うたうポリゴン

魔王K++(ケープラ)のポータル兼個人ブログ

コンビニエロ本問題は公共の福祉案件である

 改めて、コンビニのエロ本(成人誌)問題について考えてみます。

 2017年の千葉市ミニストップの件も、私は当時から支持していました。あれは元々「カバーが(コスト的に)不可能なため全面撤去になった」だけで本来の目的はゾーニングでした(下記記事にもあるように大阪堺市ではカバーゾーニングが実施されている)。
www.nippon.com
 ついこの間も ananセックス特集で物議を醸しました(この記事公開後には書店でのラノベ表紙問題…何度目?) ちなみにこのツイはある有名アカウントとの議論がツリーになってます。よければどうぞ。
 この件に関して、ネットで散見される(三流)フェミニスト女性を私は支持しません。敵に回ります。
 曰く、女性の欲望は自制できているだとか、普段抑圧されている側だからいいんだとか、あくまで性の教科書だとか、性暴力・加害コンテンツではないとか…。

(゚Д゚)ハァ? 「きれいな核兵器」かよ!

一般誌の面をかぶったエロ系も含めすべてゾーニングすべき

 明らかにイケメンを性的消費してるだろ。はい、実際に私はあの表紙を見て嫌な気分になりました。イケメンしかセックスできないみたいな圧力を感じる。そんな教科書があるかっ。人権意識のない怨念系フェミニストにありがちだが、自分がやられて嫌なことを男に「倍返し」、半沢直子してる場合かと問い詰めたい。

 たしかに「子供に見せたくないから」「子供の教育に悪い=性消費価値観を再生産する」という理由だけでは弱いというか、子供を盾にしているようで卑怯。性的表現ゾーニングの根拠は、環境型セクハラだから。
 大人でも当然、女性は嫌な気持ちになる。男の私ですら、朝っぱらから見たくない。今回のようなイケメンポルノやBL雑誌がコンビニに並んでいたらと思うとぞっとするし、女性の心痛は察するに余りある。私はフェミニストだ。
 たとえ法的に問題なくても、公衆の面前で全裸になったりセックス始められる人は少数派。それがすべて。屁理屈を抜かすな。
「全年齢向け」少年漫画誌も表紙でたまに物議をかもすが、これらは「表現のチキンレース」と呼ばれている。エスカレートしていく出版業界によるソフトポルノ氾濫は大きな問題。一括したゾーニング対策に国・自治体は踏み切るべきである。ジャンル問わず見出し含めた表紙がすべてで、内容などどうでもいい。週刊文春・新潮のような表紙なら完璧。
 もちろん出版・表現の自由はある。エロ表紙本をコンビニや、書店でも入口付近の目立つところに置くなというのが私の主張。これは完全に小売側の対応次第で、エロ表紙本が陳列されづらくなり「販促に不都合」となれば出版社も自重するしかない。

そもそもコンビニは、誰のものなのか

 私は30代で、東京出身。30年前というと1988年。私の成長と共に、90年くらいからコンビニはどんどん増えていった(東京といっても広く地域差もあろうが)。「夜遅くまで、弁当からパンツまで売っている」ことが独身男性の喝采を得た。当時は酒を置けると有利なので、酒屋さんがFCオーナーになるケースが多かった(その後の規制緩和で酒は当たり前になった)。
 酒もエロ本も、すべて成人男性向けだった。「よくわからない店」なので高齢者は近づかない。子供はアイスやお菓子を買うくらい。昼休みに外出できない中高生は、朝コンビニ飯を買って行くスタイルが広まった。客単価で言えば圧倒的に、成人男性がメインターゲットだった。それもよそのお店が閉まる夜が稼ぎ時。
 では現代は、誰のものなのか。言うまでもなく、全世代の男女向けである。昔にくらべコンビニには女性誌が増えたし、食料も女性向けの健康志向・スイーツが多い。酒でさえほろ酔い系があるほど。

 主婦も高齢者も買い物するし、各種手続きのために訪れるコンビニ…その定義がいま問われている。今回は良識派フェミニストとして、真っ当なことだけを言ったのでオチとかないです。