

ネット言論の一つの死

 私は1ミリも謝らないし、ブログを消すつもりもありません。敵の狙いはまさにそういう分断にあるのでしょうが余計な配慮は無用、一人一派で「やっていきましょう」。
 今回の来未借金玉事変、大勝利と信者は大喜びでしょうがまともなファンはどんどん離れていくと思います。私だってここまでアンチみたい(著書はもちろん借金玉氏の本業的な文章は読んでない)になることもなかった。そして、後ろ盾である某出版社もそろそろ気づいている頃合いだと思います。こんなことをやられて迷惑なのはどっちだという話。
 インターネットの言論において、今回の事件は歴史的汚点となるでしょう。これが悪しき慣例にならないことを祈ります。

 捏造には

  1. 切り取り&拡大
  2. 歪曲&飛躍
  3. 補填&結合

 の3パターンがあります。今回は文脈を創造したという点で2と3の併用でした。捏造をやられたらきちっと反論していきたいですが、ネット強者の暴力的拡散は本当に恐ろしく、弱小垢はあまりにも無力。
 自己防衛として前回今回と記事は書きましたが、私も今後Twitterでも言及はなるべく控えようと思います。得るものがなく時間の無駄でもあるし、正直この人(とその周辺)には関わりたくない。
 まとめとして、愚痴のツイートで終わります。 BAD END