うたうポリゴン

魔王K++(ケープラ)のポータル兼個人ブログ

ナメられたくないでござる

 最近、こんなことをぼんやりと、そして強く思っている。

 所詮人間は動物社会、ネットでもリアルでも舐められると長期的にはろくなことならない。舐められないことを第一にしてこれから生きていこう。それで親しまれるならといじりとかタメ口とか歓迎してたけど、間違っていた。
 愛されることと舐められることは違う。あの界隈も醜悪なホモソだともっと早く気づけていれば、傷も浅くて済んだのだ。「性被害の怒りの半分は人を見る目がなかった自分への怒り」とはよく言ったものだ…。

「舐められる」ことについて、ぼんやりとしたエッセイを書く。実はこういう文章こそが一番難しいので、練習も兼ねて。俺でエッセイの練習しろ。

 先に参考記事を。この記事の筆者のトラウマはひどいしあまり共感できないが、「先輩より後輩の方が苦手、怖い」というのはわからんでもない。後輩に舐められた時のダメージはデカすぎるからだ。
baron-zaku-present.com
 特に女性は舐められやすい。以下は管理職の事例だが、女性は仕事面で時にアバターで損をしがちだ(無下に扱われない、優しくしてもらえるなどのメリットはもちろんある)。
president.jp

 ULパワハラ吊し上げ事件も、デマ讒言事件(詳細は前回記事)も全て根底は一つ、私が「舐められていた」からだ。
 安田一派からすれば舐めている相手だから、まず意見されることが許せないし、告発しようとした私に対し一切謝れない(止める用意は十分あった)。たとえ自分に非があっても格下の相手に謝るということは、ホモソ内の序列を脅かすし心情的にも絶対にやりたくないことだ。
 青地のデマにしても、「匿名垢ごときが」というマクロな憎悪と差別心が根底にあるからあんな杜撰なデマを撒いてしまう。そして青地が言ってるから、相手が舐めている人間だからと二次拡散者も乗っかるし、それを聞いた界隈もデマを信じてしまう。舐めの連鎖。
 一連の流れは、舐められていなければ発生しなかった。これは私に非があるということでは少しもないが、結果だけを見れば「舐められていた」が全てなのだった。こんな思いは二度としたくない。だから今後、舐められることはあってはならないというか可能な限り避けたい。

 象徴的なエピソードを一つ。安田と初めてコラボキャスをした時に、いきなり「お前の(個人)ツイキャスはつまらない。ボイトレの話とか」と言われたのは今でもよく覚えている(ちなみにボイトレの話などツイキャスではほぼしてない)。どうみても、これからコラボキャスする相手に言うことじゃない。ボスがそんなだから、当然仲間も全員舐めてくるのだった。今思えばその時ぬるい返しかしなかったし、もっと初手できっぱりと拒絶し、早いうちに界隈から去るべきだった。
 思えば過去にリアルでも、こういう仲間内での示威行為・マウントをされたことは何度かあった。音声ツイキャスなので比喩だが、あの時の安田も過去のマウント男たちと同じ眼をしていた。
 私はどうにも、舐められやすい性分である。特に外野・部外者より、グループ内で舐められる。そう、学生以来、20年ぶりくらいに、私はグループ内いじめを経験したのだった。

 私がその集団で舐められたのは、以下が原因である。

  • 学歴が低め(正確に把握しきれてないが、えらい高学歴集団だった模様)
  • Twitterでも長文でもインテリ構文を取らない(私はそれが悪文、文章を公開する上で逆に頭が悪いと思っている)ので、頭が悪そうに見えた
  • 哲学・思想系の共通言語が私に不足していた(得意分野が違うと言えばそれまでだが、逆に連中は中学生レベルの政治感覚しかなかった。政治音痴揃い)
  • Twitterのフォロワーが少ない
  • 士業のような目立った社会的ステータスがないし、IT技術者としてもメディアに出たり著書を出すなど目立った実績がない
  • 本業(ボイトレ評論家)もネタとして解釈され、全く理解されなかった

 このへんはもはや恨み言というより、事例の整理というか歴史として。こういうことは大人でも、ネットでもよくあるのだということが言いたかった。

 で、今私は舐められないためには金を持たねばいけないし、トロフィーになるような相手と結婚もしたいと思っている。ゲスな本音だが、真実だ。
 知識や教養もつけないといけない。ただ、どんなに武装しても舐めてくる相手はいるので、その時は「●る」「●す」しかない。実際手を出すかどうかはともかくそれくらいの気迫がないといけないという話で、普段からバリアを張る必要がある。
 個人的にホモソのボス猿になる気は毛頭ないが、自分を守るためにはある程度やむを得ないのかもしれない。


 と、ここまではメンズリブとは真逆の、闇堕ちした人間の報告なのだが、実際人間は「舐められたくない」で世間と向き合っていて、それによって努力できることも大きいなと。

 たとえば私の本業(ボイトレ評論家)について。以下は全面的に正しいわけではないが、一応の辻褄は合う。

  • ボイトレを語っても歌えない・音源を上げないと舐められるので、nanaで公開した(下手だと新たな舐められになるが)
  • ボイトレ知識のみで音楽理論的知識がないと舐められるので、勉強する
  • 楽器が何もできないボーカルは舐められるので、ギターを練習する

 学歴だってそうだ。過去に私なりに大学受験や資格試験を頑張れたのは、舐められたくないからではなかったか。

 人間という動物が所属するのは、マクロな競争社会とミクロなホモソとがある。前者はマクロな偏差値、スコアによるランキング、あるいは年収や資格・職業など社会的ステータスで、後者は部活や職場などの直接関わる集団の話。
 私はミクロの方はこれまで気にしていなかったというか、無礼講で行こう的発想だった。だが、それは間違っていた。本当に平等でフラットな、素晴らしい集団ならそれもいいだろうが、それは理想郷であって現実は違う。厳然と序列が存在する。
 ぶっちゃけ下位に甘んじるホモソなど、所属する意味はない。ネットにもホモソはたくさんありいつの間にか所属していることも多々あるが、嫌々・惰性になってきたら即抜けよう。
 
 よく「他人の評価は気にするな、他人に自分を委ねるな」的正論があるが、最近私はそれにも懐疑的なのである。本当に他人の評価を気にしない行為など食事などの生理・生存的行為を除けば存在しない。「人の目ばかり気にして生きている」のが、人間の現実だ。その弱さを認めよう。
 SF的な閉鎖空間、自分一人だけの世界(物資やインフラは十分あるとする)になってもやることが本当の趣味であり、生きがいであろうが、現実はそんなことにならない。常に他人の監視が存在する。
 だからルッキズムその他、他人からの評価・序列からは逃れられないし、品定めされ続けるのが社会的な人間の宿命なのだ。この構造を変えるのは無理だから諦めよう。

「若い時は尖っていて、イキっていたが歳を取ると丸くなる」という現象がある。あれは、それなりの地位を確保できた人間の貴族的行為なのだ。ある程度満足な状況がなければ人間いつまでも尖っているし、イキり続けるしかない。私もそこが甘かったので、もっと尖っていこうと思っている。大人ぶって、丸くなっている場合ではなかった。

 最後に全く自信も根拠もないが決意だけ述べておくと、私は教科書的なメンズリブは焼き捨てて、真の生きやすさを手に入れてみせる。死ぬ瞬間に、この人生は悪くなかったと思いたい。