うたうポリゴン

魔王K++(ケープラ)のポータル兼個人ブログ

スマホ・PC依存時代だからこそ、集中できる映画というメディアはアリ

f:id:maoukpp:20180407155521j:plain Kalafinaドキュメンタリー映画を見てきました。

 それで思ったのですが、映画館のような場所で音楽ライブの円盤(当然ブルーレイ)を流すだけでもアリなんじゃないかって。無論円盤購入すれば何度も見れるし、コスパは悪いがそれなりの価値はある。
 ツイでも書いたように、高齢者は体力・気力的にライブなんて行きたくてもいけない。手軽にいい音響で、大画面で音楽が楽しめる音楽系映画ってこれから伸びるのでは? 今回の映画で、この分野には大きな可能性を感じた。

 ここまでは音楽ネタなのでnoteに書いてもよかったが、次は映画全体の話。

 今回の映画は2200円でした。私も歳をとったのか、2200円でもそこまで高いとは思わなくなった。しかし映画館には不満がある。それは、クソ長い予告編。togetter.com
 長大すぎるので1ページ目しか読んでませんが、完全同意です。そして「映画泥棒」に対し「時間泥棒」とは上手いこと言ったなとw
 10分前に開場して、予告編が15分とすると相当な待ち時間なわけです。私はいつも予告編はガン無視してスマホ見てますが、暗いので他にやることないだけで別にスマホ見るために映画館に来たんじゃない。これ、なんとかならんのか。予告編問題。
 予告編の長さは、劇場によって違うみたいです。以下、とてもお役立ち情報。eigar.fun
 着席するのは上映時間の10分遅れくらいでちょうどいいみたいです。ただ私は映画なんて年に1,2回しか行かないので、ついつい忘れてしまうんですよね。さらに、ほとんどの人は着席しているのであとから割って入るのが気まずい。人と行く場合はどうしても集合時間は早めになるし、なかなか厳しい。
 既にプレミアムシートがある劇場というかスクリーンもありますし、新たな試みとして「予告編なし+全席プレミアムシートで2800円」とかどうでしょうか映画館さん。あとは各映画館の判断で古い映画の再上映とか、それこそ円盤を流すだけでもいいのでやってほしい。しがらみがあるからできないんでしょうが。
 スマホ・PC依存時代だからこそ、映像に集中できる映画というメディアの価値は再び上がってくるのではないか。あとは、その需要に応えられるかどうかだけな気がする。

不快な質問ばかり来る人へ、一つの対処法

f:id:maoukpp:20180317233158p:plain askや質問箱などのサービス、やってみたいけど怖いと思う人も多いと思います。私も不快な質問ばかり来るのでどうしたもんかなと思ってました。ブロックしてもIP変えてくるのかしぶとい。
 ところが。

 3/3のこのツイを境に全く来なくなりました。質問として落第な上に、パターン化していることが計量化して晒されることでダメージになるみたいです。異常者の心理は私にはわかりませんが、なんでもやってみるもんです。もちろん有名人でアンチの数が多ければこうもいかないでしょうが、2,3人に粘着されているだけの人には有効ではないかと。エクセルを用意し、分類した後は数字を足していくだけの簡単なお仕事。
「ブログのコメント開放しろ」(今気づきましたが、画像の「解放」は誤り)に関しては、危険なネタも書いているのでブログのアンチかもしれませんが、まあ違うでしょうね。1記事に腹が立ってもブコメに書くくらいで普通そこまでしない。

 私でも料理不能の、答えなかった質問もあります。そういう質問も記録だけ取っておけばよかったかなあとちょっとだけ後悔。とはいえ悪意しかない質問を真剣に読む必要などないので、カテゴリとしては「その他中傷系」あたりにすべて突っ込めばいいでしょう。
 で、今回わざわざ記事にしたのは、まだ質問が1件も来ないがイチオシのこれを改めてPRするためです。www.mottohomete.net よろしくおねがいしますよ!

