うたうポリゴン

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「ネットなんか見なければいい」は正しいのか—インターネット老害になるのは嫌だ

 インターネットについて考えてみます。まずはヒデヨシさんの記事、Twitter限定の話ですが最新事情ともいうべきとてもいい記事です。oreno-yuigon.hatenablog.com
 この記事に反論するわけじゃないんですが、「インターネットなんか見なければいい」っていう風潮、この先ずっと続くのでしょうか。中にはエゴサする人もいるようですが、芸能人などにとっては常識のようになってます。…残念ながらこれ、現状では正しい(私もその手のは見てません)。
 しかし有名人は自由にインターネットを見ることができないわけで、ある種人権が制限されていることになる。「公共の福祉」が優先なのは大前提としてそもそも表現の自由って、そんなに大切なものでしょうかという風に最近私も考えが変わってきました。ゴミみたいな言説が幅を利かせ、それに乗った誹謗中傷や個人情報晒し、正義などない「気分」だけの粛清コンテンツが流行る。そんな悪貨が良貨を駆逐する光景を見てると、人権の中で10番目以下の下位だろこんなものとしか思えなくなりました。
 法的に訴える(刑事)として、まず自ら印刷してログを取って警察に行く。そして経緯を一から説明するだけで相当なハードル。ほとんどの人はこんなことできません。有名声優のストーカー事件のように、よっぽど長期かつ具体的な被害がないと立件もされずなかったことに。当然一般個人の場合はさらにハードルは高い。

 現行法でも対処は可能ですが、なかなかに厳しい。犯行予告や露骨な脅迫でなければ、言いたい放題であり抑止力がない。求められるのは厳罰化というより、抑止力のための高頻度立件。 やらかし系炎上で叩かれる場合はまだ自業自得ですが、そうでないケースも世の中にはあり気の毒としか言いようがない。  韓国では芸能人が何人も自殺しているし、いつまでもこのままでいいわけがない。フェイクニュースデマサイト、マスコミの質が低いとは言われますがそれはネットそして一般人の言論も同じこと。100年単位で見れば将来的に、世界規模での国家規制はやむなしでしょう。SNSなどの運営会社を厳しく監視する、金融庁みたいな省庁ができる日が来る。不透明なTwitter垢凍結基準が話題のように、いち私企業に任せておいていい話じゃない。Google1社がSEO的に権力を握っているような状況も、非常にまずいですね。

 はあちゅうみたいな人間だけが生き残るインターネットでいいのか。心優しい人はつぶされるのが今のインターネット。前までは私も、そういう弱肉強食世界だと思ってたんですよ。しかしそれで、この10年くらいですごく有名な面白い人って出てきたんですか。育つ作物に偏りがあり、土壌に問題があるとしか思えない。
 私も今や、完全に誹謗中傷される側です(著作権侵害もありました)。本当にこれ、「仕方ない」でいいのか。ジャンル問わず「売れるまで、有名になるまで」の苦労として「ネットで叩かれるだけのフェーズ」があり、そこでやめてしまった人の中には惜しい人材もいたのではないか。
「インターネットなんてそんなもの」という賢しげな現状追認こそが、何も変わらない原因。「ネットはタダで自由なもの、そして殺伐としたもの」という価値観が染み付いた、私含めたネット黎明期世代こそがこの先インターネット老害になるのだと思います。情けないことに、将来改革のラスボスとなるのは我々なのです。ツイバトルで丁々発止なやり取りなど私もやってしまいますし、わかっちゃいるけどすぐには変えられない。

 インターネットなんて歴史が浅いのだから、慣習的な常識が全面的に正しいなんてこともない。未来のために、今の「当たり前」を疑ってみませんか。