インターネッツの諸兄はテレビを全く見ない(家にテレビorチューナーがなくNHK受信料も払っていない)人も多くピンとこないかもしれないが、一般人向けに書く。
私は『ブラタモリ』は桑子アナの時に毎週見ていて最近はたまに見る程度だが、TLで話題になっていたついでに恐ろしい真実に気づいてしまった…。
女子アナはもちろんお仕事で付き合っているわけだが、仮におバカ系タレントがタモリの好奇心に付き合うなんて苦行でしかない。。私も毎週見るほどファンでもないのだが、あれを一緒に見ながら会話が成立する人でないと結婚とか無理だなあと。上昇婚も下方婚も例外だよそりゃ
— ケープラ K++ (@maoukpp) 2020年1月27日
「歴史は雑学」の解雇准教授大澤サンなんかは絶対にブラタモリなんか好きじゃないし、そこが専門バカでお里が知れてしまったよねっていう…
— ケープラ K++ (@maoukpp) 2020年1月27日
「リベラルの選民思想」に何度か触れてきたが、端的に言うと「ブラタモリが視聴率50%取れる国」が彼らの理想なんですよ。全てがこの一言に要約されている。視聴率50%は多様性なのか?というと、まさにそこが多様性の欺瞞と言える
— ケープラ K++ (@maoukpp) 2020年1月27日
もちろん、ガチの専門家としてブラタモリの内容に文句つけたい人もいるし、インテリでも人の心がないタイプだと娯楽番組自体を受け付けない。逆にNHK女子アナ(今だと林田アナ)目当てだけで毎週見ている人もいるかもしれない。
ただ、圧倒的なリトマス試験紙であり、ある意味で社会の分断装置になっているのではないかと。家で両親と一緒になんとなく見ていたテレビだったり蔵書に影響を受ける子供=知的格差の再生産って、まさにこれなんじゃないかと。
そんな知的分断の象徴が『ブラタモリ』なのではないかと恐ろしくなった。念の為補足するが、『ブラタモリ』は何も悪くない。本来EテレやNスペなどの地味な番組がそれに当たるのだが、レギュラーかつメジャーな番組で他になかっただけだ。
ある程度以上の階層になると、選民思想はある。私もしょうもないセルオタ(インセルオタク)などは、全員ガス室で眠ってほしい(命に影響はない、健康的な催眠ガス)とどうしても思ってしまう。我々はそれがあると潔く認めた上で、次のステージに進むことを考えるべきではないか。