個人間でもっと、気軽にお金を渡し合える世の中に

f:id:maoukpp:20180312232828j:plain クラファンのアンチになったことがきっかけで、最近お金について考えていました。maoukpp.hatenablog.jp
 個人間で直接お金、現金をやり取りすることってあまりない。誕生日プレゼントなどを贈る場合、それは普通「物」だ。現金は裏金・賄賂や違法な取引のイメージがある。人間関係を露骨に金銭に変換しているようで何か嫌だし、品がない。
 千両箱の小判、アタッシュケースの札束…フィクションではわかりやすいが現実では「現ナマ」を人に渡すことはまずない。お年玉なども封筒などに包んで渡す。
 現金に対してこの「汚れ」意識は一体なんだろう。私は大人になってもなかなかここから自由になれないでいる。

 我々日本人は、対価を払うことが苦手だ。友人知人間でもなんとなくボランティアをし、なんとなく飲み屋で一杯おごられるくらいの謝礼で済ましている。ボイトレのレッスンというのは基本現金なので、私はまだ渡し慣れているほうかもしれない。ただ仕事・サービスであっても普通、お金はレジの前で払うものだ。そういう風に生きてきた。読んでませんが「お金2.0」なんて本が出て、今は改めてお金の意味が問われているのかもしれない。

 昔から言われてきたことだが、インターネットは集金が弱い。趣味・プライベートとビジネスが曖昧なのがネットの世界。「タダで公開しているんだから」「アマ・趣味だから」で一方的に享受するだけでいいのだろうか。現在主流というか成功しているのは広告収入モデルと、アプリ内課金(それも儲かるのは射幸心系)だけ。個人のクリエイターなどの人間はどうすればいいのか。投げ銭や寄付を受けられるシステムと現金の比較をざっとまとめてみる。

名前 受け手 送り手 コメント
ほしい物リスト リストを設定するだけ 手数料なし、Amazonなのでやりやすい 物のみ。双方ともに気をつけないと個人情報バレ
有料コンテンツ 単価が低い、作品単位で勝負できる 買いやすい 受け手は運営手数料がネック
月額制有料コンテンツ 固定収入! 解除しない限り継続 買い手は惰性、受け手は運営手数料がネック
クリエイターサポート note垢があればできる 投げ銭しやすい 受け手側が一般note会員だと1万円、プレミアムで5万円が上限。手数料。
金融口座公開 公開するだけだが本名バレ 振り込むだけだが本名バレ 任意の金額、銀行の手数料のみでコストが安い
現金 ある程度信用できる相手ならOK ファンならOK 対面コストはかかるが、お金は100%届く

 口座を公開するという手もあるが主流ではない。クラファンについては前回書いたが、あれも手数料がネックだし運営の養分になるのが嫌だ。その点やはり現金は強い。現金最高、リアルファンディング! ネットで人気や知名度がある人は、「囲む会」的な集金オフ会をもっとやればいいと思う。マネタイズをするとアンチが叩くが、どのみちそういう人はアンチなので気にする必要はない。
 読者や受け手側は、「お礼参り」をもっとすべきではないだろうか。私も今後ネットでお世話になってる人と会う機会があったら、積極的にお金をばら撒いていきたいと思う。むろんもらう側になるのもいい。年収とか立場とか年齢とか気にしないで、もっと現金を渡し渡されてな世の中になれば人はちょっぴり幸せになれると思う。

クラファンの欺瞞と逆進性

 この記事を読んで、今までのもやもやがはっきりしました。メンヘラ.jpうんぬんよりも、クラファン自体に対するもやもやが。hyogokurumi.hatenablog.com クラファンと言えば2016年の西野さんがとても有名です。彼以降芸能人がこれをやると炎上するのが常ですが、内容さえまともなら私は批判しません。むしろ信用を損なえば本業に影響大なので、芸能人の方が下手なことはできない。
「元々お金のある人でも、手軽に資金調達し身銭を切らずに事業ができる」のがクラファンのメリット、というかそっちが主体でなければならなかった。クラファンは悪用できる。むしろ悪用されるためにあるシステムと言える。

