うたうポリゴン

魔王K++(ケープラ)のポータル兼個人ブログ

岡本さん刺殺事件に見る、一つの時代の終わり

 ブロガーが刺殺された。私は被害者の彼のことを全く知らないので、報道のようにあえてHagexさんではなく「岡本さん」と呼ぶ。一方犯人は、自首しているのでほぼ確定だが便宜上「松本容疑者」と呼ぶ。

いじめの逆撃なら、普通ネットでは賞賛されるが…

 事件直後から、この事件へのブログが量産された。心から岡本さんの死を悼むならまだしも、斜に構えた悲しみ方と松本容疑者への嘲笑がとても気持ち悪かった。普段、私が読んでいるブログでさえもそうだった。アルファブロガー=PVの申し子が死してハイエナに食われ、それがまたPVとなっていく…グロテスクな構図に見えた。
 カウンターとして、松本容疑者視点の匿名ブログが出てきた。


 最初は私も岡本さんに寄っていたが、徐々に私はこちらの方に共感するようになった。きっかけはともかくネット強者から弱者への一方的な攻撃、多勢に無勢の孤立感が続く。松本容疑者の無念、絶望ぶりが伝わってきた。この事件には「ネットいじめ」の側面がある。
 むろん、殺人・暴力を肯定することはない。言論に対するテロと言っていい。また「松本容疑者は九州大学卒のロスジェネで氷河期が…」とかいう同情にはまったく与しない。そういう人間だから就活がうまくいかなかっただけ。なんでも氷河期のせいする、Twitter氷河期芸人にはうんざりしている。松本容疑者の学歴・職歴はここではどうでもいい。
 しかし単なるテロでは割り切れない部分がこの事件にはある。ネットでは通常、いじめ被害者が自殺したら加害者を総叩きにするし、今回のような逆撃事件が起きれば加害者=いじめ被害者に同情するのがお決まりパターン。秋葉原や新幹線の通り魔事件でもその傾向は見られた。それが、ネット強者相手だと手の平を返す。フェアじゃない…私の違和感は最初からそこにあった。
 あくまで結果的にだが、この事件はインターネット社会において大きな意味を持つ。それは、調子に乗ってるネット論客を青ざめさせたこと。

身に覚えのある人間ほど、今回の事件に怯える

 ネットの有名人は、公開はしていなくても顔や本名がバレていたり、イベントに出ていたりする。煽っても炎上しても所詮はネットだと、安全だと思っていた。それが崩れた。人生を捨てて特攻してくるアンチの力は、侮れない。
 Twitterでもネット論客は敵の中から弱い相手だけを選んで、晒し上げる。論争というより、数の力で押し切る単なるパワープレイ。仮に最初に論争仕掛けた側であってもこれをやられた方は、そりゃ恨みを買います。


 ネットで有名になった人は、それが本能であるかのようにマネタイズに走る。広告収入、本を出したり有料コンテンツでも稼げるが、ネットだけでは限界がある。そこで多くの人はイベントに登壇する。規模は様々だが、セミナー・講演会・トークイベントなどの形態。
 お金のためでもあるし、何より「講師」という立場は最高に気持ちがいい。それだけにリアルイベントの直後に刺されるって、フィクションの破滅シーンのような展開なんですね。以下、これまで全く危機感のなかった人の例。

ヘイトを稼ぐネット論客時代の終わり

 記事での引用をちょっと見ただけだが、岡本さんはいかにもブログブーム時代の一世代前のブロガーだなと感じた。つまり露悪的・ゲスい俺カッコイイというスタンスがもうちょっとダサい(それを貫くスタイルを否定しないし、面白い人ももちろんいます)。立場は全く違うが岡本さんも松本容疑者も、ネットの申し子だった。世代的に、こういう人たちは徐々に減っていくのかなと。ただし今の2ch世代、アラフォー世代がこれから高齢化するし、この手の事件はますます起こっていく危険性は高い。

 ちょうどこの件と関連して、私が宿敵のようにずっと批判していたテラケイ(白饅頭)の私へのブロックが発覚。


 彼は「政治」に長けているので、この事件を利用した形(被害者ムーブ)ではあります。しかし、肝を冷やしたのも本当でしょう。実際トークイベントに対して脅威となりうる。散々女性・フェミニストをバカにしてきた報い。女人禁制にしてもいいが、ミソジニーの姫的な女性ファンはがっかりだし、私がそうであるように男のアンチも多いしいざとなれば男装も可能。歌手のコンサートのように手荷物検査をしたり、警備員を雇えばコストもかさむ。そして今回の襲撃がそうであったように、イベント内だけでなく「出待ち」にも気をつけないと。
 素行の悪い人ほど、今後イベントやオフ会は自粛ムードになるでしょう。少なくとも値上げは避けられない。逆に、真面目にやってきた人はチャンスです。素晴らしいことですね。

インターネットのガイドラインが必要

 私も2ch世代ですが、いまインターネット言論のあり方が問われている。決して、何を言ってもいいわけではない。特に他者への攻撃は。「法的なラインを超えなければいい」というのがこれまでのセオリーだったが、もうそれは通用しない。相手を「論破」して、集団で嘲笑して、その先にあるものは?
 ネット強者はそういう自覚を持つべきだし、弱者・敗者の恨みは想像以上であることを知るべき。どうしても攻撃的にやりたいなら、「リアルに一切出ない」スタイルでやるべきだし実際そういう人も多い。地上と地下、今後は棲み分けが進むと思う。
 こういうことを書いていると、私も自分で耳の痛い部分がある。私など3年もやってTwitterフォロワー300もいない弱小垢だが、人によっては強者に見えるんだろう。無名垢との過剰なバトルは避けるようにします。なるべく。