うたうポリゴン

魔王K++(ケープラ)のポータル兼個人ブログ

謝ったら死ぬ教団と若年性老害、そして「会って話そう」問題

 ありがとう32000PV(記事執筆現在)。togetter.com
 これ以降も面白いツイートはたくさんありましたが、まとめとしては完結しているし長くなりすぎるのであえて更新はしませんでした。元々ほぼ自分のTLだけでまとめているので、続きが読みたい方はこちらをどうぞ。
ケープラ K++(@maoukpp)/2018年11月25日 - Twilog
 今回は「謝ったら死ぬ病」というワードでおなじみの、謝れない問題について考えてみます。カリスマ・無謬の人として教祖に謝ってほしくない信者、そういう信者の手前余計に謝れない教祖、もし教祖が謝ったら絶望発狂する信者—これらの相互依存関係を「謝ったら死ぬ教団」と今回私は名付けました。鶏が教祖で卵が信者、みたいな。
 昔はそうじゃなかったのに、「謝ったら死ぬ病」を批判し、バカにしてきた人間までもがそうなってしまう。実年齢が若くてもネットなどで取り巻きができて偉くなったと勘違い、増長し老害化することを「若年性老害」と以前から私は呼んでいます。今回の謝れない人(教祖)は、この合併症でした。

 その件の続きですが、一応一般論のつもりで書いたツイートに想定以上の反応がありました。


 特に加害者サイドが「会って話そう」と言ってきた場合は危ない。泣き落とし・土下座戦法でくるか、逆に恫喝してくるか。いずれも和解条件を値切ったり踏み倒す目的です。
 件の人がどうだったかはともかく、リアルかつ1:1(または相手が一人)なら謝れるという人はいる。録音でもしない限り、記録が残らないから。会議みたいな公の場所では絶対に謝れない人、会社組織で働いていてもたしかにいる。メールやLINEでしか謝れないとか。
 どうも「謝りにくいランキング」のようなものが人それぞれあって、得意な方法で謝ろうとする傲慢さが人としての信用を落とすことになるのだなあと。謝る側が何条件つけてんだっていう。プライベートな個人間の喧嘩ならそれでもいいでしょうが、TPOをわきまえないといけない。
 ネットでは「公」という概念がない人がけっこういるが、営利・ビジネスがからんでなくても公になってる案件で自分に非があった場合は素直に認め、謝罪するのが大人というものだ。その相手は一生許してくれないかもしれないが、それが自分の信用を守ることになる。情けは人の為ならず。
「学級会で形式的に謝れば全て水に流す」という学校教育もよろしくないが、それすらできないのは最悪。今こそ、謝り方のマナー講習が必要だ。こんな能力を、持って生まれた資質とか才能にしてくれるな。教育・更正の力を信じたい。現代のインターネットにこそ、金八先生が必要だ。