 私は嫌儲主義は大嫌いですし、本来の意味での出資を募るクラファンは歓迎です。が、


 期限と目標金額で切迫感と高揚感を煽るやり方は非常に危うい。だから、正面からネット有料記事やメルマガを販売している方がずっとまともであると言えます。
 クラファンの運営が悪かどうかはさておき、ある程度デキレースでもあるらしい。たしかに、その方がうまくいく。たとえ自腹であっても。「バンドワゴン効果」は私も常日頃実感しているところで、0のところにファボやRTってつけづらいんですよね。クラファンも同じで150/300万の状態と0/150万だったら圧倒的に前者が入れやすい。達成できそうな気がする。「ワシが育てた!」やりたい感を巧みに煽れる。
 この欺瞞がまず問題点その1、その2は逆進性です。メンヘラ.jpについては来未炳吾さんも驚いていましたね、「生き辛い界隈の人相手にやるか?」って。運営であるわかり手さんも「無理するな。余裕のある人が金を出してくれ」と再三言っていたものの、言ってることとやってることが噛み合っていない。あそこの読者・ファンの大多数はお金のない層でしょう。
 30代独身社会人の私にとって、5000円、1万円程度の金はなんでもないが、若年貧困層にとっては重い。この記事執筆時点で目標の300万を超え、400万に。比率で言えば少ないでしょうが、それでも400万という事実は重い。前述の有料コンテンツであれば、総額でいくら稼いだかなんて本人しかわからない。可視化される不幸。

 メンヘラ.jpのクラファンは、わかり手さんの2月のトークイベントを最初から締めに持ってくる日程だったのでしょうが、あれ以降の過熱感は見ていて非常にもやっとしました。投げ銭や寄付は大いに受ければいい。しかしこのやり方は…。
 正しい「投げ銭」とは、全文公開型の有料noteあるいはAmazonほしい物リストのような形でしょう。あれこそ、余裕のある人が気分でできるもの。見返りもないしスッキリしている。期限もないし、目標金額もない。生活応援的な出資はいつでも受けられた方がいいに決まってる。
 最終的に、私の結論はこれです。

 クラファンを美談にするのはやめよう。多くは明確な目的や公約もない、インターネット乞食である。

2/27追記:400万の内訳についてどうでもいい考察

 投げ銭は普通数百円と少額。しかし機会と金額のクラファンレバレッジにより、今回のケースでは特典が発生する最低「リターン」の5000円をお金のない人でも目指そうとします。儲かるな、そして罪深いな…。

「ネットなんか見なければいい」は正しいのか—インターネット老害になるのは嫌だ

 インターネットについて考えてみます。まずはヒデヨシさんの記事、Twitter限定の話ですが最新事情ともいうべきとてもいい記事です。oreno-yuigon.hatenablog.com
 この記事に反論するわけじゃないんですが、「インターネットなんか見なければいい」っていう風潮、この先ずっと続くのでしょうか。中にはエゴサする人もいるようですが、芸能人などにとっては常識のようになってます。…残念ながらこれ、現状では正しい(私もその手のは見てません)。
 しかし有名人は自由にインターネットを見ることができないわけで、ある種人権が制限されていることになる。「公共の福祉」が優先なのは大前提としてそもそも表現の自由って、そんなに大切なものでしょうかという風に最近私も考えが変わってきました。ゴミみたいな言説が幅を利かせ、それに乗った誹謗中傷や個人情報晒し、正義などない「気分」だけの粛清コンテンツが流行る。そんな悪貨が良貨を駆逐する光景を見てると、人権の中で10番目以下の下位だろこんなものとしか思えなくなりました。
 法的に訴える(刑事)として、まず自ら印刷してログを取って警察に行く。そして経緯を一から説明するだけで相当なハードル。ほとんどの人はこんなことできません。有名声優のストーカー事件のように、よっぽど長期かつ具体的な被害がないと立件もされずなかったことに。当然一般個人の場合はさらにハードルは高い。

 現行法でも対処は可能ですが、なかなかに厳しい。犯行予告や露骨な脅迫でなければ、言いたい放題であり抑止力がない。求められるのは厳罰化というより、抑止力のための高頻度立件。 やらかし系炎上で叩かれる場合はまだ自業自得ですが、そうでないケースも世の中にはあり気の毒としか言いようがない。  韓国では芸能人が何人も自殺しているし、いつまでもこのままでいいわけがない。フェイクニュースデマサイト、マスコミの質が低いとは言われますがそれはネットそして一般人の言論も同じこと。100年単位で見れば将来的に、世界規模での国家規制はやむなしでしょう。SNSなどの運営会社を厳しく監視する、金融庁みたいな省庁ができる日が来る。不透明なTwitter垢凍結基準が話題のように、いち私企業に任せておいていい話じゃない。Google1社がSEO的に権力を握っているような状況も、非常にまずいですね。

