うたうポリゴン

魔王K++(ケープラ)のポータル兼個人ブログ

送別会もできないこんな世の中じゃ

 去年から大学生の講義、今年に入って成人式、卒業旅行…コロナ禍は若年層を直撃し、政治も若者をいじめ抜いている。
 しかし、ここにきてコロナ禍の被害は高齢層にも及んでいることがわかった。
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 この件はもちろん、自粛を要請する側の行いとしては批判されて当然である。だがしかし、世の中ってこれでよかったのか。我が国の状況下では過剰な自粛こそが、悪ではないのか。去年からずっと反自粛だった人間としては、もの申したい。公園の花見まで規制する東京都など、完全に狂っている。

 職場にとって忘年会は娯楽的要素が強いが、それでも特に歓送迎会がなければ年イチのイベントである。まして送別会ともなれば、長かった人にとっては大切な思い出になる。言うまでもなく3月はそのピーク、やれなかった人が相当数いただろう。また、企業の定年というのは誕生日の月なので、今年に入ってから定年を迎えた人も送別会ができていないことになる。当面はその状況が続く。
 そして今日。
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 孤独な人間にとって、日々の職場の些細な雑談はものすごくメンタルによかった、という気づきの話である。私は過去記事の通りテレワーク支持派だしこの記事への共感がバックラッシュになったら嫌だなとは思うが、書いた人の心情は理解できる。

 雑談や飲み会は本当に、無駄なのか。本来のテレワークは週1,2出社するので、病む人が出るのも当然だ。
 完全テレワーク、完全オンラインは合理化の極みであり、無駄なものがゼロになってしまう。この「ゼロ」が危険なのだ。
 世の中、一見無駄なものも実は必要である。哲学者の土屋賢二はこう言っていた。「私は無駄である。しかし、無駄なものも必要である。ゆえに、私も必要である」
 私は保守的な人間なので、「飲みニケーション」は仕事の上でも重要だと思っている。日本人の場合職場でミーティングの時間を設けても、本音はなかなか言いづらかったりするからだ。もちろん宴会芸をやらせたり、説教したりお酌を強要するなどのパワハラ・セクハラは根絶しなければならないが、多少の無礼講はあっていい。

 そんな飲み会が、平均的にもうすぐ丸1年やれていないことになる。人間社会にとって、これでよかったのか。飲み会が断罪される社会は、健全ではない。このコロナ禍、日本人にとってはコロナに感染したダメージよりも、それ以外の大多数の精神へのダメージが計り知れない。健常者が99%以上のマジョリティとすると、トータルのダメージはもはやマジョリティ側の方が大きく、犠牲になっている。このバランスを、再考すべき時ではないか。