うたうポリゴン

魔王K++(ケープラ)のポータル兼個人ブログ

弱者の槍、被害者の剣は呪われているので普段はしまっておこう

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 こちらの記事で主にインターネットアンチフェミの批判をしました。ありがたいことに今となっては私の代表作です。
maoukpp.hatenablog.jp
 今回はその他編です。「論者も支持者も依存していくネット麻薬」と書きましたが、これはフェミニズムなど、その他なんでも「被害者の会」的な運動もみんな同じだよねという話。
 Twitterのフェミ界隈とのやり取りはここにまとめました(フォロワー限定まとめです)。
togetter.com
 誰でも程度の差はあれ弱者・被害者属性は持っている。が、それだけを自己主張・自己表現の手段にしてはいけないということ。文章を書いたり何か活動する最初のきっかけがそれだった、ということは大いにあるでしょう。
 弱者・被害者ネタはたしかに武器になる。無名な人間でも話を聞いてもらえるし、仲間が集まりやすい。これは男女共通です。男の場合はマッチョイズムがあり「私はかわいそう」という主張はしづらいため、自分自身ではなく憑依型になりやすいという違いはあるものの。

 だいぶ昔の小林よしのりさんの「ゴー宣」で、若者の社会運動に触れ「大人(政府や企業など)を謝罪させ、勝利する喜びを知ってしまった」ため深入り・宗教化していく現象に対し「さっさと就職しろコノヤロー!」とツッコミを入れていた(記憶なので、一字一句正確な引用ではない)。
 運動や批判が成功すること自体はいいことだが、結果、妙な全能感を得てしまう。本来の目的を超えた活動を続け、増長し出す。実際、今「過激派」と言われている団体って、そうやって生まれてきたんでしょう。
note.mu
 とてもいい記事です。「その案件では」あなたの権利を擁護するが、今・常時そんなことを言われても知らんがなっていう。タイトルにもした弱者の槍や被害者の剣(さらに挙げると当事者の斧、マイノリティ・ブレードetc)は万能宝具ではない。常に抜き身で武器を持ち歩いているような怖さがある。ネットでは、これをやってしまっている人が多い。

 私にも近い経験はあって、著作権侵害事件の時に延々と犯人を罵っていたらフォロワーが減った。あれはやはり、人によってきついものがあったんだと思う。もし下手に承認欲求を得てしまっていたら、私も危なかったかもしれない。反応が薄くてよかった。
 あの件に関しては私は一方的な被害者であり、ほぼ誰も批判できないでしょう。しかし、他のジャンルではそうではない。誤りもするし、加害行為もする。犯罪をやらかすかもしれない。
 被害や差別を受けたからといって、何を言ってもいいわけではないし、自分がそれをしていいという法はない。自分の直接的な加害者・敵に対してきつい言葉を言うのは、まだ人情としてわかりますが…まあマクロ化して戦線が拡大していきますね。

 被害者根性からの「正義」をこじらせ、全能感を得る。そして全然関係ない批判までなんでも「弱者叩き・被害者叩き」と思うようになったらおしまいです。
 甘えるな。お前の正義は、そのミクロな案件の中にしかない。