 はあちゅうみたいな人間だけが生き残るインターネットでいいのか。心優しい人はつぶされるのが今のインターネット。前までは私も、そういう弱肉強食世界だと思ってたんですよ。しかしそれで、この10年くらいですごく有名な面白い人って出てきたんですか。育つ作物に偏りがあり、土壌に問題があるとしか思えない。
 私も今や、完全に誹謗中傷される側です(著作権侵害もありました)。本当にこれ、「仕方ない」でいいのか。ジャンル問わず「売れるまで、有名になるまで」の苦労として「ネットで叩かれるだけのフェーズ」があり、そこでやめてしまった人の中には惜しい人材もいたのではないか。
「インターネットなんてそんなもの」という賢しげな現状追認こそが、何も変わらない原因。「ネットはタダで自由なもの、そして殺伐としたもの」という価値観が染み付いた、私含めたネット黎明期世代こそがこの先インターネット老害になるのだと思います。情けないことに、将来改革のラスボスとなるのは我々なのです。ツイバトルで丁々発止なやり取りなど私もやってしまいますし、わかっちゃいるけどすぐには変えられない。

 インターネットなんて歴史が浅いのだから、慣習的な常識が全面的に正しいなんてこともない。未来のために、今の「当たり前」を疑ってみませんか。

第4のアンチフェミ、俺俺本来フェミニズム

maoukpp.hatenablog.jp
 上記記事で私はインターネットアンチフェミを3つに分類しましたが、どうもここ半年1年くらいで新しい流派が出てきたなと。まずはこちら、
XLRケープラ(@maoukpp)/「フェミニズム フェミニスト」の検索結果 - Twilog
 の1ページ目の下の方(この記事公開時点で)、2017/12/27,29をお読みください。フェミニズムは多様性だとする環さん(@fuyu77)の指摘は正しい。
 この新しい型のアンチフェミ、懐古主義、歴史主義という名前もしっくりこない。フェミニズムの原典があるわけでもないし、原理主義でもない。保守反動と言えなくもないがそんなまともなネーミングはもったいない。なのでここは「俺俺本来フェミニズム系」と名付けたい。どんどん新種が出るインフルエンザか。
 この型には大きく二つあって、

フェミニズムとは、性差のない平等を目指すものでなければならない(だから男性差別を無視するなダブスタだ)
フェミニズムとは、女性の自立を目指すものでなければならない(だから高年収を求めたり男に頼るな)

 どちらも現代フェミニズムを批判したくてしょうがない人の、後付けの理由。単なるイチャモンと言っていい。自分にとって都合のいいフェミニズム定義をでっち上げ、それに合わないからお前たちはまがい物だというヤクザもびっくりな言いがかり。
 歴史を利用するが点と点の安易な比較で、その間の線が全くない。ある時点(どこを比較対象に持ってくるかは論者による)と現代日本を比較し、差分があるから間違いだとする。あとは入試現代文でおなじみ「昔はよかった今はダメだ」「日本はダメだ西洋見習え」のテンプレ構文を使うだけ。1,2冊何か本を読んだにしろ、結論ありきの学習は何もものにならない例。

 で、前者タイプの人と議論(というより質問)したのですが、その不毛な結果がこれです(ツリーになってます)。

 彼が言うには、「フェミニズムの起源、18世紀のフランスでは人権が男にしか…」
→し、知ってた〜〜
 この間話題になった広辞苑にも載ってるように、広く日本語として一般化したフェミニズムという言葉をぶった斬り、俺の定義が絶対だと言い張る。よっぽど何か強い根拠があるんだろうと、興味があって議論しました。
→何も出てきませんでした…。あとはひたすら「事実(歴史)を勉強しろ」の無限ループ
 え、なんでそれだけで自信満々なの? 要は「俺の見解が全て正しい」って言ってるだけ。ナルシストなのかな?
 当時はそんな呼称もなかったから、フェミニストを自称するのもダメ(本物ではない)だと言う。なんだそれ。ツイでも言ったけどお前の定義なんて知らんわ。

