うたうポリゴン

魔王K++(ケープラ)のポータル兼個人ブログ

お笑いリベラリズムの台頭

 珍しくテレビ、お笑いの話。ライブに行くほどではないが私は昔からお笑いが好きである。昔はテレビ、漫画、ゲームしか娯楽がなかったので、ナチュラル・テレビっ子。
 とんねるずダウンタウンを見て育ち、おそらく一番お笑い芸人に憧れた世代と言えよう。私がボイトレ評論家としてものまね特番が好きなのも、その延長である(なので、ボイトレ系若い世代の無関心に驚いている)。
 今年はとんねるず冠番組が終わったり、節目の年でもある。パワハラ、セクハラ・ミソジニーの笑いがウケなくなり、時勢を無視できなくなった。そうは言ってもテレビはアラサー以上世代向けのもの、演者もスタッフも40代が主力なので、そこの価値観が強いのはもちろんある。が、それでも確実に変わりつつある。
 今回の記事のきっかけは、お笑い芸人「三四郎」の記事。
bunshun.jp
 三四郎・相田さんの言う、パワハラ、いじめ的な【「つらいお笑い」の概念がないんだと思います】…素晴らしい考えだ。全否定はしないが、そういう笑いが主力の時代じゃないという考えだろう。
 私はこのようなイマドキの芸人の考えを「お笑いリベラリズム」と名付けたい。全体的に、同世代の芸人でも関西の方が保守的な感じがする。関東芸人でも5歳上になると、まだまだとんねるずチルドレンという感じ。

 レコーダーに残っていた2016年2月4日放送のアメトーーク「オリラジ同期芸人」を改めて見返してみた。この回は11年間の栄枯盛衰、下克上がすごくて単純に面白い回だが、私はこの世代の芸人たちとほぼ同い年なのでより親近感があった。
 面子はオリラジ、はんにゃ、フルポン、トレンディ、ニッチェ、三四郎。私は今回、彼らの共通項に気付いた。それは、「基本的に(目下の)他人を攻撃した笑いを取らない」ということ。「誰も傷つけない」サンドウィッチマンが最近評価を上げているように、時代のトレンドはこちらなのだ。
 番組内でニッチェが、「オリラジと4人でロケの企画があったが、全然笑いが生まれなかった」というエピソードトークをしていた。曰く、まず登場時の衣装でブスいじりをしてほしかったが、オリラジ中田「俺たちは女性にブスとかあまり言わないから、普通にいいねって」。
 私はこのロケの放送を見てないが、どうだったんだろう。派手な笑いはなかったかもしれないが、別に悪いものではなかったのでは。安易なブスいじりの方が、もう、古いのだ。
「女芸人は、ブスであらねばならない。美人は芸人から引かれてしまい、腫れ物扱い」というお笑い業界のミソジニーは昔からひどい。女芸人もその呪縛に苦しみながら、「ビジネスブス」をやっている。最近では、推測だが女性プロデューサーが増えた結果、クソ面白くもない逆セクハラ芸が増えたりしている。だからテレビが若者から見放されるんだよ。
 でも、私と同年代以下の芸人・スタッフがこれから主力になっていけば自然と変わっていくのではないか。絶対的地位を築いたかに見えた老害もいつかは退場し、時代はゆるやかに動いていく。

 アメトーークなどでもちょいちょいパワハラミソジニーが顔を出すし、観覧の若い女の子がそれを笑って受け入れているのを見ると暗澹たる思いになる。が、これは強者に染まってしまうだけで仕方がないことなのだ。
 観覧の女の子も、センスのない女性プロデューサーも男社会の犠牲者。そのうち気づく。地獄のようなインターネット男女沼を見ていると絶望するが、あんなものは世界の一部。リアルの方がはるかにましで、前向きになっていい。三四郎らオリラジ同期芸人たちに、そんな希望を感じた。