 ただこういうエセインテリ論法に引っかかってしまう人、多いんですよね…。なんとなく歴史を持ち出されるとそれが正しい、正統な気がしてくる。統計を恣意的に使う手法とよく似ている。しかしこれは既に書いた通りセコいマウント取り、現在批判の道具にしているだけ。しょうもない言葉遊びであり、「名乗るな」「使うな」という意味では言葉狩りでもある。今の政権を批判するのに、創設時の自由民主党とは…なんて言われてもナンセンスなんですが。
 彼らは上げて落とすため比較時点、議論した彼の例で言えば黎明期のフェミニストたちは持ち上げます。

比較にならんよ、18世紀のフランスと現代日本では状況が全然違うからな!

 基本的人権レベルで女性が不遇だった時代が基本編なら、法制度上は平等だが現実問題、運用面で問題がある現代は応用編といったところ。
 つまり連中の根底にある思想は、

・現代日本がもし18世紀フランスレベルまで人権が後退したなら、フェミニズムを支持してやってもいい
・もうフェミニズム本来の目的は達成されているのだから、解散!

 で、なにがなんでも現代フェミニズムはダメだ!としたいわけです。強引すぎる…。そしてネット上のフェミニスト(と呼ばれるだけの女性)だけでなく、著名なフェミニストもこれで批判していく戦法。「俺の定義に合わないから、お前は偽物!」ってちょっと何言ってるかわからない、サンドウィッチマン状態ですね。

 そして、アンチフェミは何も制約なく常に言いたい放題。なんちゅう筋書きだ、これこそ男女不平等じゃないか。
 2018年も相変わらずインターネットアンチフェミの火が消えることはなく、論者も含めネット依存者たちは全力で狂っていくようであります…。「本来のフェミニズム」というワードが出てきたら地雷だと思ったほうがいい。最初からそんなものはないんだから。

追記:

 私以外の人との議論を見てもこの手のオウム返しなトンデモ言説な人たち、見捨てられ相手にされなくなることを「論破」と勘違いしているんでしょうが、一生気づくことはないんでしょうね。幸せそうで羨ましいです。

私の射程

 1ヶ月空いてしまったので突発的に書いてみる。少し前にある有名ツイッタラーの発言に「論理の射程」というワードが出てきた。厨二心を大いにそそられ印象に残ったのだが、はて私はどうなんだろうと考えてみた。「論理の射程」という言葉の意味はわからないが、私の、評論家としての射程を。
 いろんなネタに首を突っ込むのは個人的に言いたいことを言ってるだけなのだが、私はいろんな物事をこういう風に考えている。人物をこういう風に評価している。発声もその延長線上にあるということが伝わればいいなあと。以前から私は発声弱者の味方だと自負してきたが、正直、もはや私は「ただの」ボイトレ専用垢にとってフォローする価値はあまりないのだろう。本当はそういうことじゃないんだけどね。

 とはいえ本業ツイが減ってる反省もあって、

 「ケープラbot」を始めた。本業・ボイトレ評論家としての言説の再拡散が狙いなので、このブログは対象外。音楽ネタでもこちらは自分語りやエッセイ的なものになるので。実はこれ、ボイトレ垢向けではない。なぜなら新規であってもボイトレ垢なら熱心にnote・まとめ記事を読み込んだり、ツイを検索してあさるものだからだ。
 ここ1年くらいやっていることに大差ないが、今後はさらに一般人向けにシフトしていく。こう見えてこれまで悪い意味で好感度を気にしていた面があり、ボイトレ垢は「お客さん」だったがそれはもう止める。半年くらい考えてきたことだが、あえてここで明言する。媚びない、挑戦していく。

 例の事件もあり実践的なことはもうネットでは一切語らないが、これからも発声を広域に語っていく。私という円があるとして発声は中心部になるが、面積としては小さい。ターゲットも、音楽垢がもはやメインではない。それが私の射程で、マクロに、広く浅くといったところ。そこに価値を作り出せるかが私の挑戦であり、全力を尽くす。
 面白い授業・講義というものは、脱線や余談にこそ本質があるもの。そして「いつの間にか勉強になっていた」。私もそうありたいし、2018年は面白い「ボイトレの人」がもっと出てきてほしいと思っている。